海南市議会 2017-09-12 09月12日-02号
昨年は女性の講談師 宝井琴桜さんが、明治初期、男性社会であった医師会で、困難に遭遇しながらも医師の国家試験に挑戦した女医界の先駆者と称される女性の物語を語ってくださいました。 毎年、すばらしい講師の方々で、担当課の御苦労もしのばれつつ、私は、この講演を楽しみにしております。
昨年は女性の講談師 宝井琴桜さんが、明治初期、男性社会であった医師会で、困難に遭遇しながらも医師の国家試験に挑戦した女医界の先駆者と称される女性の物語を語ってくださいました。 毎年、すばらしい講師の方々で、担当課の御苦労もしのばれつつ、私は、この講演を楽しみにしております。
また、社会教育推進につきましては、明治初期から昭和にかけての本町の変換の歴史を後生に伝えるための町史編纂事業が完了しております。 観光振興の情報発信の関係につきましては、さまざまな場面での高野山の魅力についての情報発信が、町ホームページのリニューアル、町フェイスブックの構築、観光アプリ等、いろいろな角度から情報発信を行えるようにしております。
ハワイ、北米、中南米へと、多くの先人たちが明治初期より、その活躍の場を新天地に求め、移民として世界に飛び出していったのです。私たちのふるさと、この和歌山県には、こうしたすばらしい歴史、事実があります。 しかし、移民という名前は聞いたことがあっても、このような苦労、そして偉大な歴史があったということを知っている人は少ないのではないでしょうか。
日本政府は、明治初期の1880年代から1890年代にかけて、10年以上の調査を経て、尖閣諸島がどの国にも属していないということを確認して、明治28年--1895年1月14日に日本の領土とすることを閣議決定し、沖縄県八重山郡に編入いたしました。以来約120年、第2次世界大戦後に沖縄県が米軍支配下に置かれた時期を除き、尖閣諸島は日本が有効な支配をしております。
設計委託理由については、邸は明治初期以降に建築されたと推定され、後年幾たびかの増改築が加えられた形跡があり、建物自体が非常に老朽化している。
そこで、日本での水道事業の起こりは、議員もお話ございましたが、明治初期に、外国人の往来が盛んになるにつれて、コレラ、チフス等の伝染病が流行し、患者数は四十一万人余りに上り、その半数以上が死亡するという、今日では想像もできない惨状であったことから、これら病原生物の蔓延に対応する予防策として、明治20年から水道施設の促進がなされてきたところであります。
明治初期の明治の元勲と言いますか、埋もれた方もたくさんありますけれども、それを掘り起こして、描き切っているということが、日本の今の現在の日本人にですね、受け入れられたというふうに思うわけですね。 今の教育は、どういうふうに教えてるかと。大体の歴史観の問題になるわけですが、明治維新、これはね、けしからんと。侵略国家をつくってた過程ですから、けしからん。