琴浦町議会 2005-06-16 平成17年第4回定例会(第1日 6月16日)
原爆が投下されまして60周年に当たるわけでございますが、この間でも世界じゅうで戦火は絶えることはありませんでしたが、平和な社会の実現はすべての人々が求めてやまないものであり、その基本にはやはり人と人とか相互に理解を深めあったり、また平和のたっとさを学ぶなど、心豊かな心をはぐくんでいくことが大切だろうと考えておりますが、そういった視点に立ちながら、町民の皆さんには毎年8月には町立図書館におきまして、人間愛
原爆が投下されまして60周年に当たるわけでございますが、この間でも世界じゅうで戦火は絶えることはありませんでしたが、平和な社会の実現はすべての人々が求めてやまないものであり、その基本にはやはり人と人とか相互に理解を深めあったり、また平和のたっとさを学ぶなど、心豊かな心をはぐくんでいくことが大切だろうと考えておりますが、そういった視点に立ちながら、町民の皆さんには毎年8月には町立図書館におきまして、人間愛
それで、破裂箇所や何かを検査する方法といたしましては、マンホールの部分から人間で言えばファイバースコープみたいなもののカメラを入れていくことやら、基本的にはやっぱり升から升の間の水の状況をしっかりと地表から観測するということが管の状況を一番管理をしていく上では重要なことのように承知をしております。
それからもう1点、やはり森林の整備が不十分であるということで、我が湯梨浜でも被害等が出ております有害動物、イノシシとかシカとかヌートリアとか猿とか、そういうところが人間がやはり奥地に入っていかないということでどんどん里地の方までおりてくる。稲を含めた農作物を荒らしていく。町としてもそれについて予算をつけて、駆除費とかなんかをつけている。
また、この取り組みが児童の豊かな感性をはぐくみ、将来の人間形成の一助になると考えておりまして、教育委員会とも十分な連携をとりながら取り組みを進めてまいるというふうに考えております。 以上でございます。
いよいよ最終日で、皆さんお疲れのこととは思いますが、ゴールが見えてくると、また人間元気になるものですので、張り切って質問をさせていただきたいと思います。 質問の本題に入ります前に、今回私は、新倉吉の建設計画におけるまちづくり構想ということに対しても質問していくわけですが、本題に入ります前に1つの思いを述べさせていただきたいと思います。
人間としての楽しみも必要です。ぜいたくをしたいと言っているのでは障害者はありません。人としての暮らし、普通の暮らしをしたいと言っておられます。理不尽な法ではないでしょうか。 2つ目、公的負担医療の問題について。現在は、先ほどおっしゃったんですが、所得に応じて育成医療、更生医療、精神医療の保障がされております。これが自立支援医療として一元化され、原則医療費の1割負担に食費が加えられます。
その中で、環境教育の推進方策についての取り組みがありますが、環境教育の目的は、環境問題に関心を持ち、環境に対する人間の責任と役割を理解し、環境保全に参加する態度と環境問題解決のための能力を育成することが明確に示されました。行動に結びつけていく人材を育てることが環境教育の重要な目的とされています。学校における環境教育の取り組みについて、教育長の答弁を求めるものであります。
結団式で市長は一瞬にして貴い物を亡くする火災の恐ろしさ、いざという時の人間の混乱ぶり、無力さ、備えの大切さを話されました。土蔵群の文化財焼失の痛ましい経験、教訓から出た説得力ある訓示でした。 合併協議会では、消防防災において当面は現行となっている検討課題が幾つかありますが、火災や各種災害は役所の事情には合わせてはくれません。甚大な損害を防ぐ対応策は喫緊の課題です。
市民の中には、人間のあり方、人間像についてさまざまな考え方があります。心は、考え方、精神、意識の問題でもあります。公権力を持つ行政が市民の心のあり方に関与して人づくりをするという表現は適切ではなく、誤解さえ与えかねないものであります。どうお考えでしょうか。 2つには、効率的で質の高い市役所づくりです。
人間としてみんな同じように、力があれば取り組める、選択肢が広がったという面では、この男女共同参画社会というのはとても大事なことだと思っているのです。私自身は、お酒をどうぞとか歌をどうぞと言われたときに、ぐさぐさっと心の中から血がどーっとあふれているのが、「これはセクハラだで」と言ってくださる回りの方が出てきてなくなった、これは本当にありがたいなと。
多分最初の質問は、戦後60年の教育のひずみというようなことをおっしゃっていたように思いますけれども、教育は国家百年の計とよく言われますけれども、教育のあり方やその内容、方法、これは国や地域社会の目指すべき方向を描いた上で、求められる人間像を念頭に置いて具現化されてきたと、このように思います。しかし、御指摘のように、さまざまな問題が生じ、さまざまな改革が現在進められているところだと思っております。
人間に向かって危害を与えることはなく、ことわざにある猪突猛進のイメージとはかなり異なる。高さ70センチまでは楽々とその場で飛び越せる。20センチのすり抜けもできる。鼻は60キログラム程度は押し上げられるというように運動能力が優秀である。犬に匹敵する臭覚、目もよく見える。学習能力が高く、鋭い感覚能力と高い知力を有する。人間と同じく胃が1つで、消化のよいものを好む。
そして、皆さん御承知のように、かたい人間性というようなことが相まって今日の中京圏の隆盛ということになっておるんですけれども、自主財源の乏しい鳥取市は、やはり県外や海外に通用する技術やものづくりをすることが大事だというふうに思っておるわけですけれども、市長さんはものづくりをどのように認識しておられるのでしょうか、お尋ねします。
現在考えられております改革が、人間力向上の教育改革を否定するような流れは短絡的で、教育方針が軽々しく変わるようでは人間の礎を育てる学校教育に問題があるのではないでしょうか。教育長の御見解をお伺いをいたします。 次に、教育の地方分権が説かれてから久しいわけであります。
人間は往々にして、自分が生きてきた道で尺度というか、それで判断をしがちなものだというように私は思っております。
平木さんは、八東小学校の校長を退職されまして、信条とされましては、就学前教育、小中学校の連携強化、また、人間の基礎・基本を身につける教育の充実、家庭教育・社会教育の充実、こういうものに力を特に入れたい。また、いろんな意味での先生は活躍の場が欲しいというふうなことでお願いしましたところ、ご快諾をいただいたところでございます。 任期といたしましては、2年間でございます。
学校教育の充実につきましては、教育施設の整備拡充を図り、児童・生徒の良好な教育環境の確保に努めるとともに、特色ある校風を樹立し、児童・生徒が生涯にわたって学習していくための基礎を培うという観点に立って、自己の可能性を追求し、我がまちや人を愛し、やさしさや思いやりなど豊かな心と健康でたくましい体を持ち、誠実に生きる人間の育成を目指す学校教育を推進してまいります。
ここで、フランスの物理学者、思想家、パスカルの言葉「人間は考える葦である」のことわざを思い起こしてください。人間はアシのようにか弱いものであるが、思考するという1点において何にもまさる尊厳を有しているのです。つまり発想の転換をして、前進が図られる英断を期待するものです。
立派な人間を育てることが日本の、また世界のためにたゆまざる努力が必要であると思っております。子供たちにとっても、充実した教育を受けることが知性と豊かな人間性をはぐくむことによって、みずからの人生が開けてくるのではないかと思っております。 さて、教育は施設ではなく、中身であるということは承知しております。
食事はあすへの活力であり、体のためによく疾病予防の特効薬であるはずのその食が、人間の存在に必要なものでなく、近ごろは食害のもとになっているものもあります。衣・食・住の三大要素の食の面を考えると、生命の糧とも言われるように生きていく上で最も基本的で重要なものです。食は文化であり歴史的に集積され、民族、国家、地域、個人のそれぞれのレベルで異なるものです。