港区議会 2021-02-19 令和3年第1回定例会−02月19日-03号
昨年はコロナ禍で集会が開けず、遺品の展示と献花だけでした。区議会も事故を知らない議員が増えているため、御遺族を講師に勉強会を計画しましたが、コロナ禍で中止せざるを得ませんでした。御遺族は、二度とあのような事故を起こさせないために事故を風化させないこと、日頃誰もが普通に使うエレベーターの安全のために、全てのエレベーターに戸開走行保護装置を設置させる運動などに取り組んできました。
昨年はコロナ禍で集会が開けず、遺品の展示と献花だけでした。区議会も事故を知らない議員が増えているため、御遺族を講師に勉強会を計画しましたが、コロナ禍で中止せざるを得ませんでした。御遺族は、二度とあのような事故を起こさせないために事故を風化させないこと、日頃誰もが普通に使うエレベーターの安全のために、全てのエレベーターに戸開走行保護装置を設置させる運動などに取り組んできました。
被爆者の証言や広島平和記念資料館、いわゆる原爆資料館での多くの原爆遺品、広島の高校生が被爆者の証言を聞き、その証言を絵にするという活動の経験などを通して、改めて核兵器の無差別性、残虐性を強く感じました。
○副委員長(風見利男君) だから遺品やいろいろについてはそのままということですね。そこはいじっていないわけでしょ。 ○赤坂地区総合支所まちづくり担当課長(大久保光正君) 風見副委員長ご指摘の遺品等につきましては、そのままごらんいただけるものと考えてございます。 ○副委員長(風見利男君) あと、1階から2階の部屋に上がるのには、かなり急な階段です。
公営住宅に住んでいた方は、それぞれ区や東京都が遺品整理や部屋の清掃、原状回復などを行いますが、民間のアパートの場合は、孤独死などで発見までに時間を要した場合、部屋の原状回復に多額の費用が発生し、親族や大家さんにとって、さらなる負担になります。区は、「民・民の契約だから敷金等で清算を」と言いますが、このようなやり方では、単身の生活保護受給者はアパートを探せなくなってしまいます。
被災しました旧乃木邸の内部の一般公開は、両年度とも中止しまして、旧乃木邸内の馬小屋前におきまして、遺品と旧乃木邸内の写真パネル展示を行いました。委員お尋ねの9月12日、13日の合計来場者数でございますが、平成24年度は701人、平成25年度は544人でございます。 ○委員(阿部浩子君) 今、ご答弁いただいたとおりに、多くの来場者だったと思います。
また、乃木将軍が身につけていた軍服をはじめとする遺品が展示されていました。このパネル展示は、平成24年、25年にも行われましたが、ことしの9月12日、13日のパネル展示にはどのくらいの方が来場されたのでしょうか、お聞きします。 ○赤坂地区総合支所まちづくり担当課長(大久保光正君) ことしのパネル展示は、昨年に引き続き乃木公園内の馬屋の前で、9月12日、13日の2日間行いました。
そのため、これまで乃木将軍の命日に合わせて行ってきました旧乃木邸の一般公開につきましては、旧乃木邸の中庭におきまして、ことし9月12日、13日の2日間、乃木将軍の遺品の一部と被災前の建物の中を撮影しました写真のパネル展示を行いました。現在、建物の耐震診断等の調査を行っております。その調査結果が来年2月に出てまいります。
会津松平家由来の資料として歴史的に貴重であるとともに、大名家の宗教儀礼を伝える資料としても貴重な遺品であるということでございます。 以上、3件を指定いたしました。
ノートということであれば、私物ですから遺品として遺族に返却されるべきものだったと思うんです。 私が今、一番危惧しているのが、これはちょっと質問しても、恐らく皆さんご答弁できないと思いますし、あるいは個人情報の兼ね合いもありますから質問にはしませんけれども、このことがどういった意思を持って処分されたかというのは不明。
この偉人の偉業、没後102年、2001年の新世紀に、低迷した日本に、明治維新のような改革と新風を起こせるような人材、逸材を育成する環境を与えるべく、勝海舟の歴史的功績をたたえ、その志を尊重し、貴重な資料・遺品を守り、保存して受け継ぎ、後世に伝えられるのは、この地しかありません。港区の大きなPRになるとともに、史跡を訪れる人々による経済効果はまちの活性化にもつながると期待できます。
試掘調査が行われ、この中で近代、近世、奈良、平安時代、古墳、弥生、縄文時代など 1,976件もの出土品、遺品が発掘されています。この地は江戸時代の毛利家麻布下屋敷があったところであり、屋敷図なども残っています。今後の調査と発掘によって、さらに縄文時代から近世の埋蔵文化財が出土する可能性も大きく秘められています。保存措置をとることも当然考えられます。
また、昭和42年に『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』、東京大学出版会が書いた文献があります。それから、いのくま議員が全体会議で話されていた『文化財保護の歩み』という文献があります。その四つがこの増上寺の文化財について述べている文献です。
東大出版会が発行した「徳川将軍墓とその遺品・遺体」では、台徳院(秀忠)墓から二個の巨石が出たこと、慎徳院(家慶)墓からもさらに大きな石が三個出たと記録されています。このうちの一つは、長さ三百五十四センチメートル、幅百五十三センチメートル、厚さ百二十六センチメートル。同じような大きさがもう一つ。写真で比較すると、所沢にある二つの巨石は台徳院か慎徳院、どちらかの墓にあったものと思われます。
その内容は、「東京大学出版会」が刊行した『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』(鈴木尚)にまとめられています。(以下「報告書」といいます)。 その報告書には「増上寺にあった徳川家霊廟は、もともとは増上寺の本堂を挟んで南と北の両方にあり、南には台徳院(二代秀忠)霊廟があり、崇源院夫人の霊牌所を付属としている。また、少し北西に寄って、本堂の北後にあたるところに六代家宣父清揚院綱重の廟が設けられていた。
ここ数年の業務の実態を、改めて私ども、ヒアリングで調べた結果、見直しの内容に書いてございますとおり、死亡された方の遺品や遺骨等の取り扱いをするわけですが、ほとんどの業務が警察の方でとり行われておりまして、ある意味で、かなり整理整頓された形で生活福祉課の職員が引き継ぎを受けるということでございますので、業務実態に合わせて、金額を1,500円に改定をするというものでございます。