鳥取市議会 2010-09-01 平成22年 9月定例会(第2号) 本文
青谷上寺地遺跡あるいは妻木晩田遺跡などの出土遺物などから、環日本海をめぐる交流は少なくとも約2,000年の昔、弥生時代にまでさかのぼることができます。古代より我が国は中国大陸、朝鮮半島からさまざまな文物を受け入れてまいりました。そういう意味では中国・韓国は文化の大恩の国であり、父・母、兄・姉の国であるわけであります。また、ロシアの日本海沿岸地域と我が国との交流の歴史も数多く刻まれております。
青谷上寺地遺跡あるいは妻木晩田遺跡などの出土遺物などから、環日本海をめぐる交流は少なくとも約2,000年の昔、弥生時代にまでさかのぼることができます。古代より我が国は中国大陸、朝鮮半島からさまざまな文物を受け入れてまいりました。そういう意味では中国・韓国は文化の大恩の国であり、父・母、兄・姉の国であるわけであります。また、ロシアの日本海沿岸地域と我が国との交流の歴史も数多く刻まれております。
まず、伯耆古代の丘公園についてでございますが、伯耆古代の丘公園の建築物は弥生時代の歴史的イメージを再現させるため、ほとんどが木造を中心としたものとなっております。
概要は、弥生時代中期から古墳時代初頭の集落跡で、竪穴式住居跡、掘っ立て住建物跡、木管墓等、遺物包含層から山陰地方初例となる有鉤銅釧片が出土しましたということでありまして、この特別な遺物である有鉤銅釧がこの地で発見されたことは、北九州など当時の先進地域と何らかの関連を持つと考えられる、そういう勢力が因幡南東部地域に存在し、この地から交易の拠点となっていた可能性がある点で、今後この地域を再評価すべき発見
渡町にお住まいの田中文也氏からは、弥生時代の日本の中心は山陰ではなかったのかという御自身の著書や講演会を通じ、地域に誇りを持てる、地域を元気にする、また中海圏域や山陰の一体感を醸成するためにも大変よいテーマをいただいたと感じておりまして、感謝を申し上げているところであります。以上でございます。 ○議長(松下 克君) 教育長の答弁を求めます。 根平教育長。
もちろんこちらの方としましても望むところということで、現在幹事会と、それから私や経済部長入らせていただいて、観光業者の方とか地元の自治会代表の方とか、もちろん県も入って、これからどのように進めていこうかということで、1回目、私出た回では佐古先生の講演と、それからいろんな意見出し合ったんですけども、あのゾーン一帯での弥生時代、それから古墳時代、それから白鳳時代、やっぱりきちんとストーリーといいますか、
今回、鳥取市が取得する予定地では弥生時代の復元建物、体験学習のための水田、多目的広場、イベント広場等の施設が計画されています。今後は具体的な整備に必要となる基本設計、実施設計を行いまして、民有地の公有化状況を勘案しながら、段階的に整備を図っていきたいと考えております。
古くは弥生時代、あるいは奈良時代の古事記、万葉集、それからその後の戦国時代の歴史、あるいは江戸時代を通じて城下町として発展してきた鳥取市の姿の中に、歴史的、文化的ないろいろな観光資源がございます。また、地域の伝統・文化、民芸とか、あるいは地域でお祭りがありますが、こういう中にも大変すばらしい観光資源があるように思います。 そして、最後に人の資源ということがあります。
この資料館には、福部町内から出土した縄文時代前期から人々が永住して、そして弥生時代、古墳時代と長期にわたって地方と交流があったというあかしとしての数々の遺跡が点在してきた地域であります。こうした地域から発掘調査によって出土した埋蔵文化財の中には、国の重要文化財や県の指定文化財などが含まれているわけです。
古くは弥生時代、いろんな遺跡もございます。奈良の時代の「古事記」「万葉集」にもうたわれたこの因幡の地でございます。そういった地域の持つさまざまな歴史的、文化的、そして産業面、観光面の魅力、これは自信を持って紹介をして、ともに楽しんでいただきたいというふうに思うわけでございます。
そして国立公園大山という豊かな自然、あるいは松江の江戸期以降の名所とか旧跡、あと古代弥生時代の遺跡ですね、それから出雲の方に行きますと神々の神話の地でありますし、境港に行きますと妖怪ブロンズ像などの新たな観光資源とか山陰一の湯の量を誇ります皆生温泉を初めとする豊かな温泉といった多様で豊富な観光資源が割合短い距離の間で連たんしているというのがこの圏域の大きな特徴ではないかと考えております。
確かに出土遺物というのは県の所有ということになっておるようですけども、県との十分な連携のもとに、先ほど教育長もおっしゃられたように、「地下の弥生博物館」という弥生時代の遺跡のガイダンス施設としてグレードアップしていく必要があるんじゃないかと考えます。 それから、市長が先日の田村議員の外国人観光客の誘致という質問に答えて、因幡国際観光協議会を10月に発足というようなお話もございました。
次がこの公園の目玉であると思われます高さ15メートルの弥生時代の高床建物でございます。こちら、その途中の階段でございます。これが一番上のフロアでございます。ごらんになってわかりますが、この白い点々がいっぱいあるんですけども、鳥のふんでございます。足の踏み場もないほどびっしりでございました。
次に、新たな観光資源の開拓、開発についてでございますが、上淀廃寺跡、妻木晩田遺跡等、淀江地区の歴史的遺産を観光に活用する方策につきましては、1つ1つの遺産を点として個別に御紹介することはもちろんですが、全体の遺跡を面ととらえて弥生時代から飛鳥時代にかけての歴史的遺産地区として御紹介し、周遊していただく方式も検討したいと思っております。
○(内藤議員) なかなか具体的な話が出てこないわけでございますが、例えば弥生時代の古代の生活体験ですとか縄文・弥生土器の創作体験、あるいは名水の利用、どんぐりそば・どんぐり豆腐・おからケーキづくり、季節をにぎわわします山菜とりやそれを利用した料理教室あるいは薬ぜんづくり、森歩き、広葉樹の植栽、いろいろなことが今、民間から、まだまだ小さい芽ではございますが、出てきております。
今さら私が申し上げるまでもありませんが、平成10年青谷羽合道路、また、アクセス道路の建設に先立って行われました埋蔵文化財発掘調査で、弥生時代のものと思われる青谷上寺地遺跡が見つかりました。その後の調査で、皆様もよく御存じのとおり、地下に眠る弥生の博物館と言われるほど多種多様な遺構、遺物が良好な保存状態で出土しております。
今回は、弥生時代における山陰を代表する遺跡であり、日本有数の遺跡として注目を浴びている青谷上寺地遺跡と妻木晩田遺跡について、最新報告を予定しています。一般の方に文化財に対する知識、興味を深めていただきたいと存じます。 市史編さん事業におきましては、新修米子市史第1巻通史編「原始・古代・中世」の発刊を予定しております。
この試掘調査によって、主に弥生時代から奈良時代にかけての住居跡、古墳、溝、水田跡などの遺跡と土器、石器などの出土品を確認しております。このため、開発に当たっては、遺跡の確認された範囲約5万平方メートルについては、本発掘の調査が必要と考えております。
皆様既に御承知のとおり、妻木晩田遺跡群は、米子市に隣接する淀江町と大山町にまたがる丘陵地に出現した弥生時代の大規模な村の跡で、その規模は約160ヘクタールにも及び、吉野ケ里遺跡をはるかにしのぐスケールで、しかも尾根ごとに異なった機能を備えた弥生時代の一大都市の跡をほぼ完全な形で残しています。
弥生時代後期の集落としては国内最大規模であり、佐賀県の吉野ケ里遺跡をも上回る考古学的価値があるといわれている妻木晩田遺跡群の保存問題が、今なお全国の注目を集めております。国内外の考古学者が全面保存を訴えているだけでなく、文化庁も国の史跡としての価値があるとして、県教委に全面保存を要請しています。
また、遺跡を公園に活用してはとの御提案でございますけれども、調査の結果、弥生時代の竪穴式住居跡、掘立柱建物跡などが確認されたとのことでございます。したがいまして、これらを記録にとどめるようにいたしますが、活用することにつきましては考えておりません。御理解をいただきたいと思います。