37件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

  • 1
  • 2

魚津市議会 2009-06-01 平成21年6月定例会(第1号) 本文

核兵器の廃絶は、世界で唯一の被爆国である日本の国民として、そして平和を願う市 民としての強い願いであり、21世紀を平和の世紀にと願う人類の祈りでもある。  ここに、本市議会は、北朝鮮の核実験の強行に抗議するとともに、今後一切の核実験 を中止し、実験に関する施設を直ちに放棄するよう強く求める。  以上、決議する。   

射水市議会 2008-06-18 06月18日-03号

兄を亡くした6年生の弟が児童代表として祈り・誓いの言葉を読み上げました。起きた事件は、事件を経験した遺族だけのものではありません。それを知った人がどのように感じて、何をするかでそこから意味が生まれてくるのだと思いますと、メッセージを投げかけた記事を読み、考えさせられました。最近は家族での殺傷事件も多く、近年の犯罪は異常で残酷です。

高岡市議会 2006-12-03 平成18年12月定例会(第3日目) 本文

このほど、上野にあります東京国立博物館で「仏像 一木にこめられた祈り」特別展に出展されることに決まり、私も見てまいりましたが、大変な人で15分待ちの長蛇の列での鑑賞でありました。この特別展での男神坐像はひときわ異彩を放っており、大勢の人たちが熱心に見ている姿を見て、感動して帰ってまいりました。  

氷見市議会 2006-09-12 平成18年 9月定例会−09月12日-03号

教育委員長 冨樫通子君 登壇〕 ◎教育委員長冨樫通子君) 布子議員さんの長き議員生活における市政に対する願いとも祈りとも言えるような内容の質問に対して、これからそれをどう伝えるかということを心にしてお答えしたいと思います。  まず、布子議員教育の源はの御質問のうち、まず日本人としてのアイデンティティーの確立についてお答えしたいと思います。  

立山町議会 2006-06-01 平成18年6月定例会 (第2号) 本文

その1つが、信仰の里を訪ね、祈りの源を訪ねる歴史道ゾーンです。歴史道ゾーンとは、立山博物館、風土記の丘、雄山神社、尖山などの立山山麓周辺であり、また、豊かな自然が色濃く残る里山、グリーンパーク吉峰、立山自然ふれあい館などの自然を体験し喜びを実感できる自然体験ゾーンとして、吉峰、上段、東谷地区周辺であります。

富山市議会 2004-09-02 旧富山市:平成16年9月定例会 (第2日目) 本文

昭和20年8月2日未明、県都富山が赤く燃え上がり、2,700人以上が亡くなった富山大空襲から2年後、空襲で亡くなった人たちの魂を慰め、永遠の平和への祈りと県都復興願いを込めて、昭和22年から「富山復興花火大会」が始まりました。当初の花火大会は8月10日だったそうですが、昭和45年から富山大空襲にあわせて8月1日に開催されるようになりました。

黒部市議会 2004-03-10 平成16年第1回定例会(第3号 3月10日)

現在でも中学生の根室市への派遣や、根室体協とのスポーツ交流黒部連合婦人会の「納沙布岬祈りの火”募金」の活動や、黒部アマチュア無線クラブによる「北方領土の日無線交信」など、多くの市民草の根交流が着実に実施されてきているということでありまして、よりこれを継続発展させていきたいと思っております。  

立山町議会 2003-09-01 平成15年9月定例会 (第2号) 本文

それは「イカンガーの祈りという言葉だそうですが、「変えないものを変えない潔さ、変えるべきものを変えていく勇気、その両者を判断する叡智を我に与えたまえ」ということでございます。  私は、教育行政を行っていく上でも変えないものは変えない、しかし変えていくべきものは変えていきたい、変えていくべきだというふうにその後も考えておりまして、後ろに掲げているわけでございます。

入善町議会 2001-08-01 平成13年第35回(8月)臨時会

8月6日、入善平和祈念式典及び入善戦没者追悼式が行われ、各位とともに平和への祈りを捧げたところであります。  また、8月6日から7日にかけて総務常任委員会が福島県西会津町及び喜多方市を訪問し、事務事業評価システム等について視察研修してまいりました。  次に、監査委員から地方自治法第235条の2の規定に基づき、6月分の例月出納検査の結果について議長あて報告書が提出されております。

入善町議会 2000-12-01 平成12年第29回(12月)定例会(第2号)  一般質問

先人たちの治水に対する願望と祈りの大きさは、地域住民が安心して暮らせる生活を願うものであったはずです。  町長、あなたも御承知のとおり、終戦直後の日本経済は食糧問題が最も重要な国家の関心事であり、昭和24年8月施行の土地改良法もそうした社会情勢を背景として制定されました。私たち水呑み百姓自立農家として発足したのです。

滑川市議会 1998-09-11 平成10年 9月定例会(第2号 9月11日)

せっかく人間としてこの世に生まれてきて40代そこらで人間の一生を終わらせるのはもったいない、もっとお互いに体に気をつけて、今の倍ほど100まで長生きしようではないかと、自分の心に言い聞かせて、後世の人たちの長寿を願ってつくられた祈りの歌詞であると思います。その先祖の願いが、祈りが現代にかなえられて100歳まで生きられる時代になりました。本当にありがたいことです。

黒部市議会 1997-03-07 平成 9年第2回定例会(第3号 3月 7日)

その主なものは、旧ソ連時代を含めてロシアを3回訪問し、そのたびに必ず北方領土問題に触れて議論してきたことや、根室納沙布岬での返還要求現地集会への幾度かの参加のほか、署名、募金活動、そして北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」建設に際して、我が国最南端の島、沖縄県の波照間島で点火された「祈りの火」を納沙布岬までリレーするキャラバン隊の、石川県から長野間の隊長を努めたことなどであります。

  • 1
  • 2