新宮市議会 2007-03-06 03月06日-01号
また、地域振興につながる事業として、かつて熊野川川原に実在した川原家を復元し、川舟下りや速玉大社等を訪れた観光客に当地方の土産や産品などを提供してまいります。
また、地域振興につながる事業として、かつて熊野川川原に実在した川原家を復元し、川舟下りや速玉大社等を訪れた観光客に当地方の土産や産品などを提供してまいります。
またこのことで市長がトップセールスしたおかげですよ、これ、11月16日ですね、佐々木名取市長や3市市議会議員を含むつばさの会のメンバー39名が熊野三山参りに速玉を正式参拝されまして市長や上田議長や前田議員、西観光協会長以下、友好を深めてまいりました。
かつては熊野速玉大社の門前町、大雲小雲越えなどの熊野詣で、製紙業、製材業で栄えた歴史を持っていますし、文化面でも多くの文化人を出してきています。今後このような文化と豊富な資源の活用を生かし地域活性化のために特例債を活用していただき、また私たちの子供や孫が希望の持てるような新宮市をつくっていただきたい。 ほかにもいろいろあります。市民会館をどうするのか。防災拠点の本庁舎はどうするのか。
また、平成16年に熊野川も大斎原から熊野速玉大社まで世界遺産の「川の道」として指定されたこともあり、熊野川流域の環境、景観の保全等をみんなで守り、はぐくむ気運が盛り上がってきている。
今回は飛行機が霧で白浜の空港へおりられず、関空まで行った加減で大変遅れましたが、速玉大社での佐藤市長の出迎えと歓迎の志に監督もチーム全員喜んでおられました。大学も毎年いいとこまでいったらしいですけども、いま一歩及ばず優勝することができませんでした。昨年は春と秋と優勝でき、春は神宮大会で一回戦も突破することができたそうです。
またそのためにそれに耐えられる当然周辺整備、徐福だけでなく阿須賀やあるいは浮島やあるいは新宮城址やもちろん速玉大社そういう点と点を線で結びつけるような過日も御提案もありましたけれども、そのような一つ一つの資質を磨くのはもちろんのこと、このルートづくり、まちかど観光等、今観光ガイドの会等を中心に観光協会も随分と力を入れてくださっていますが、この傾向を大いに助長していきたいそう思っているところでございます
◎文化振興室長(和田隆君) 新宮と呼ばれてたという史跡の資料の上ではですね、熊野三山の中では一番早く、熊野速玉大社という部分、新宮という部分が現れております。これは766年に資料の方で書かれておるというようになっております。 ◆1番(戸田隆君) はい、766年ということは那智大社、本宮大社よりも速玉大社の方が早かったということ、それでよろしいんですか。
では別にもう1件教育費の中でですね、新宮城跡、水野家という形で今回2,000万円計上されておりますが先ほどの課長の答弁もございましたが、私といたしまして質疑いたしたいのは新宮城跡ですね、新宮城の復活にかけてですね、新宮市としての考えはお持ちなのか、これまず1点私は今回なぜ質疑いたしますかと申しますと、世界遺産といたしまして今回新宮市が伝統の町城下町としてですね、復興を目指すという形で速玉大社があり、
新宮速玉大社というのは、これは城下町なんですね、これを生かして新宮に観光客を呼ぶせっかく新宮港ができました。この観光客を呼んで新宮を活性化するためにどのような行政をやっていくかとお聞きしたいわけなんです。今あなたの答えでは一般広くひらっていくというか、まず自分が市長となってこのまちの活性化に対してこれをやっていきたいという考えはないわけなんですか。
◆12番(前田賢一君) 観光立市に新宮市の明るい将来の展望を見い出すと、活路を見い出すということですから、この徐福というのは大化けすると思うんですね、やりようによっては、第二期工事としては不老長寿の丘、これも随分前から提言しております、まだ調査もしていただいていませんけどね、それをする時期に来ているんではないでしょうか、どんどんどんどん世界遺産のおかげで速玉大社にバス来てますよ、でも食事するとこもない
熊野古道は大阪天満橋窪津王子を起点として、熊野三山と言われる熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社へと向かう道であり、熊野古道には3つのルートがありました。