黒部市議会 2012-03-01 平成24年第2回定例会(第1号 3月 1日)
大正12年(1923年)、関東大震災からわずか1ヶ月後に帝都復興院が設置され、本格的な復興が始まったのと比べると、遅きに失した感があります。また、予算を伴う実際の事業主体は、国土交通省や農林水産省といった既存の省庁であり、復興庁は調整役に過ぎないとの見方があります。陳情先が増えただけということにはくれぐれもならないよう、被災地の自治体に寄り添って業務に当たっていただきたいと思うものであります。
大正12年(1923年)、関東大震災からわずか1ヶ月後に帝都復興院が設置され、本格的な復興が始まったのと比べると、遅きに失した感があります。また、予算を伴う実際の事業主体は、国土交通省や農林水産省といった既存の省庁であり、復興庁は調整役に過ぎないとの見方があります。陳情先が増えただけということにはくれぐれもならないよう、被災地の自治体に寄り添って業務に当たっていただきたいと思うものであります。
この新川地域に過去にこういった災害があったと、関東大震災においてでもそういった災害は必ず繰り返される、そう言いながら準備もしながらきましたが、津波がきたと。そういうことになっとるわけですね。貞観の地震、これも大きな地震でありました。その教訓を受けて、ある地域では色んな約束を持っておられた地域もあります。それは、災害に対する色んな物の考え方はあると思います。
去る5月に、東京の日本武道館で開催されたある社会教育団体の大会で、私ども自由民主党の総裁である谷垣 禎一氏は、「自分の祖父母の世代では関東大震災が、「あの震災以前は」と歴史の一つの大きな転換点になった。私の父母は太平洋戦争とその敗戦をとらえて、「あの大戦以降は」という言葉を口癖にしていた。そして、いずれの時代も私たちの先祖や先人は、その都度大きな苦しみや悲しみを乗り越えて立派に立ち直ってきた。
この震災は、関東大震災や昭和の敗戦に匹敵する影響を、日本の経済や政治、歴史に及ぼすのではないかとさえ言われております。リーマンショックや円高などで疲弊する日本経済に対して、そして日本の科学技術や社会システムに対して、さらなる試練を与えるものであります。
88年前の関東大震災や台風の多い季節であることから、昭和35年に9月1日を防災の日と定め今日に至っております。この防災月間を、それぞれが身の回りにある危険や備えを点検する機会といたしたいものであります。 さて、国民が民主党を中心とした政権誕生に変化を求め、この日本のかじ取りをゆだねてから約2年が経過いたしました。
死者、行方不明者、合わせて14万人を超えた1923年9月1日の関東大震災では、日本は治安警察法のもとに置かれていました。民主主義社会がいまだ構築されていない時代には、朝鮮人が暴動を起こすというデマが大々的に流され、数千人の在日朝鮮人、朝鮮人の虐殺事件がありました。これは、権力の側から流されたデマだと言われています。
地震列島とも呼ばれる日本の歴史の中で、大正12年9月1日、関東大震災がありました。その国難の中でも負けずに雄々しく人々は立ち上がりました。早川徳次は、震災で事業も妻も子供2人も失ったが、その絶望の中で、一念発起しラジオの開発に挑戦「シャープ」を創業しました。豊田佐吉は、震災復興に協力してくれた米軍のジープとトラックを見て、「これからは自動車だ」と考えました。
我が国は、遠くない過去において、関東大震災、世界恐慌を、敗戦などの大きな困難を次々に克服し、そのたびに強くなってきた実績があります。また日本人には、勤勉・忍耐・団結・共助といったこの風土と伝統に育まれた、他の国民にはない底力があります。一旦やる気になると、とてつもない行動力を発揮するのが我々日本人だと思っております。
不思議なもので、日本共産党が結成された翌年に関東大震災が起こり、この日本では、マスコミ主導で鳴り物入りの政権交代が起きると、その直後に必ず大きな大災害に見舞われております。中でも、国家危機管理に無関心で弱い総理のときに限って、大災害が起こっております。「備えあれば憂いなし」、今の政権には憂いもなければ備えもなし。
今回発生した東北関東大震災などの災害に対応するには、避難場所になっている市民大ホールの耐震化が、緊急性があります。上田市長は耐震化の予定であった第2期まちづくり交付金事業を中止されております。 次に、マニフェストで滑川市の財政危機を訴えておきながら、何ら新年度予算に反映されておりません。このたび計画された第4次滑川市総合計画においても、実質公債費比率が現在より高い数値になると予想されております。
まず冒頭に、このたびの東北関東大震災により被災されました皆様に、謹んでお見舞いを申し上げます。一日も早い復興と皆様の御健勝を心からお祈り申し上げながら、質問に入らせていただきます。 まず最初に、食育推進計画の策定についての質問をさせていただきます。 食は、私たちが生きていく上で欠くことのできない命の源です。
先月22日に発生しましたニュージーランド・クライストチャーチ市での地震、さらに今月11日に発生しました東北関東大震災にて被災されました方々並びに御家族の皆様方に、心よりお見舞い申し上げたいと存じます。
次に、東北関東大震災に対して関係部局が一体となって情報収集等を行うべきと考えるが見解はとの質疑に対し、災害が発生した3月11日には高岡市支援対策連絡会議を開催し、今後の方針などについて検討し、12日、13日も24時間体制で情報収集に努め、14日には市長を本部長とする高岡市東北地方太平洋沖地震支援本部を設置し、災害地に対する支援を全庁的にどのように取り組むのか確認したところである。
マグニチュード9.0の巨大地震は、大津波を伴って1万5,000人を超える死者、行方不明者を出すという言語に絶する東北関東大震災となりました。また、この巨大地震の影響で、長野県北部でも震度6強の地震が起きました。 亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げますとともに、被災者の皆さんにお見舞いを申し上げるものであります。
マグニチュード9.0の巨大地震は、大津波を伴って、死者、行方不明者は1万5,000人を超えるという言語に絶する東北関東大震災となりました。亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、罹災された方々にお見舞いを申し上げます。 新年度予算案については大いに評価をするところでありますが、反対意見を述べざるを得ません。
また新聞、テレビ等の話になりますけれども、関東大震災以降あるいは大東亜戦争以降、いろいろな事件があって、謄本が抹消されない、戸籍が抹消されないという方も結構あるわけなんですが、これらの人を追跡調査するというのはなかなか大変だろうと思います。 私は、あえて一手間、時間をかけてこれを調査する必要があるのかなという思いがしておりますが、果たしてどこまでやればいいかなと。
いずれも2度の世界大戦や関東大震災、昭和恐慌、オイルショックなどの荒海を乗り越え、そして今、グローバル化や新興国の追い上げ、業界再編成など新しい変化に立ち向かっております。データバンク社がこれらの企業の家訓、社是、社訓を分類したところ、5つのキーワードが浮かんできたそうであります。すなわち、感謝、勤勉、工夫、倹約、貢献、頭文字をつなぎあわせると「カキクケコ」になると。
大正12年、この日に起きた関東大震災、死者行方不明者合わせて9万7,000人を出した教訓を忘れないという意味と、この時期に多い台風への心構えの意味も含めて、昭和35年に制定されたものと伺っております。 近年は特に、地震、台風、集中豪雨など異常な自然災害が多くなってきていると感じており、ことしも既に兵庫県や山口県、九州各地など全国で大きな災害が発生しております。
1923年9月1日は関東大震災が発生し、大被害が起きた日であります。その日を記念して災害に備える日、防災の日としています。その日を記念して国家的な災害訓練が実施されたところであります。 危機管理の定義はいろいろあるとして、広義の危機、つまり市民の生命と財産に関するあらゆる危機から安全に守る管理のことを言っています。
9月1日は86年前の関東大震災にちなんで制定されました防災の日でありました。私たちはこのときに、過去の災害の記憶、記録、教訓を再認識、また再確認する必要があります。そしてそのことが、子ども、孫たち、次世代の人たちへの責任、責務でもあると考えます。 平成7年に起きました阪神・淡路大震災などでは、行政による災害対応の限界が露呈されました。