和歌山市議会 2000-03-03 03月03日-04号
新学習指導要領は、ゆとりの中で生きる力をはぐくむことが目標とされており、完全学校週5日制のスタートを受けて、授業をもっとゆとりあるものにしようとの考えから、学校がある程度自由にカリキュラムの編成や授業の1単位時間の設定などを考えるようになり、学校のあり方自体にゆとりを持たせるねらいがあります。 もう一つのねらいは、生きる力を育てることで、総合的な学習の時間が創設されたことです。
新学習指導要領は、ゆとりの中で生きる力をはぐくむことが目標とされており、完全学校週5日制のスタートを受けて、授業をもっとゆとりあるものにしようとの考えから、学校がある程度自由にカリキュラムの編成や授業の1単位時間の設定などを考えるようになり、学校のあり方自体にゆとりを持たせるねらいがあります。 もう一つのねらいは、生きる力を育てることで、総合的な学習の時間が創設されたことです。
この時間は、体験を重視しながら、既存の教科にとらわれない自由な活動を行える時間であり、今後の教科の再編や統合というカリキュラム開発にも結びつく可能性を持つものであります。 学校は、知識だけを教えるところではなく、子供が一人前の人間になるために悩んだり苦しんだりする場所であるというように学校観を親子ともに変える必要があると思います。
これは私個人的な考えですけれども、構想委員会からも1学部3学科というふうな学科のお名前も出ておりましたが、これからは今までのような学問カリキュラムは見直されてきていますので、アメリカのビジネススクールやロースクールなどの既存の学科を特化した専門学科、例えば、ベンチャービジネス学科や地球環境エコロジー学科という、関西電力や松下等の大手企業とタイアップした学問体系なども実用的なのではないでしょうか。
そのカリキュラムは、多種多様にわたることが想定でき、基本的な接客技術を身につけるところから始まって、さまざまな観光業界の経営者レベルの知識を身につけるところまでの幅広いもので、その中で含まれるものとして、現在市長自身もよくおっしゃっていますが、起業、事業を起こす新規事業のマネジメントコースまでこの観光大学の範疇に入るものとなります。
老人クラブは、学校でのカリキュラムや子供たちに対する話し方などの研修等を実施して準備を進め、学校も老人クラブに連絡するだけで、この活動が実施できることになります。
それによりますと、2002年に完全実施されることになった学校5日制に合わせて、学校の授業時間数を大幅に削減するとともに、総合的な学習時間を設けて、生きる力を養う体験的な学習を推進し、さらには選択的な学習の幅を広げ、多様性と弾力性を持たせたカリキュラムを実現するなどの提案を行っています。 改革の骨子として、1、授業時間を年間70単位時間削減する。
言い換えれば、本来、福祉の充実ということは、個々の高齢者や障害児者の自立のため、いかに個別のカリキュラムを組み、どのようにサポートでき、自立と生きがいを与えられるかということにかかってくるのではなかろうかと思うわけであります。そうかといって、建物や施設の充実も重要であり、ハード面が充実して後、ソフト面が重要になることは言うまでもありません。
これは学校が、自由にカリキュラムを編成できる部分を広げたものであり、昨日、教育長の答弁にもありましたが、従来の知識詰め込み型と言われてた学校教育の転換を目指すものであると言われております。
雇用確保の有効な手段と対策は、多岐にわたり考えられますが、職業訓練や産業能力開発事業等のカリキュラムの更なる充実と啓発をはじめ、職業選択の機会を豊富にできるように、また若者が定着できるようなまちづくりのため、企業誘致の促進やUターンフェアの開催も、雇用の確保には必要不可欠な手段であると思います。
汗をかかなければならないということも言われますが、それは放課後の中でどういうふうに実現をしていくのかという教育的なカリキュラムの中で十分できていきます。 トイレに行くのに勇気を振り絞らなければならない、そういう状況を教育長、どういうふうに考えられますか。施設整備の重要さが学ぶことと深く関連していると私は思いますが、どのように考えられますか。
バスケットを習ったり、マラソンあるいはバレーボール、サッカー、各授業、授業の中でカリキュラムを組んで、年間一時間とか二時間とかいうふうに教えてもらえるわけですけれども、そういうものの中に合気道を入れたらどうかなというふうに思うわけで。
そのために、現行のように画一的カリキュラムを押しつけるのではなく、子供の発達、成長を真に確かなものにするために、カリキュラムや教育方法の創意工夫を大切にしなければならないと思います。 すべての子供に人間として成長する権利を保障するという義務教育の原則に立って、抜本的に精選した教育内容を十分な時間をかけて獲得させていく教育こそ求められています。
例えば、段ボール箱等を回収容器として再利用して、ごみの種類に応じた複数のごみ容器として、各教室やごみ集積所等に設置することによって、適切なごみ処理の仕方を促していくような取組みを進めている学校もありますし、一部には先進的な試みとして、ごみ問題を今日的教育課題の一つであると押さえて、教科・領域の指導を包含させた独自のカリキュラムを作成し、現在、各地域で行われております廃品回収活動や環境美化活動等、それぞれの
そういう子どもらに、本当にこう泥んこになって田植えをすると、浮き上がってきたり、いろんなことがあって、こういうふうにして米ができるんやなという体験をやっぱり小学校ぐらいで、ひとつカリキュラム入れてするんがええんじゃないかなと。ところが、今の学校には、そういうものがありませんから、それができないと。
徘回や妄想、昼夜の逆転などの行動を伴う痴呆症は、症状が進むと在宅での介護は厳しく、施設でもカリキュラムの決まった集団生活になじみにくいことから、福祉先進国のスウェーデンでは、「痴呆症老人の本当のケアは集団管理の中ではできない」として、グループホーム方式が生まれたと聞いております。
今回の中教審の答申では、「国際化と教育」について、何年学んでも話せない外国語教育の見直しを行い、英会話の力を育て、カリキュラムや指導の改善などを行い、外国の生活文化に親しむ機会をつくる。そして受験戦争の緩和にも連動させたいということでございますが、このことにつきまして、市長並びに関係部長にお尋ねしたいと思います。
反対論の中でも、非常に多いのは、ボランティア活動というのは、そのような意志のある者が自発的に行うべきものであり、「学校でカリキュラムを組んで、強制的に行うのはおかしい」という議論であろうかと思う。しかし、これは初等、中等教育で教えるのは、社会貢献活動であって、ボランティア活動ではない。
教えることがいっぱいで、クラスに、ああ、あの子は今の授業わかっていないな、そういうふうなことがわかりながらでも、どうすることもできない、それほど教えることがいっぱいある今のカリキュラムをこなすためには、全く先生たちのゆとりの時間がとれなくされています。こういうことにやはり目を向けないといけないのではないでしょうか。この点では、どうしても私は教職員をふやすことが緊急の課題だと思います。
先生方にとっても、そのカリキュラムを組むについても大変だと思いますけどね、だけども、そんな中で、ことしは例年よりも短縮授業する日数が減るというふうに伺っております。学校現場でやや混乱もしているというふうに聞いておりますけども、状況としてはどのようになっているのか、その点について、ひとつ聞かしてください。 そんな中で、ちょっと離れてしまうんです。
これは当然に学校教育のカリキュラムや地域社会での対応の仕方というものと密接な関連があるだろうと思うんですが、とりあえずは教育委員会でこういうビジョンを持たないと進まないだろうと思うんです。