氷見市議会 2006-12-12 平成18年12月定例会−12月12日-03号
この使命は、昭和23年の病院開設以来今日まで、幾多の困難を乗り越え、多くの諸先輩の努力によって守り続けられてきました。この市民医療を守る中核である市民病院は、13年度以降、5カ年計画で、不良債務解消と新病院建設に向けて多くの努力が積み重ねられてきました。まず、私はこうしたこの間の努力に敬意を表したいと思います。
この使命は、昭和23年の病院開設以来今日まで、幾多の困難を乗り越え、多くの諸先輩の努力によって守り続けられてきました。この市民医療を守る中核である市民病院は、13年度以降、5カ年計画で、不良債務解消と新病院建設に向けて多くの努力が積み重ねられてきました。まず、私はこうしたこの間の努力に敬意を表したいと思います。
顧みるに、西野議員は、昭和24年2月、我が郷土小矢部市津沢の地に生を受け、獨協大学を終えられた後、以来家業に専念されておられたのであります。 時は流れ、西野議員は、温容誠実にして人望すこぶる高く、常に公共の念厚く、ために地元住民は申すに及ばず、衆望の寄せるところ、平成10年8月小矢部市議会議員選挙において初当選の栄に輝かれ、以来3期連続してご当選になり、市政の推進に参画されていたのであります。
まず、都市計画道路につきましては、昭和40年から昭和50年に都市計画決定された原型ができ、事業の着手を1つの機会として、変更や追加を重ねて現在の道路網ができ上がっております。都市計画道路用地となる土地の一部は、事業認可前に土地開発公社により先行取得され、事業着手時に市で取得することとしておりますが、それまでの間は遊休地となっており、利用が図られていない状況であります。
ただ、教育基本法は、敗戦直後の昭和22年に成立しました。私の世代はこの法の成立はまさに体験的な出来事でありました。当時、旧制の中学生であった私どもは、授業でこの基本法と憲法をすべて暗記することを強く求められたものであります。その影響もあって、いまだに私の体には教育基本法が鮮やかにすり込まれているのであります。
本市の下水道は、昭和52年に事業に着手し、昭和58年の供用開始以来、本年3月末現在で、市民の75.5%、約4万2,300人の方々が下水道を利用できることとなりました。 その反面、長年の整備により、下水道特別会計における17年度末の起債残高が約168億円となり、その返済のための償還には、元金と利子を合わせて年間約13億から14億円が必要となっております。
昭和47年度に創設された県単独医療費助成制度については、その後、社会の変遷とともに環境が大きく様変わりしており、県においては、昨年から「医療費助成制度のあり方懇談会」を設置し、検討が行われております。
1969年、昭和44年でございますが、地方自治法第2条第4項が改正され、市町村が議会の議決を経て基本構想を作成することが義務づけられました。しかし、その当時市町村は名実ともに地方公共団体の位置づけであり、独自の予算を持っていないこと、政策立案権を持っていないことから、基本構想は作文に近いものにならざるを得ませんでした。
とし、昭和40年11月からの「いざなぎ景気」を超え、景気拡大は戦後最長となる58カ月となり、今後も景気拡大が続くという見方を示したところであります。 また、日銀による北陸の金融経済月報も、「公共投資は前年を1割方下回って推移しているが、製造業を中心とした設備投資は高水準の前年を2割弱上回る勢いであり、北陸地域の景気は着実に回復し、雇用・所得面も引き続き改善している。」としたところであります。
まだスタートしたばかりで、本格的にはこれからだと思いますが、今定例会で71戸を支援、ことし10月末現在で、いわゆる中心部の人口は去年に比べ37人の増加で、昭和38年以来42年ぶりの増加をみているとの報告がありました。まだ人数は少ないものの、減少傾向から42年ぶりに増加傾向に転じたことは高く評価されます。事業のこれからの成果を期待しています。
富山市救急医療センターは、昭和48年の開設以来今日まで、診療科目や診療時間帯の拡大、施設の拡充や医療機器の整備などを逐次行い、身近な初期救急医療機関として市民の要請にこたえてきたところであります。
この男神坐像は、昭和43年に国の重要文化財に指定され、昭和44年に建設された収蔵庫に安置して、毎年4月23日の築山神事に公開され、きょうに至っています。しかしながら、収蔵庫の除湿対策がとられていないため、保存状態が悪く、長い間にカビが発生したものと思われます。
昭和の合併から50年、そして平成の大合併が平成17年4月1日に行われ、はや1年余になりました。これまで、市町村各地で地域の個性や独創性を生かした自主的・主体的な地域づくりのための取り組みが多彩に展開されてきました。
昭和41年より続いている毎月第3日曜日を「家庭の日」とする運動は、戦後、多様化する社会や家庭の情勢を背景に、温かく安らぎが感じられる家庭づくりなどを目的に全国的に展開されてきました。子供の成長の基盤と言える家庭について考えさせるこの運動は、家族の信頼関係を強いものとし、子供の心に安定を生み出すものと考えます。 旧福岡町では、この運動の普及を図るために作文募集を始めて、37年間続けてまいりました。
第21条第1項中「昭和22年法律第67号」の次に「。以下「法」という。」を加える。 第29条第2項中「前項」を「前2項」に改め、同項を同条第3項とし、同条第1項の次に次の 1項を加える。 2 前項の記録は、電磁的記録によることができる。この場合における同項の署名又は押印につ いては、法第123条第3項の規定を準用する。 附 則 この条例は、公布の日から施行する。
132 ◯村井教育長 二上青少年の家では、昭和51年に二上青少年の家友の会が結成され、詳細については不明でございますが、利用者の研修活動等のお手伝いをされていたとのことでございます。その後、自然解散し、現在そのような団体はないと聞いております。
今解体されている東部清掃センターの旧焼却場は、昭和48年から稼働し、新しい焼却場のエコぽ~とができるまでの約27年間、朝日町と入善町から出る一般廃棄物を焼却してきました。そして、焼却されて出てきた灰は、焼却場のすぐ近くに土砂と交互にサンドイッチ状に重ねられて埋められています。その量は約2万立方メートルとのことであります。
さて、我が国の経済は、平成14年2月から景気の拡大傾向が続いており、平成18年11月には連続58カ月目となり、戦後最長を誇った昭和40年から昭和45年にかけてのいざなぎ景気を超える長さとなったのであります。
富山労災病院は、昭和33年に開設されて以来、魚津市民のみならず、広く県民の健康増進と医療に大きく貢献してきたところであります。また、救急医療や高度医療等の提供を行う地域医療の中核病院としての機能に加え、アスベスト疾患や災害時の拠点病院としての機能を有するなど、市民の暮らしを守るため大きく貢献しております。