田辺市議会 1998-12-14 平成10年12月定例会(第4号12月14日)
万里の長城を築き、匈奴の侵入を防ぎ、もって人民に平和を与えるのである」というふうなですね、高らかに宣言して、秦の人々はそれに同調してですね、天下統一をなし遂げたと思うんですけれども、私たちには、この万里の長城ほどの大きな作業ではなくて、ほん10キロメートルほどの中におる人民をですね、救うというのが、私たちのこの行政に与えられた一つの使命であるように思うわけです。
万里の長城を築き、匈奴の侵入を防ぎ、もって人民に平和を与えるのである」というふうなですね、高らかに宣言して、秦の人々はそれに同調してですね、天下統一をなし遂げたと思うんですけれども、私たちには、この万里の長城ほどの大きな作業ではなくて、ほん10キロメートルほどの中におる人民をですね、救うというのが、私たちのこの行政に与えられた一つの使命であるように思うわけです。
この人権委員会が原案作成し、1948年12月10日、第3回国連総会において、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、世界人権宣言が採択、公布されました。
朝鮮人民の抵抗、独立運動がその都度明記されているか。朝鮮人に対する日本人の差別意識について触れているか」。検討資料という一つの団体から出てる、このように検討したらどうですかと。さらにですね、もうちょっと詳しいんですけれども、「植民地下の朝鮮で、一、韓国併合が朝鮮の植民地化を意味し、それに対する朝鮮半島での反対運動について記述されているか。
済南市での初日は、謝玉堂市長を初めとし、譚永青、徐華東、李華理の3人の副市長及び秘書長等の人民政府の最高幹部及び李啓万主任を初めとする人民代表大会常任委員会の要人との懇談会がありました。 2日目午前は、済南市経済貿易推進会議との懇談会が開かれました。この会議は、李副市長が主宰しました。
そこへ見て、たくさんの医療、先進的な医療、医療費、薬代だけでも、アフリカのすべての国のGNPと同じぐらい日本人だけが、お金をかけてやってることが、これが確かに行き届いた医療と一見、見えるけれども、これがほんまに世界の人民にって言うんか、全世界の人類に、「みなさんこうしなさい」という模範的な形と言えるのかどうか、多いに疑問がある。
そのときも、いわゆる厚生省は、人民のと言いますか、国民の健康を増進する、そういうような役割を持ちながら、それはもう「厚生省薬務局ではなしに、通産省薬務局だ」と、そのように言われたことを記憶をしているわけでございます。そのように、とにかくもうけというものが、最優先にされる、そういうような風潮があったのではないかと、このように思うわけでございます。
ポケット版中国人民革命軍総政治部発行初級事務戦士政治課本という本ですね。その本によればですね、「77事変(盧溝橋事件)は、劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動をもって、党中央の指令を受けて実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと、第六次反共戦を準備していた將介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。
また、アメリカ・ベイカースフィールド市からは市長を団長に50人が、中国・済南市からは人民代表大会主任を団長に9人が、カナダ・リッチモンド市からは市長を団長に92人が来訪されました。このほか、国際子ども会議への参加者、4都市で28人に、海外の和歌山県人会関係で 130人と、フランス・ピレネー・オリアンタル県から47人、合計 444人が来訪されました。
5月21日、午前中に済南市人民政府、つまり市役所でございますが、表敬訪問いたしました。残念ながら謝玉堂市長は急用で、出張でお留守でございました。向こうでは急用ということでおっしゃっておりましたが、ちょっと内情を聞くと、お母さんがどうもぐあい悪くて、見舞いに駆けつけたということでございました。 それで、張福山副市長と面談、世界リゾート博へどうぞおいでくださいという招聘をいたしました。
戦後の憲法草案でも、主権は人民にあることを明記するとともに、普通選挙によってつくられる地方議会を基礎として運営される地方制度について明記し、地方自治の確立を主張しました。憲法と地方自治が制定され、地方自治の原則が具体化されたが、自民党政治のもとでその後 100回にわたって「改正」されたように、戦後、民主主義の代表的成果であった地方自治制度は大きくゆがめられました。
5月19日午前中、代表者で済南市人民政府を表敬訪問した後、訪中団全員が、千仏山公園内で催された桜の記念植樹及び記念碑の除幕式に参列。午後は市内視察、夜、訪中団全員が済南市人民政府主催の祝賀夕食会に参加。 5月20日午前中、第10次友好訪中団は青島へ、祝賀訪問団は泰山参観。夕刻、代表者は友好都市提携当時の李元栄市長との夕食会へ出席。夜、済南市から夜行列車で北京へ。 5月21日午前中、北京に到着。
済南市には翌5日の午後1時30分に到着、済南市人民政府秘書長鄭樹龍氏、人民代表大会常務委員会副主任張泰氏氏、外事弁公室副主任李忠学氏の出迎えを受けました。済南市では6日の夜まで済南市政府の表敬訪問や済南市政府主催の歓迎会及び山東省政府の表敬訪問等を行い、済南市市長濯永悖氏、副市長張福山氏らに大変お世話になった次第でございます。
そして、全国人民代表者会議で、災害が大きかった理由として、水路の補修が十分でなく、地方レベルの水利プロジェクトが当地のニーズしか考慮せず、自然の排水体系を破壊した。
それぞれの国と正常化がなされ、45年間放置されていた朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮との正常化に向けての話し合いが進められております。この時期に第2次世界大戦中に国策として彼らを徴用していた住友金属や花王、その他の企業に名簿が残存していないかどうか。