22件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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田辺市議会 2018-12-10 平成30年12月定例会(第3号12月10日)

また、答弁の中に、文部科学省からの通達についてもありましたけれども、この当時の業者テストの取り扱いに関する経緯に関しては、教育委員会がよく御理解されているとは思いますけれども、この通達が出された昭和51年、そして業者テストの問題が過熱した1993年当時は、特に都市部において業者がつくったテスト定期テストとは別に授業時間中に受けさせることで偏差を出して、進路指導の材料にするというようなものでした。

和歌山市議会 2016-09-16 09月16日-07号

次に、薬学部の誘致による効果について、 一、薬学部を誘致することで、あたかも他府県への薬学部に進学する市内在住学生の流出に歯どめがかかるかのような説明であるが、薬学部偏差が高くなれば、入学が相当困難となり得ることは当然であり、まずはどれほどの市内在住学生がこの薬学部に進学できるのかを調査することが必要ではないか。 

和歌山市議会 2013-03-07 03月07日-05号

現在の教育は、学校成績偏差の高い学校進学に重きを置き、受験技術ばかりの教育に終止し、親もそれを望んでいるというのも事実ではないでしょうか。ペーパーだけで、ペーパー点数だけを見据えて育っている子供たちがいかに多いか、本来公教育が大事であるにもかかわらず、学校教育はそこそこにして、家計の中から多くの月謝を捻出して塾に通わす、そんなに学校教育はだめなんでしょうか。

和歌山市議会 2011-09-13 09月13日-02号

それと同時に、学力向上により高度経済成長を迎えてきた日本において、経済的にも豊かになり、よりよい教育を求める余り、受験偏差などが子供たちについて回り、受験戦争なる言葉も生まれ、子供たちが余りにも忙し過ぎるので、ゆっくり時間をかけて子供たち自分で考えられる時間を与えようではないか、そうすれば、子供たちはすぐれているからおのずとすばらしくなると幻想を抱いた約36年間。 

海南市議会 2011-03-01 03月01日-02号

戦後の我が国の教育知育偏重であり、我がまま勝手な偏差人間がふえてきました。道徳教育の強化が望まれます。 そこで、昔の学校で教えていたこんな話を紹介しましょう。土井利勝といえば、幼くして徳川家康の近侍を皮切りに、二代秀忠、三代家光に老中、大老として仕え、まさに徳川300年の礎を築いた幕府の大功労者です。その彼は、政治手腕の見事さばかりでなく、思想的にもすぐれた宰相でした。 

田辺市議会 2007-06-25 平成19年 6月定例会(第3号 6月25日)

また、順位偏差をつけて周囲と比較することでなく、児童生徒一人一人の学力実態を生活との関連において把握することができ、児童生徒自身もみずからの学習課題をすることができるとしています。しかし、そういうことが保護者には十分伝わっているのでしょうか。大阪府枚方市の学力テストでは、ことし1月学校ごと成績の公開を求めた裁判で、大阪高裁では住民の訴えを認める判決が出されました。

田辺市議会 2003-06-27 平成15年 6月定例会(第4号 6月27日)

していってほしいという気持ちの中で、もう少し述べさせていただきたいと思うのですが、1950年ごろには、都市人口は約38パーセントぐらいでしたが、高度経済成長に伴う形で、都市への人口がどんどん移動し、今では全人口の約8割が都市住民となっており、その結果、先ほども申しましたように、様々なごみ問題、人口問題等、社会問題のほとんどは、その結果、生じたものでありますし、教育問題を取り上げてみましても、知識偏重点数主義偏差

和歌山市議会 2001-06-22 06月22日-06号

ちなみに和歌山市は総合順位が 285番目、総合偏差が50点という評価でした。住民行政への参加度が低いということや利便性も真ん中ぐらいで、これはあくまで一つの評価方法ですが、行政改革の目的や評価方法、手法などもこの際、考え直してみる必要があるのではないでしょうか。これは意見として申し上げておきたいと思います。 

和歌山市議会 2000-06-21 06月21日-04号

例えば、一斉画一型と没個性型の教育をやめよう、教師と生徒生徒同士の触れ合いが不足しているんじゃないか、偏差偏重型の進路指導になっているんじゃないか、そういうことを全部含めた教育改革必要性を再認識して、教育改革を推進していくということをされたわけです。 その中で、教育観とか学力観教育内容教育方法改革、これが1点です。

和歌山市議会 1995-06-28 06月28日-04号

人間としてではなく、偏差点数などで決められ、新学力観のもと、「関心意欲態度」という子供の人格の内面まで立ち入って評価の対象にしています。 「人をけ落としてでも1点でも多くとりたい」「いい高校へ、いい大学へ」という競争の中で、人間同士として互いに大切にし合うことや、本当の友情をはぐくみ、他人の中で自分を磨くことも、自分自身に自信や展望を持つこともできなくさせられています。 

田辺市議会 1995-06-21 平成 7年 6月定例会(第3号 6月21日)

「それは思い過ぎだ」と教育長言われるんだったら、「思い過ぎ」と言っていただいてもいいんですが、私はそういう流れがある中で、学校では子ども評価偏差とか、あるいは点数とかですね、先ほど関心意欲態度というような、このことも言われましたが、それを高めるということは非常に大切なことなんですよ。  

田辺市議会 1995-03-13 平成 7年 3月定例会(第4号 3月13日)

人間評価がすべて偏差とか、あるいは点数、勝敗でですね、なされて人より遅れたり、できないというようなこと、これについては、いわばぐずであるとか、あるいはその子を侮辱するようなそんな言葉が浴びせられる。こういう風潮までつくり出されてくるわけでしょう。切り捨てられる子どもには、屈辱感とか、人生に対する無力感、これが蓄積されてきます。

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