108件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

和歌山市議会 2004-03-09 03月09日-09号

ちょうど年末の正月用品が出回り、活況を呈し始めたやさきのことでした。1社の倒産により多くの問題が発生したと思います。特に次の3点について気がかりだったのでお聞きいたします。 1つ目、倒産した卸売業者従業員の失業による雇用問題であります。2つ目に、年末のお正月用商品不足にならないか。3つ目に、商品不足による価格の高騰等の問題であります。 そこで、お尋ねいたします。

和歌山市議会 2003-03-10 03月10日-09号

この正月、毎日新聞の「新春対談 大橋市長に聞く」を拝見をいたしました。その中で市長は、「和歌山市を元気、活気あふれる街に」していこうということで観光振興を挙げておられます。その中で、和歌山財産は海、川、緑とおっしゃっておられます。 私もその考えを共有する者の一人です。私はそれに和歌山食文化財産と考えるものであります。

田辺市議会 2002-03-18 平成14年 3月定例会(第7号 3月18日)

正月前とか盆とか、3月とかはドッと入る。コンスタントに入れば、それほどでもないのやけれども、それで、700〜800キロリットルほど入る予備のタンクというものがつくってあるらしい。しかし、それでも毎日のように200キロリットル以上入ってきたら、5日間で1,000キロリットルですからあふれると。  もうちょっと大きいものをつくっておったらということやけれども、それは過大設計になる、これで上等だと。

和歌山市議会 2002-03-05 03月05日-05号

例えば、昨年の正月でしたら、自民党さんの新年賀例会もお招きをいただきました。喜んで行かせてもらいました。公明党さんは賀例会ではなかったですが、たしか西先生のお祝いの会か何かがありましたので、喜んで行かせてもらいました。保守党の会ももちろん行かせてもらいました。 

田辺市議会 2000-12-12 平成12年12月定例会(第2号12月12日)

正月が来るというのに、三宅島の皆さんは、気の毒に3カ月余り経ったのかな、島へも帰れんし、こういうことが起こっている中で、ここでもいったん安全やて宣言をされて、その後、また噴火し出して、現在も続いているんでしょう。今の日本の科学の貧弱さ、こういうものは、まだ段階やなと、まだまだ信頼性に乏しいよと、こういうことも併せて考えていってほしい。

田辺市議会 1999-06-29 平成11年 6月定例会(第4号 6月29日)

現在、田辺市では、在宅の高齢者支援サービスとして、食事を全く作ることのできないお年寄りに、昼食の配食サービスを行っておりますが、食事を作ることができなくても、食事自体は、1年中、盆も正月も土曜日も日曜日もとらなくてはなりません。そこで現在、平日だけ行っている配食サービスの機会を増やしてみてはどうかということと、同じくメニュー自体も選択できるようになればと考えております。

田辺市議会 1999-03-15 平成11年 3月定例会(第6号 3月15日)

そして、年末年始と話し合いは続きましたが、私も正月の2日、3日と校長先生のところへ押しかけて、いろいろお話をお伺いしましたが、その態度っていうんですかね、もうここでは言い表せないんですが、うそが多いというんですか、もう情けなかったんですけれども、この仕事させていただいてなかったら、今ごろ本当に元気よく絶対振るってはならないものを振るっていたような気がしますけど、まあ興奮せんようにします。

和歌山市議会 1999-03-05 03月05日-05号

昨年の正月、最新の41号が届いたということで紹介しているのが、毎日新聞顧問岩見隆夫さんであります。「へそ」という題だそうです。 「このごろの世相をみて、つくづく『だんだんは怖い』という感を深くする。『だんだん』はいつの間にか、である。急な変化は目につきやすいから、誰でもこれに注意を払う。しかし、だんだんは文字どおりだんだんだから、変化を見逃すことになる。

和歌山市議会 1998-03-06 03月06日-05号

正月、最新の41号が届いた。『へそ』と題する一編がおもしろかった。このごろの世相を見て、つくづくだんだんは怖いという感を深くする。だんだんは、いつの間にかである。急な変化は目につきやすいから、だれでもこれに注意を払う。しかし、だんだんは文字どおりだんだんだから、変化を見逃すことになる。そして、気がついたときは、それをもとどおりにするのは不可能なことが多い。 

田辺市議会 1997-09-22 平成 9年 9月定例会(第3号 9月22日)

思い返しますと、平成6年の正月3日に、生駒前市長が急逝され、その後を受けて市長選に臨んでから、早くも三年と七か月が過ぎ、私の任期も余すところ五か月となって参りました。「光陰矢のごとし」と申しますが、今振り返ってみますと、まさしくあっという間に過ぎ去ったというのが、偽らざる心境で、実感でございます。また、この三年余は、バブルの崩壊の後を受けて、経済的に非常に苦しい時期でありました。

田辺市議会 1997-09-18 平成 9年 9月定例会(第2号 9月18日)

帰ってきて一年以内、正月には帰ってきて、正月から今年いっぱいで就職すると、市内ですよ。市内に就職すると、その場合は、配偶者、奥さんがおられる、子どもがおられる。20万円、就職お祝金をあげようということね。一人者の場合どうかというと、10万円あげましょうということですね。また、民間の賃貸住宅、アパート、マンションに入っておられる方、そして就職してる方ですよ、これは。

田辺市議会 1996-06-25 平成 8年 6月定例会(第3号 6月25日)

何回も何回も窓を開けても、風は全然入って来なくて、苦しい晩だった」と、こういう状況、あるいは冬の状況は、96年の1月3日、正月ですね。「ことしはカーペットも何もない。お湯もないので水だけだから、両手のしもやけは大変痛い」と、こういうことが書かれております。亡くなられる直前、この3月の5日ですね。