滑川市議会 2021-06-25 令和 3年 6月定例会(第4号 6月25日)
滑川市議会では、1988年(昭和63年)6月に非核平和都市宣言を行っております。その中で、滑川市は、全ての国の核兵器の緊急な廃絶を訴える、このようにうたっております。 申し上げたとおり、核兵器禁止条約の調印批准を求める声は広がり続けております。 案文の中では、国内では560自治体の議会が採択したと紹介しましたが、先週6月19日現在では、570議会に増えております。
滑川市議会では、1988年(昭和63年)6月に非核平和都市宣言を行っております。その中で、滑川市は、全ての国の核兵器の緊急な廃絶を訴える、このようにうたっております。 申し上げたとおり、核兵器禁止条約の調印批准を求める声は広がり続けております。 案文の中では、国内では560自治体の議会が採択したと紹介しましたが、先週6月19日現在では、570議会に増えております。
原則なので、これ以外の例外がもちろん存在していまして、例外は複数あるのですが、今回、地域コミュニティーを守ることに直接問題になっているのは、法42条1項3号、基準時において現に存在する道、いわゆる昭和25年11月25日以前から幅員4メートルの道路は当然に道路とするものとする。
そして、この憲法の理念にのっとり、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図ること等を目的として、昭和47年に雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律、いわゆる男女雇用機会均等法が制定され、男女共同参画が注目されるようになってきたわけであります。
個人住宅にしても、昭和46年1月30日以前の宅地か、もしくは今50戸連担という方法があるんですけども、商店については属人的に一世代だけ許されており、その一世代が終わればもぬけの殻になっていくという結論であります。 富山市自体がコンパクトシティを推進してきたから当然そうなるわけでありまして、その恩恵を受けたのが滑川市であります。
1月7日から降り始めた雪が数日間も続き、富山では一度に1メートル以上も降り積もったのは昭和59年の豪雪以来で、36年ぶりの豪雪となったわけであります。そして、除雪の体制も追いつかず、北陸自動車道や東海北陸自動車道では大規模な立ち往生が発生したり、中央幹線道路の至るところで大渋滞が発生したり、交通機関が麻痺し物流が行き届かなくなって市民生活に大きな影響があったところでございます。
平成30年度の利用は、くらしの窓作品展のほか、過去に博物館で展示された「なめりかわ昭和今昔写真館」の常設展示があり、来場者数は310人です。令和元年度はくらしの窓作品展のほか、「なめりかわ昭和今昔写真館」の常設展示、水野均氏写真展があり、来場者数は429人です。
今ほど角川議員がおっしゃいましたとおり、このSLは貴重なものでございまして、昭和46年に日本カーバイド工業さんから本市のほうへ無償譲渡された経緯もございます。 旧児童館とともに市民に親しまれてきたところではございますが、劣化も進んでいることから、現在立入禁止としているところでございます。 最終的な結論というものは出ておりませんが、現状を維持する形となっているところでございます。
滑川に関しましても、昭和40年代までは上市川が蛇行しており、滑川、水橋の流域の町内は洪水に何度となく見舞われております。沖田川の流域においても、放水路完成まで何度となく洪水に見舞われています。早月川も昭和30年代に氾濫しており、犠牲者の方はまだ遺体が見つかっておりません。このように、富山県はどの市町村も水との闘いであることを忘れてはいけません。
また、滑川漁業協同組合において昭和56年に設置された船舶給油施設地下貯蔵タンクの施設改修並びに滑川漁港周辺における漁網等の整理を計画されていることから、このたび漁業振興事業基金を活用し助成を行うため、所要の予算を計上しております。
昭和62年から現在の方式でほたるいか海上観光を実施してまいりました。本当に滑川の観光の一番の基の観光であろうと思っておりますので、そういう意味で、今年度初めて全期間運航ができなかったということで誠に残念に思っておるところでございます。
昭和生まれのアナログ育ちの先生方も含めて、教える側の先生は、この情報端末機を使いこなせる環境をどのようにつくっていくのか伺います。 ○議長(原 明君) 広田学務課長。 ○学務課長(広田積芳君) これまでも学校におけるICT活用研修会を教職員を対象として実施し、教員のICT機器の活用能力の向上に取り組んできたところであります。
また、施設についても、約60%が平成の建物であり耐用年数もある、残り40%が昭和の建物であるが、再三再四、一級建築士から耐震診断してもらったが、問題がないという説明もされております。 そのほかの建築物について、最近までは滑川蒲鉾の製造の施設として使われており、メンテナンスも十分に行われていたということも説明を受けております。
特に昭和56年、いわゆる耐震前の建物が複数存在します。やはり気になるのが、れんが造り1階、128.93平米。耐震は大丈夫でしょうか。 私の知り合いに聞きましたら、れんがづくりなんて3匹の子豚じゃあるまいしというふうにちょっと笑われてしまったんですけれども、私も最近の登記でいろいろ建物を見ていますけれども、れんがづくりはあまり見たことがありません。
私は昭和18年生まれ、20年に終戦を迎えました。それからずっと自分ところの自家用の野菜を見てきたわけです。ピーナッツもつくっておりました。ゴマも自家製、小豆も黒豆も、大豆も、全部自分のところのうちでつくっていたものです。 でありますので、滑川でつくれないものはないんじゃないかと。つくれる可能性のあるものは全部つくったらいいじゃないかと。
昭和44年8月の豪雨では、早月川、上市川が決壊し、大きな被害が発生したときの被災写真や説明が展示されており、また今まで起きた水害、火災、地震、寄り回り波などの被災写真など、わかりやすく展示されていました。よくここまで調べ上げられたと感心して、学芸員さんには頭の下がる思いでおります。
この地区は、改めて言うまでもなく、昭和初期・中期、昭和40年、50年、私どもの小さいころは、市内さらしや通りに次いで瀬羽町ということで、1番、2番の繁華街としてにぎわったところだと思っております。
時代が進みまして、昭和55年での65歳以上の割合は、初の10%超えをしております。11.2%です。私は昭和57年生まれですので、その2年前、39年前はどんな時代かといいますと、モスクワオリンピックが開催されたが、日本をはじめとする西側陣営の約50カ国がボイコットした冷戦時代でありましたし、富山県では、中田幸吉知事から中沖豊県政へ変わった年でもあります。
建築年が古くて法定耐用年数を超えている施設につきましては、例えば隣にありますが、昭和32年に建設されました寺家小学校の教室棟ですとか、それから私たちが今おります市庁舎は昭和38年に建設されております。 いずれにいたしましても、平成25年から平成26年にかけて大規模修繕といいますか、大規模改修と耐震化により長寿命化が図られているところでございます。
滑川市制60周年記念事業の1つとして、平成25年に開催した企画展「なめりかわ昭和今昔写真館」は、多くの市民に来場いただくなど好評をいただき、展示図録も会期終了直後に完売いたしました。その後も展覧会の再開催や図録の再版を求める声も寄せられています。
昭和44年に駅舎と併設された農協会館建設時は、金融機関や小売店、飲食店等があり、駅利用者数も多く、にぎわっていたと思います。現在のように郊外型の大規模集客施設はなかったことや、住宅の郊外化等による人の流れも少なかった時代から、時間の経過とともに市民ニーズが郊外へと移るようになり、老朽化し解体される前からにぎわいが薄れていき、各店舗の集客力は低下していったのではないかと思っております。