和歌山市議会 2018-12-05 12月05日-02号
続いて行われた交流会において、中国の学生一人一人に日本語に興味を持ったきっかけを聞くと、何人かの学生は、日本のアニメをきっかけに日本に興味を持ち、日本語を学ぶようになったと答えられていましたが、その中でも印象深かったのは、日本文学、特に三島由紀夫が好きだという学生や明治維新とその後の日本の発展に関心があるという学生がいるなど、日本文化を熱心に勉強している学生の姿がとても印象的でした。
続いて行われた交流会において、中国の学生一人一人に日本語に興味を持ったきっかけを聞くと、何人かの学生は、日本のアニメをきっかけに日本に興味を持ち、日本語を学ぶようになったと答えられていましたが、その中でも印象深かったのは、日本文学、特に三島由紀夫が好きだという学生や明治維新とその後の日本の発展に関心があるという学生がいるなど、日本文化を熱心に勉強している学生の姿がとても印象的でした。
そのため、明治以前までには、そこには社が鎮座していたそうですが、現在は、車が数台駐車されているような本当に小さな空き地となっており、そこの片隅にひっそりと江戸時代に建てられた石碑だけが残っています。
明治薬科大学の赤沢学教授は、「医療経済的視点から考えるワクチン効果」の中で、「『肺炎は日本人における主要な死亡原因であり、高齢になるほど感染しやすい』という集団的な説明も大切だが、『肺炎が悪化すると、あなたの治療費は100万円になります。それを予防するワクチンは1万円前後の費用負担で接種できます』という個人の立場に立った説明もあり得るのではないだろうか。」
彼が明治41年に雑誌「太陽」に十和田湖と奥入瀬渓流のことを紹介したことがきっかけで、十和田湖が世の脚光を浴びるようになったことが顕彰の理由でした。 なお、十和田市は、大町桂月の出身地高知県土佐町と姉妹都市提携となっております。
この間、明治大学との市民大学講座がありました。人間は老いていくには筋力が落ちていくというのはもう自然のことだと。しかし、それを幾つまでも自力で歩けるようにするには、やはり足腰を鍛えること、ストレッチ等をやればいいということも、講座の中で実践もして先生に教えていただきました。
十津川村は明治22年のあの新十津川町へ行ったときの水害から始まって、先般の紀伊半島大水害、十津川村の村民みんな、ほとんどの区長、総代、関係者、あるいはその災害に携わってくれました国や自衛隊、警察、消防、あらゆる方を呼んで、二度とこの教訓をやはり繰り返さないという誓いの意味を兼ねて、私は亡くなられた方に対して皆さん慰霊の気持ちを表しているんではないかと。
高野山につきましては、明治政府が行った廃仏毀釈の政策によりまして、広大にあった寺領というのが国に接収をされていきました。その中で高野山を取り巻くように国有林が配置されるような形になっております。 また、この国有林というのが森林として非常に豊かでよかったということがありましたので、自然度が高かった。
日本の学校給食は、1889年--明治22年、山形県鶴岡町--現鶴岡市の小学校で行われたのが発祥だということです。お弁当を持ってこられない、いわゆる欠食児童--貧困な児童の救済が目的でした。 そこからさまざまな変遷があり、現在の学校単位で全ての子供を対象とする制度となりました。
また、桃山茶器発祥の地として名高く、美濃焼の主要生産地であり、明治以降は製糸業の導入とともに発展し、昭和30年代以降は名古屋市のベッドタウンとして人口が急増、昭和57年に市制が施行されています。 なお、現在の議員定数は22名、報酬は、議長48万円、副議長42万5,000円、常任委員長41万円、議員40万円、政務活動費は年額1人当たり24万円であります。
彼は、スポーツ少年団を出た後、中学校のときから、御両親が週末大阪まで送り迎えをされた中、大阪堺ボーイズリーグから広島広陵高校へ進み、現在、明治大学野球部の3年生であります。彼を紹介した記事がございますので、紹介させていただきます。
熊野学と口では言いますが、熊野学センターを真っ先に先送りにし、明治大学との熊野学フォーラム、これも10年をめどに打ち切った。そういったことで、今後新宮市の歴史や文化が守られ、それをベースにしてしっかりとしたまちづくりが行っていけるとは私は思えません。
そのことは、新宮を拠点に数日間滞在し、この地域の歴史でいうと神話の世界、神代の昔から、大逆事件に代表されるような明治、大正期の活気あふれる新宮市、そういったような歴史軸を中心に宗教文化でありますとか、あるいは精神性の分野、あるいは自然科学といったさまざまな分野でいろんなことが学べる、いろんなことが知られるというような、新宮というまちの大きな可能性を秘めていると思います。
その後、廃藩置県後の歩みですが、明治45年、城地は和歌山市に払い下げられ、和歌山城は市民の城として歩みを進めていくことになり、本来、人の出入りを制限する城に多くの人を迎え入れるため、遺構の破壊、改変を伴うアクセスの向上がたびたび検討されたということであります。
また、現在の海南特産家庭用品協同組合は明治18年に発足し、昭和40年に海南特産和雑貨共同組合、昭和62年には海南特産家庭用品協同組合というふうに名称が変更されてきました。
大石誠之助先生は、新宮市でも特に裕福な家庭で育ち、学問にも優秀で、明治17年に大阪の小野医師の書生として住み込み、その後、同志社英学校、東京の神田共立学校で英語を学び、明治23年、アメリカ合衆国に渡り、オレゴン州立医学部へ入学され、明治26年にオレゴン州ポートランドで医院を開業いたしました。
◎市長(田岡実千年君) きょうは双子の日でもありまして、1874年、明治7年のきょう、双子の場合は先に産まれたほうを兄、姉とするという太政官指令が出されました。それまでは、後に生まれた子を兄、姉とする地方もあったということでございます。 ◆4番(大石元則君) ありがとうございます。初めて知りました。世の中変わったんですね。兄貴、お姉さんの順番がそのときに変わったと。
質問2の1、明治時代から戦中にかけ、国がつくった国定教科書が使われたが、国民の思想統制につながったという反省から、昭和22年に検定制度が始まりました。民間出版社が出す教科書が適切かどうか審査する制度です。一面的な見解を取り上げていないかなどの基準に基づき、不適切とした箇所に検定意見をつけ、修正を求めます。その後、検定を合格した複数社の教科書の中から当該市教委が教科書として採択します。
国交省跡地につきましては、和歌山市史や和歌山市議会史によると、明治期、和歌山市が歩兵第61連隊の誘致活動を行うために取得したという歴史的経緯があり、国に譲渡した土地の一部であることが証明できれば、有利に譲渡を受けられる可能性が考えられるため、当時の資料の収集や調査に取り組んでいるところでございます。 以上でございます。 ○議長(古川祐典君) 26番。
昨年は女性の講談師 宝井琴桜さんが、明治初期、男性社会であった医師会で、困難に遭遇しながらも医師の国家試験に挑戦した女医界の先駆者と称される女性の物語を語ってくださいました。 毎年、すばらしい講師の方々で、担当課の御苦労もしのばれつつ、私は、この講演を楽しみにしております。
神話の時代から明治・大正期の近代いわゆる戦後まで、非常におもしろい事柄がたくさんこの地域では起こっています。あるいは宗教哲学から、あるいは自然科学、そういった分野まで、本当に多種多様にこの地域は、いわゆるそれらを総称して熊野学と言われるんだと私は考えているんですが、そういったことをしっかりと魅力を磨いて発信していく。