和歌山市議会 2019-02-28 02月28日-04号
東京でのオリンピック開催、大阪での万博開催といえば、高度経済成長期に開催された1964年の東京オリンピック--まだ生まれてない方もおられると思いますが、1970年の大阪万博を思い起こす人が多いと思います。
東京でのオリンピック開催、大阪での万博開催といえば、高度経済成長期に開催された1964年の東京オリンピック--まだ生まれてない方もおられると思いますが、1970年の大阪万博を思い起こす人が多いと思います。
総合戦略の検証や次期総合戦略に向けた検討に加え、先端技術の導入の検討を行い、大阪・関西万博が開催される2025年には世界から注目される都市となれるよう、未来の発展に向けた取り組みを進めていきたいと考えています。
まず1つ目、大阪万博への対応ということでお伺いをしておりますが、冒頭おわびを申し上げなければなりません。実は、この「大阪万博」という表現が通称みたいなものでして、非公式なものでして、こうやって公のところで使うのがちょっとということで、日本国際博覧会in大阪・関西というのが正式名称になっているようであります。
6月議会といえば、市長選挙の前であり、今は知事選挙も終わり、大阪の夢洲に大阪万博の開催が決定し、その隣地にIRの誘致が最有力視されています。 そのような状況において、市長の今のお考えをお聞かせいただければと思います。 それでは、質問いたします。
皆様も御存じのように、高度経済成長期には、今もオリンピックが決まりましたが、第1回目の東京オリンピックがあり、新幹線が走り、そして大阪万博が成功したというような時代でありました。それからずっと経済成長を遂げてきまして、バブルまで来るんですが、バブル経済が崩壊をいたしまして、世の中が大きく変わってまいりました。
また、上海万博の経由等でもいいので済南市を回るコースをつくり、観光客を送ってくれる旅行社には、済南市、和歌山市双方の旅行社に奨励金を出したいと思います。 今後、済南市は和歌山市及び観光のリーダーと協力をして相互の観光を促進していきたいと思いますが、和歌山市は観光のアピールが足りないと思います。
これは貴市のみならず貴国全体にも言えることで、さきに経由地として立ち寄った上海市では、来年開催予定の上海万博を盛り上げようとする市民の熱気に負けないくらいの熱気を感じることができました。そして、本市出展の作品を初め、さまざまな都市の作品を見学することができ大変感動しました。
また、あえて言うなら、昭和20年、太平洋戦争が終わりまして戦後の焼け野原からわずか19年で高速道路、新幹線を整備し、東京オリンピックを成功させ、続いて1970年の万博を立派に成功させてきた団塊の世代の頑張りを少しは紹介してほしいなと感じました。エリートだけで歴史はつくられているのではないということも、教科書の中に少しあってもいいんじゃないかなという思いをしたところでございます。
父は6月1日に仕事の人と一緒に万博へ出かけましたが、心肺停止となり会場内にたくさんあるAEDで助けられました。その時初めて、AEDの存在、すばらしさ、多くの医師や救急隊員の方々がボランティアとして救急体制を支えていてくれたことに気づきました。大勢の人が参加したボランティアのすばらしさ。誰かのために行動することや接する気持ちは思いやりにつながります。これに気づかせてくれたのも万博でした。
愛知万博でも会場内にAEDが100台設置され、約3,000人の万博スタッフが講習を受け、まさかのときに備えました。6月には心肺停止状態に陥った男性を、現場に居合わせた来場者が会場のAEDを使用して救命し、話題となりました。また、万博開催期間中に5人の方が心停止で倒れ、うち4人が電気ショックなどで一命を取りとめました。
2008年のオリンピックや2010年の世界万博を目指したその勢いに圧倒され、午後2時過ぎの飛行機にて済南市へ出発いたしました。 弁公庁の斉(サイ)副主任らがわざわざ空港までお出迎えくださり、まっすぐに走る高速道路を利用し一路済南市内へと向かいました。
さらに、2005年の日本国際博覧会、愛知万博をめぐり、愛知県と通産省は、博覧会国際事務局から、万博を利用した土地開発事業で、博覧会の理念とは対極にあるとの厳しい批判を受けたと聞きます。その結果、5月のBIE総会で予定をしていた万博開催登録を見送ることで合意されました。
また、職員の出向などと、新たな財政負担が加わってまいりますけれども、関西新空港の開港をめどにして、全国的、国際的に注目されるイベントを目指しているようですが、大阪の花の万博とは、ちょっと私は、この和歌山県の財政事情、また地域性から難しいのではないかとは思いますが、青い空、青い海、海洋のヨットをテーマとした、ビックイベントを毛見のマリーナの周辺で開催するなど、積極的に働きかけて、市の活性化に向ける、そして