和歌山市議会 2002-06-21 06月21日-05号
また、全体的な傾向としては、差別落書き、投書も頻発しているのです。 このように、差別の状況を分析していると、差別が決して個人の問題ではなく、依然として現代社会に普遍的に存在し、差別を生み出し、支えている要因があるということがわかってきます。 これまで、当市においても同和問題の解決は行政の責務であるという一貫した姿勢の中でなされてきました。
また、全体的な傾向としては、差別落書き、投書も頻発しているのです。 このように、差別の状況を分析していると、差別が決して個人の問題ではなく、依然として現代社会に普遍的に存在し、差別を生み出し、支えている要因があるということがわかってきます。 これまで、当市においても同和問題の解決は行政の責務であるという一貫した姿勢の中でなされてきました。
そしたら、不思議と田辺の梅は生育良好」と新聞への投書もありました。 逆に、御坊火電が昭和59年、60年、61年と1号機、2号機、3号機が建設され、この3号機稼働から2年、昭和63年からは梅の木がおかしくなって枯れ出した。私は、すべて御坊火電に原因が、因果関係があるとは思っておりません。しかし、確かに二つの具体的な事実で、たいたら枯れる、たかないと枯れない。
予算大綱に関しての3点目、梅産業の発展について、新聞の投書欄に載っておりましたけれども、「昨年は御坊火力発電所の稼働が少なかった。だから今年の梅の木は勢いがある」と、こういう投書が載っておりましたけれども、複雑な思いで、今年だけでも良かったら、元気やったらいいなという思いと、やっぱり関係あるんかよと、こういう思いでしたけれども、これに対して、県は「因果関係は分からない」と。
6月議会を前に、私の元に市町村合併に関する一通の投書がまいりました。この内容につきましては、当局にもコピーをお渡ししておりますが、これを紹介しながら質問をしたいと思います。 質問の内容を大きくまとめますと、一つは、市町村合併は国からの押しつけではないのかと。それに追従するのではなくて、田辺市としての主体的な判断はどうなのかという点。
貯金を大きく取崩して、低金利にも泣く、こんな非情な政治に義憤を抑えられない」と、毎日新聞でしたか、新聞の投書欄にも見たところです。 65歳以上の介護保険について、現行の半額措置を今年9月で打ち切って、10月から2倍の全額になるというのも非情な仕打ちであります。今でさえ、高過ぎる利用料・保険料に耐えきれずに、サービスを打ち切らざるを得ないお年寄りが続出しています。
思いあぐねて、婦人雑誌にペンネームで、法律の必要性を訴える投書をしますが、それが上司にばれまして、地方へ転勤になります。その後、昭和50年に入り、前段申し上げました国際婦人年世界会議により、国は少し前向きに進み出しました。赤松さんは、労働省へ戻され、他の数名の女性職員とともに、男女雇用機会均等法の法案を作るプロジェクトに入りました。
「君が代に国民的合意が持たれるような、2番、3番の歌詞を加えてはどうか」と、これは広島の54歳の方、今、これらですね、議論が百出して、新聞の投書欄でホットな討論が続いております。せっかく始まりかけた国旗・国歌についての国民的な討論、これを断ち切ってですね、政府与党は、日の丸・君が代法制化の強行をねらっております。
また、6月17日付紀伊民報の声欄に、「年末年始の市営テニスコート利用について」という投書が掲載されていました。その一文を少し読ませていただきます。「私は、常日ごろ、田辺市営のテニスコートでテニスを楽しませてもらっている者の一人です。ところが、毎年、年末になると非常に悲しい気持ちにさせられます。というのは、12月25日ごろから、翌年1月5日ごろまでに、テニスコートを利用できないからです。
全面使用禁止となった後で、「私のとこのですね、学校で焼くのはほとんど紙や」と、「全面禁止っておかしいやないか」っていう、こういう投書もありましたし、それから「工場が出す煙こそですね、問題とちがうんか」というのが、私の地元の人たちの声でありました。
このことに関連して、紀伊民報の15日付の投書欄にも、「バイパスルートの変更を」ということで、投書があります。こういうのは、みんな市当局は、耳に入っていると思うんですが、それも確かめておきたいと思います。同時に、この意見書の中では、そういう津波の被害、こういうものに対する恐れと同時に、あの地域がまさに景観も含めて、大変な地域になっていく。
このような投書をしています。これを読んだ方が、私のようなですね、素人が説明するよりもわかりやすいと思いますから、少し読ませていただきますが、「5月9日付け「源流・底流」、不登校についての記事を読ませていただきました。以前、田辺市教育研究所にお世話になっているだけに、大半は怠学タイプという見出しに悲しくなってきました。
投書欄を読みます。
最終処分場に、投書を挙げてご質問をいただきました。最終処分場における管理体制については、従来から埋立地の整地をする職員が、搬入者のゴミの分別等の指導を行ってきてるところでありますが、これは受付窓口でも分別の徹底をお願いしてきているところですが、この現場職員は、他の業務と兼務していますので、十分な指導ができてないというのは事実であります。
市長にも当然それぞれ何かあった場合に、また投書なり、また電話なり、だれかわからなくてもそういうことが来るわけなんです。その議員は、信憑性の判断によって質問するわけでございます。ですから、森本議員がそれを言ったから、おつき合いがあるのかどうかなというふうな疑いを持ってきますて言うことは、非常にこの議員の質問に対してやはり失礼な答弁かと思います。
大人が汚いことをたくさんしている中で、子供だけ天使のままでいることを要求するのはやめて」という叫びのような投書でした。まさに経済効率が優先され、人間らしさが二の次にされている社会のゆがみを告発するものと言えます。子供たちが生き生きと学び、遊び、健やかに成長するために、今子供たちの置かれている状況をとらえ直し、環境を整備していくことこそが大人の務めであり、責任ではないでしょうか。
けさの産経新聞の投書から、枚方市の大学院生中村氏の「学校側の責任追及の規定を」という一文を御紹介さしていただきます。 いじめを苦に、中学生がまた自殺した。ところが、加害者は「冗談だった」、学校側は「気がつかなかった」と、おきまりのせりふが返ってくるだけだ。 しかし“冗談”は、する側とされる側の合意があって初めて成立する。加害者の弁解は行為を正当化するものではない。
また、差別投書や落書き、差別発言等は現行法の名誉棄損で十分対処することができると指摘し、差別を法律や条例などで規制することに根本的批判を展開しています。 そして、新たな課題として、自由な意見交換のできる環境づくりを指摘し、同和対策についても「永続的に講じられるべき性格のものでなく、可及的速やかに一般対策へ全面的に移行されるべき性格のもの」との認識を示しています。
こう言うて私にも電話がかかってきたり、投書が入ったりしますよ。そういうようなひとつの中で、あなたが自治会というものを利用して、そして企業のお先棒を担ぐ、そういう行動が市民の中にどれだけの被害を、弊害をもたらしているかと。住みよい町づくりって何ぼあなたが当初予算のときには言っているけど、やっていることと言っていることと違うじゃないですか。
昨年、私のところに1通の投書が届きました。ある小学校に通学する肢体不自由児の近所の方からのものでございました。 それによりますと、親族が常に一緒に通学する姿であり、そしてまた見るに見かねて、何とか介助者を市で対応できないものかということが主でございました。
ただいろいろ、新聞社へ投書とか、いろいろこう言うんですけどもね、そういう人というのは、本当に弱い立場の人で、人間的に、精神的に。自分さえしっかりしていれば、それはそれでいいことでございます。そういう雑念とかそういうものにとらわれずに、やはり思い切った行政をやってほしい。 生意気なようですけども、このごろ旅田市長萎縮やってんのと違うか、このように感じる場合もあるわけでございます。