18件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

  • 1

八頭町議会 2018-12-13 平成30年第 9回定例会(第4日目12月13日)

当時の天皇政府のそういった方々。そういう権力は永久に除去せられざるべからず。当時の戦争教育勅語大日本帝国憲法軍人勅諭、そういうものによって国民混用がんじがらめにしてしまって、それを日本の途端の国民を途端に苦しめた。こういう苦い経験があります。そういう立場に立ったらどうしたって衆議院でも参議院でも廃止せざるを得なかったのが教育勅語

八頭町議会 2018-09-21 平成30年第 7回定例会(第5日目 9月21日)

二つあったんですね、国体変革すること、これは天皇のいわゆる体制、これに批判的な人、それから私有財産制度を否認することを目的にして結社を組織私有財産制度資本主義制度を批判する人、こういった人たち弾圧対象になりました。  それで、私1点だけ、この弾圧対象になった方の代表的ないわゆる方をちょっと紹介して、それで賛成討論にかえます。私が学生時代にある映画を見ました、人間革命という映画です。

岩美町議会 2017-06-14 06月14日-01号

それで、もう一つ、忘れてならないのは、教育勅語は、誕生すると同時に、子供はもちろんですが、大人も含めた全ての国民を支配する、そして天皇国家のために身をささげようというふうに教化し続けた。そうした教育侵略戦争を支えたということを忘れてはならないということだと思います。

琴浦町議会 2017-03-23 平成29年第 2回定例会(第5日 3月23日)

戦前天皇政府は、侵略戦争に反対する国民治安維持法によって徹底的に思想弾圧しました。この戦前の反省から、戦後の刑法思想、良心の自由を保障する日本国憲法精神を貫き、国民思想内心の自由を処罰しない原則を確立いたしました。犯罪の結果が生じて初めて処罰するのが大原則です。300近い犯罪について共謀、つまり内心の段階で処罰する共謀罪は、日本刑法原則を大転換するものであります。  

琴浦町議会 2015-03-10 平成27年第 2回定例会(第2日 3月10日)

日本歴史を大局的に見て、レジーム、つまり体制変革は、鎌倉時代武士階級が政治の実験を握り、明治維新までざっと700年、封建制から君主制資本主義へのブルジョア革命明治維新、絶対天皇覇権国家の崩壊が第2次世界大戦、これは革命的変革をもたらしました。これに費やした時間が70年、その敗戦からことしは70年、歴史の運命的なものを感じます。

八頭町議会 2011-09-22 平成23年第11回定例会(第6日目 9月22日)

みんな、天皇のいわゆる当時の政府の行為によって起きた戦争です。非常に多大な犠牲を強いました、国内でも、国外でも。そのいわゆる推進の原動力となったのが、日の丸であり君が代であった。これは、世界周知の事実ですよ。日本人の中にだって、そういう考え方を持っている人はたくさんいる。  だから、言いたいのは、反対する立場人たちの心をそんたくしたら、内心の自由で、そういった問題は。

琴浦町議会 2011-03-10 平成23年第2回定例会(第2日 3月10日)

封建時代身分差別が同和問題の起源だと言われますが、資本主義革命となった明治維新でも、絶対主義的君主制である天皇敗戦というブルジョア革命によって崩壊しても、同和問題は解決しませんでした。  戦後の日本において、同和問題の解決に向けた動きは、何といっても昭和40年、1965年の同和対策審議会答申、いわゆる同対審答申であります。

琴浦町議会 2008-09-17 平成20年第5回定例会(第2日 9月17日)

1868年の明治維新は、いわゆるブルジョア民主革命の一種で、絶対制で天皇という君主制資本主義への移行だったんです。それによりどのような変化が起こったかというと、四民、つまり士農工商平等による職業の自由、関所の廃止による移動の自由、太政官布告によるえた非人の呼称の廃止という民主的処置がとられた。

伯耆町議会 2007-03-22 平成19年 3月第 2回定例会(第3日 3月22日)

しかし、絶対主義天皇侵略戦争弾圧の強化の中で、組織の解体が余儀なくされてきました。第二次大戦の戦後、1946年に部落解放運動は再出発をして、1955年に名称を部落解放同盟としています。  しかし、60年代の半ばごろからこの部落解放同盟内の一部勢力が部落民以外はすべて差別者、このように主張する運動を進めて、部落解放運動が変質させられてきました。

鳥取市議会 1999-09-01 平成11年 9月定例会(第4号) 本文

いろんなことを引き合いに出されての御質問でございましたけれども、この問題につきましては、国民それぞれいろんな理解の仕方があると、私もそのように承知いたしておりますが、私は、時の流れもあると思いますし、いろんな解釈があると思うわけでありますけれども、天皇を歌ったものとして理解するよりも、我が国が永遠に繁栄することを願った意味の歌詞であると、こう考えるのが至当と理解いたしているところでございます。

米子市議会 1995-09-29 平成 7年第395回定例会(第4号 9月29日)

治安維持法は、戦前の絶対主義天皇に反対して主権在民を唱え、侵略戦争に反対して平和を求めた政党、個人、団体、それを根絶するために、でっち上げ、拷問、虐殺など、暴虐の限りを尽くし、驚くべき人権無視弾圧体制を確立したまさに希代の悪法であったということはどなたも一致するところだと思います。  

米子市議会 1995-07-07 平成 7年第394回定例会(第7号 7月 7日)

治安維持法は1925年に制定され、戦前の絶対主義天皇のもとで、今では国民にとって当たり前のことになっている、例えば、主権在民を唱えたり、戦争に反対したりすることまでも取り締まるという国民弾圧治安立法で、その非民主制のために戦後間もなく、1945年10月に連合軍の指令で廃止されたものです。

米子市議会 1993-03-24 平成 5年第380回定例会(第7号 3月24日)

治安維持法は、戦前の絶対主義天皇のもとで主権在民を唱え侵略戦争に反対したことを主な理由とする国民弾圧法律でした。私たちの身近な犠牲者でも、農民運動家の二本木の大山初太郎、同佐々木隆太郎、河岡の岡本一郎、灘町の足鹿覚、また労働組合運動などでは、西倉吉町の米村健高木利一など、ほとんどが逮捕、投獄、中にはひどい拷問の末、懲役刑に処せられています。

  • 1