高岡市議会 1995-12-03 平成7年12月定例会(第3日目) 本文
我が国の耐震基準は、関東大震災、震度6でございましたけれども、関東大震災を契機に最大で地表の揺れにどの程度まで耐えられるかを示す数値、「設計水平震度」と言っておりますけれども、この設計水平震度が決められておったのでございます。その後、昭和39年の新潟地震や昭和53年の宮城県沖地震等の教訓をもとに、昭和55年の道路橋示方書に耐震設計編が加えられ、耐震設計基準が見直されたのでございます。
我が国の耐震基準は、関東大震災、震度6でございましたけれども、関東大震災を契機に最大で地表の揺れにどの程度まで耐えられるかを示す数値、「設計水平震度」と言っておりますけれども、この設計水平震度が決められておったのでございます。その後、昭和39年の新潟地震や昭和53年の宮城県沖地震等の教訓をもとに、昭和55年の道路橋示方書に耐震設計編が加えられ、耐震設計基準が見直されたのでございます。
「災害は忘れたころにやってくる」という言葉は、寺田寅彦の随筆の中にあると言われておりますが、社会環境が著しく進展し、変化している今日、関東大震災に次ぐ地震の被害を出しました阪神・淡路大震災やまたオウム疑惑から始まりました一連のサリン事件など、災害や事故が大規模化、複雑化するとともに、次々と忘れる間も置かず発生しているのであります。
大正12年9月に発生をした関東大震災に次ぐ大惨事となったのであります。たった20秒間で大悲劇が発生したのであります。新聞もテレビも、朝から晩まで現場の状況を生々しく流し続け、国民の目はテレビに釘付けになったものであります。 また、リアルタイムで全世界に報道され、重大ニュースとして各国の高い関心を示したのであります。
我が国の建築物の耐震性の強化は、関東大震災を教訓として、耐震基準が決められて以降、過去4回にわたり、耐震基準が強化されてきております。この際、老朽化している市営住宅や懸念される箇所を含めて、改めて建物の耐震性の調査に取り組み、耐震性の強化を図るべきと考えます。
質問に入ります前に、去る1月17日未明に当たり発生した阪神・淡路大震災は、関東大震災以来の大被害をもたらし、多数の死傷者を出すとともに、家屋の倒壊や火災の多発、さらには交通、通信網等をはじめはかり知れない甚大な被害を与えました。
御承知のごとく、大正12年9月1日に発生した関東大震災の教訓を生かし、災害の怖さを忘れないため、毎年9月1日を「防災の日」として定められました。そして、ことしも県内各地で大規模な防災訓練が行われたのであります。昔から俗に、「災害は忘れたころにやってくる」と言われますが、昨年10月の台風19号による小矢部市の大火の悲惨さはまだ私たちの記憶に新しいところであります。