南砺市議会 2012-02-09 03月01日-01号
招待された生徒たちは、校舎にかかる虹の絵や「復興」の文字が高々と上がる大きな紙風船を見上げて、来場者と共に復興への祈りを新たにしました。 このほか四季の五箇山雪あかり、ザ☆雪合戦なんと2012、アイスフェス2012も盛況に開催されました。
招待された生徒たちは、校舎にかかる虹の絵や「復興」の文字が高々と上がる大きな紙風船を見上げて、来場者と共に復興への祈りを新たにしました。 このほか四季の五箇山雪あかり、ザ☆雪合戦なんと2012、アイスフェス2012も盛況に開催されました。
先日、同校の在校生700人と関係者が集まり、祈りと誓いの塔に黙祷をささげたという記事を読みました。6年生の児童代表が、1日1日を大切にしながら、命の尊さ、仲間の大切さ、助け合うことのすばらしさを改めて心に刻み、私たちが伝えていきますと誓った言葉に、深い感銘を受けました。
核兵器の廃絶は、世界で唯一の被爆国である日本の国民として、そして平和を願う市 民としての強い願いであり、21世紀を平和の世紀にと願う人類の祈りでもある。 ここに、本市議会は、北朝鮮の核実験の強行に抗議するとともに、今後一切の核実験 を中止し、実験に関する施設を直ちに放棄するよう強く求める。 以上、決議する。
兄を亡くした6年生の弟が児童代表として祈り・誓いの言葉を読み上げました。起きた事件は、事件を経験した遺族だけのものではありません。それを知った人がどのように感じて、何をするかでそこから意味が生まれてくるのだと思いますと、メッセージを投げかけた記事を読み、考えさせられました。最近は家族での殺傷事件も多く、近年の犯罪は異常で残酷です。
200 ◯ 市民生活部長(中田 眞一君) 「天女の像」は、昭和20年8月2日未明の空爆により罹災された方々の尊い犠牲に祈りを捧げ、戦災復興を遂げた市民の努力の偉大な業績を記念して、昭和49年8月に建立し、現在8月1日の富山市民感謝と誓いのつどいの採火式で使われております。
このほど、上野にあります東京国立博物館で「仏像 一木にこめられた祈り」特別展に出展されることに決まり、私も見てまいりましたが、大変な人で15分待ちの長蛇の列での鑑賞でありました。この特別展での男神坐像はひときわ異彩を放っており、大勢の人たちが熱心に見ている姿を見て、感動して帰ってまいりました。
〔教育委員長 冨樫通子君 登壇〕 ◎教育委員長(冨樫通子君) 布子議員さんの長き議員生活における市政に対する願いとも祈りとも言えるような内容の質問に対して、これからそれをどう伝えるかということを心にしてお答えしたいと思います。 まず、布子議員の教育の源はの御質問のうち、まず日本人としてのアイデンティティーの確立についてお答えしたいと思います。
〔1番(狩野安郎君)登壇〕 67 ◯1番(狩野安郎君) 質問に入る前に、二上青少年の家の入り口横にある二上射水神社で国の重要文化財である男神坐像が、東京国立博物館で特別展「仏像 一木にこめられた祈り」ということで10月3日から12月3日まで開催
その1つが、信仰の里を訪ね、祈りの源を訪ねる歴史の道ゾーンです。歴史の道ゾーンとは、立山博物館、風土記の丘、雄山神社、尖山などの立山山麓周辺であり、また、豊かな自然が色濃く残る里山、グリーンパーク吉峰、立山自然ふれあい館などの自然を体験し喜びを実感できる自然体験ゾーンとして、吉峰、上段、東谷地区周辺であります。
昭和20年8月2日未明、県都富山が赤く燃え上がり、2,700人以上が亡くなった富山大空襲から2年後、空襲で亡くなった人たちの魂を慰め、永遠の平和への祈りと県都復興の願いを込めて、昭和22年から「富山復興花火大会」が始まりました。当初の花火大会は8月10日だったそうですが、昭和45年から富山大空襲にあわせて8月1日に開催されるようになりました。
現在でも中学生の根室市への派遣や、根室体協とのスポーツ交流、黒部市連合婦人会の「納沙布岬“祈りの火”募金」の活動や、黒部アマチュア無線クラブによる「北方領土の日無線交信」など、多くの市民の草の根交流が着実に実施されてきているということでありまして、よりこれを継続発展させていきたいと思っております。
納沙布岬には北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」の灯火台の「祈りの火」は一日も絶えることなく燃え続けています。その祈りの燃料代として始めた募金運動でした。 昭和62年と平成4年の2回、根室市へ募金を届けています。
それは「イカンガーの祈り」という言葉だそうですが、「変えないものを変えない潔さ、変えるべきものを変えていく勇気、その両者を判断する叡智を我に与えたまえ」ということでございます。 私は、教育行政を行っていく上でも変えないものは変えない、しかし変えていくべきものは変えていきたい、変えていくべきだというふうにその後も考えておりまして、後ろに掲げているわけでございます。
8月6日、入善町平和祈念式典及び入善町戦没者追悼式が行われ、各位とともに平和への祈りを捧げたところであります。 また、8月6日から7日にかけて総務常任委員会が福島県西会津町及び喜多方市を訪問し、事務事業評価システム等について視察研修してまいりました。 次に、監査委員から地方自治法第235条の2の規定に基づき、6月分の例月出納検査の結果について議長あてに報告書が提出されております。
先人たちの治水に対する願望と祈りの大きさは、地域住民が安心して暮らせる生活を願うものであったはずです。 町長、あなたも御承知のとおり、終戦直後の日本経済は食糧問題が最も重要な国家の関心事であり、昭和24年8月施行の土地改良法もそうした社会情勢を背景として制定されました。私たち水呑み百姓が自立農家として発足したのです。
せっかく人間としてこの世に生まれてきて40代そこらで人間の一生を終わらせるのはもったいない、もっとお互いに体に気をつけて、今の倍ほど100まで長生きしようではないかと、自分の心に言い聞かせて、後世の人たちの長寿を願ってつくられた祈りの歌詞であると思います。その先祖の願いが、祈りが現代にかなえられて100歳まで生きられる時代になりました。本当にありがたいことです。
その主なものは、旧ソ連時代を含めてロシアを3回訪問し、そのたびに必ず北方領土問題に触れて議論してきたことや、根室の納沙布岬での返還要求現地集会への幾度かの参加のほか、署名、募金活動、そして北方領土返還祈念シンボル像「四島のかけ橋」建設に際して、我が国最南端の島、沖縄県の波照間島で点火された「祈りの火」を納沙布岬までリレーするキャラバン隊の、石川県から長野間の隊長を努めたことなどであります。