田辺市議会 1999-03-15 平成11年 3月定例会(第6号 3月15日)
したがって、管理職としての資質、能力には、教育課程の編成・実施は言うまでもなく、教科、道徳、特別活動の3領域にわたる授業を充実し、生徒指導、人権教育、進路指導、福祉教育など各分野の推進を図るために、教職員を率いて理念をリードして、実践下につなぐ力量、いわゆる円滑で積極的な学校経営能力が問われてきます。
したがって、管理職としての資質、能力には、教育課程の編成・実施は言うまでもなく、教科、道徳、特別活動の3領域にわたる授業を充実し、生徒指導、人権教育、進路指導、福祉教育など各分野の推進を図るために、教職員を率いて理念をリードして、実践下につなぐ力量、いわゆる円滑で積極的な学校経営能力が問われてきます。
まず、1番のメディア、特に暴力、ポルノ、こういったものから児童を守ると、こういうことにつきましては、心の教育答申にも、次世代を育てる心を失う危機として明記されたとおり、有害情報の氾濫は、成長期にある少年に、情操、人権、倫理観、性道徳、あるいは経済観念、儀礼等の面において、大きな悪影響を与えており、これを防止するには、まず大人社会の行き過ぎた表現の自由の許容性が課題になると思います。
したがいまして、これまでの教育課程の編成は、各教科、道徳、特別活動の三領域となっておりましたが、今回の改訂で、この総合的な学習の時間を加えて、今後は四つの領域で教育課程の編成が行われることとなったわけであります。
次に、来年度からの心の教育に対する具体的な取組ということについてでありますが、まず学校生活における自由と規律の論議を深めながら、各校の授業規律の安定を図りながら、授業改善を進めていくとともに、道徳教育の推進に力を入れていきたいと考えております。
まさにトップの倫理性の欠如、道徳的腐敗は、職員、市民を不幸に突き落とすもので、今回は市長室を監視できなかったところに問題があるのですから、トップの権限と責任の基準を明らかにしておく、ルールを明確にしておくことが大事だと思います。 今回の不祥事の疑惑解明のできる事実関係の報告、再発根絶への決意と具体策について、市長職務代理者にお尋ねしたいと思います。
また、スクールカウンセラーや心の教室相談員の配置、異学年交流活動、道徳教育の充実、ボランティア活動などを通して心の教育の推進を図り、児童生徒にとっての居場所のある学校・学級づくりを進め、御指摘の問題の解決に向けて取り組んでいきたいと考えております。
現在の少年について、一般的には、規範意識や性モラルの低下、それから公衆道徳の欠如、あるいは夢や生きがい感の喪失や人間関係能力の未熟さ等が、マイナス面として挙げられております。
各学校では、児童生徒のよさを認め、褒め、長所を伸ばす指導を基本として、平素の学級活動や道徳教育の中で心を耕し、一人ひとりが活躍できる場を設定し、目的意識を持って学校生活が送れるように取り組んでいるところです。
つまり、人間尊重の精神や日本人としての自覚及び郷土や国を愛する心、また国際社会に生きる民主的、平和的な国家、社会の形成者としての資質の基礎を養うなどは、各教科、道徳、特別活動が目指すところのものであり、その中には、当然のごとく国旗、国歌の正しい認識と、それらを尊重する態度の育成も含まれております。このように学校教育では、全領域で、広く自覚と誇りの持てる児童、生徒の育成に努めております。
まず第一に、環境問題は、地球的な広がりを持った問題であって、各教科、道徳、特別活動などの連携・協力を図り、学校全体の教育活動を通して取り組んでいくこと。第二番目は、環境や自然と人間との関わりについて理解を深め、環境や自然に対する思いやりや大切にする心を育み、よりよい環境を創造していこうとする態度を育成すること。
私ごとで恐縮ですが、私は大学の法学部に入り、最初のゼミのときに「法と道徳について書け」と言われるような論文形式のテストを受けました。私は、端的に言えば、法は当然必要であるけれども、道徳、倫理、まして人間の情念というものが置き去りにされているんではなかろうか。
どの分野であれ、道徳教育の中で最も大切にしていきたいと考えていることは、価値ある行為を自ら求めるものとして、またそのことの価値付けは、自らの心の中で行える、自らの内発によるものとなることであります。幼いときから、発達段階に即して、心にすり込むことも含めて、今後もこういった考えを基本とした道徳教育を進めることが大切であると考えております。 以上であります。
そのためにも、和歌山市教育委員会が作成をいたしました小学生用副読本「わたしたちのくらしと環境」、中学生用副読本「私たちの生活と環境」を教材として、各学校では、生活科、社会科、理科等の教科や、道徳、特別活動等において学習資料として活用して、「環境教育」への積極的な取り組みを進めているところでございます。
それから、道徳教育という、今回の教育課程改訂、現在行われている改訂の中心の一つになっておるわけでありますけれども、やはり四点、一つは、「おのれを静かに見つめること」、それから、「他を思いやること」、「美しい周りのものに感動する感性を養うこと」、「公共のために尽くすこと」、こういう事柄、そういう柱のもとで、学習を進めているわけでありまして、それが、自分たちも含めた社会生活の中で、学校生活の校外、校内を
昭和20年代後半に、当時の天野文部大臣や教育界のリーダーだった森戸辰男さんといった人たちが、「利己主義の人間ばかりが多くなっては困るので、国を思う人間をつくらなければならない」と言って、道徳教育を主張した。当時は、まだ戦争の記憶が強かったために、また国民を戦争に引っ張るような邪悪なものとのことで、道徳教育に反対した論理であった。
言うなれば、生き方の教育とともに、そのための道徳教育ということを大切にしているのであります。その過程において、学校や家庭、地域社会の教育機能と、こういうものの分担、そして連携が今日的な方向であろうと思っています。
自由には、しかし当然として責任がついてきますが、自由気ままとか、いわゆる自由放縦とか、流れている、そういったことは危惧するわけでございますが、戦後教育について、一応お聞きしたいんですが、戦前は、いわゆる明治23年に発布された教育勅語があって、道徳の規範あるいは教育のバックボーンになっていたと思いますが、今の道徳教育についてお聞きしたい。 最近、いじめによる子どもの自殺が、また頻発しております。
そしてまた、全国に先駆けて条例をつくることのお好きな、また事実、数多くの条例を制定された市長の最後の条例が、現在市政を揺るがし、問われている市長の政治家として、さらには人間としての道徳、倫理の問題であるだけに、この条例の「政治倫理の確立のための」という題名は、言い得て妙、皮肉なことと言わなければならないと思います。
学校では、教科、道徳、特別活動という三つの領域において、教育活動が行われているのでありますが、どの領域であれ、独特の教育観により、学習指導要領から逸脱した指導は行われるはずもなく、もちろん各校において、だれであれ個人的に信ずるところの考えのもとに、勝手に資料を引用したり、拡大したりして、自説に引き込むことは許されていないのであります。