国分寺市議会 2008-08-28 平成20年 第3回定例会(第2日) 本文 開催日: 2008-08-28
さきに作家で元経済企画庁長官であります堺屋太一さんが『文藝春秋』に「恐慌的スタグフレーションが来る」というような論稿を寄せられております。その中で、これまでの1990年代については失われた10年であるということを言っておられましたけれども、次に2000年代というのはリクライニング・ディケード、つまり凋落の10年というような言い方をされております。
さきに作家で元経済企画庁長官であります堺屋太一さんが『文藝春秋』に「恐慌的スタグフレーションが来る」というような論稿を寄せられております。その中で、これまでの1990年代については失われた10年であるということを言っておられましたけれども、次に2000年代というのはリクライニング・ディケード、つまり凋落の10年というような言い方をされております。
1点目は、団塊の世代とは、作家で、元経済企画庁長官でありました堺屋太一氏が命名した用語であります。昭和22年から昭和24年に生まれた世代とされておりまして、全国で約800万人いるとされておりますが、青梅市の団塊の世代に当たる方は何人いらっしゃるのか、明らかにしていただきたいと存じます。
基調講演を行った堺屋太一元経済企画庁長官は、日本の家庭内犯罪の背景に言及し、1980年代以降家庭はばらばらで食事し、テレビを見るようになった。携帯電話の普及で、互いの交友関係が見えなくなった、保育や介護まで公共サービスにゆだねるようになったなど変化が急速に進んだことで、家族の結束が崩れていると指摘しています。
ちなみに、「団塊の世代」とは、堺屋太一さんが著書の題名にしたもので、戦後のベビーブームの世代に生まれた人々を指すそうです。しかし、今の65歳――65歳といっても前期高齢者。しかし、今の若い方々は元気であります。吉住区長も66歳でありますが、ご自身が前期高齢者という位置づけとの認識は余りないと思います。
作家の堺屋太一さんも、その著書の中で、さまざまな分析からも、今の日本の高齢者は実年齢から12歳は差し引いたほどの若さがあると指摘されております。また、殊に女性においては、世界の全地域、そして歴史上最も若くて美しいのは現在の日本の女性であると主張されているのであります。先輩方に敬意を表し、この言葉を紹介させていただきます。
高齢者の「高」の字を「幸」と置き換えて、幸せに年を重ねた幸齢者とは堺屋太一氏の論であります。まさに幸せに年を重ねた方々、幸齢者だからこそ、長年培った経験や特技、わざ、知識も豊富なのであります。
以前テレビで堺屋太一氏が人口減少社会の中で唯一生産性が上がった例がある。それはローマだった,そのように話されていたのを覚えております。そのときローマは何をしたか,山間部や農村部にいる人たちを全員都市部に集めました。今の日本は人口減少化社会であります。そして東京の人口はふえております。
作家の堺屋太一氏が1980年に「団塊の世代」を発刊して以来、団塊の世代という言葉が生まれたわけでございます。堺屋氏は昭和22年、1947年から昭和26年、1951年ごろまでに生まれた人々を意味してつけた世代の名前でございますが、まさしくこの年代の人々が定年退職等する時期後生じるさまざまな問題が「2007年問題」として称されてきたのは御案内のところでございます。
堺屋太一さんは、結果の平等よりも機会の平等と、これもそのとおりでありまして、何も否定することはないんですけれども、これはある一定の経済状態のもとで成り立つ原則ですよね。それは雇用が一定している、有効求人倍率が多い、景気がいいと、こういう前提条件で成立する図式ですね。したがって、今はそういう時代ですべてを律することはできない。
○高齢者支援課長(矢崎博一君) 団塊の世代につきましては、堺屋太一が書きました『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』という中で、団塊の世代の特徴を「金持ち、知恵持ち、時間持ち」と言っております。昨年、港区が実施いたしました意識調査からは、団塊の世代の特徴といたしまして、約半数が30年以上の居住者であったこと。それから約3割が年間収入で1,000万円を超えていたということ。
これはたしか堺屋太一さんの言葉だったと思いますが、好きなことを通じて縁ができてくるつながりといいますか、つまり、公民館での趣味であるとか、学習であるとか、そういう活動を通しての人のつながり、あるいはPTAの活動を通しての人のつながりといったようなこと、あるいは1つの目的を持った人のつながり。
一方、1976年に小説「団塊の世代」を発表し、団塊の世代の名づけ親となった堺屋太一さんは、これから団塊の世代にとって黄金の10年が始まると言われています。定年は職場や職業の縁でつながる「職縁社会」の終わりであり、自由な世界へのスタートである。そこで幸せな人生を送るには、自分が本当に好きなことを探すことだと述べられています。
かつて軽井沢と言えば大変有名な観光地というか、保養地になっていたのですが、その原因というのは、堺屋太一氏の研究によりますと、何とか軽井沢を盛り上げていきたいという地元の熱意ある一青年がアイデアを工夫しまして「都会の皆さん、夏に軽井沢に来てビールを飲みますと、軽井沢は乾燥していておいしいですよ。」というところからスタートしたらしいのです。
2007年問題と言われておりますが、堺屋太一の1976年の小説「団塊の世代」によって登場した言葉でありますが、この大量退職時代に対応するために民間の企業では、例えば成績優秀な営業担当、コンピューター技術者など退職していく職員の技術や知恵をいかに組織内に残して顧客へのサービスレベルを下げずに充実させていくか、さまざまな方策が検討されていると聞いています。
1976年に堺屋太一氏が「団塊の世代」という著書を出版していますが、ベビーブーマー、全共闘世代、ニューファミリー、ニューサーティーなど、団塊世代ほど造語を生んだ世代はなく、また過去よりその世代の性格をテーマにした書籍も多いのですが、ここでは先頃ベストセラーになった「下流社会」の著者、三浦あつしさん、この人は、パルコに入社した後、商品マーケティング情報誌の世界から、消費・都市・文化研究シンクタンクを設立
これは堺屋太一がある本で述べていたのですけれども、地元に地元を愛する1人の青年がこういうことを東京に向かって発信した。それは夏に軽井沢に来ると空気が乾燥してビールがうまいよということを宣伝した。それがきっかけになって、みんな夏に軽井沢に行ってビールを飲んだのです。ところが、実際のところ気象学的には、夏の軽井沢というのはそんなにからっとしていないのです。
第二次大戦直後の1947年からの3年間に生まれたベビーブーマーたちを、作家堺屋太一は団塊の世代と名づけましたが、この世代が2007年から2010年にかけて一斉に定年退職を迎える。その社会に与える影響が、2007年問題と呼ばれております。一説では、4年間に見込まれる全国の退職者数は300万人。これに対する退職金は、国の一般会計に匹敵する80兆円とのことであります。
自分らしいセカンドライフを見つけよう、三十年の知識と経験があれば何だってできると、団塊の世代の名づけ親である堺屋太一さんは語られています。仕事であれ、趣味であれ、幾らやっても疲れない。いつでも、どこでもしゃべりたくなる、本当に好きなものを探すことができればと思うのであります。 そこで伺います。
昭和22年、23年、24年生まれを「団塊の世代」と命名いたしましたのは堺屋太一氏でございます。2007年から始まる10年を「黄金の十年」と堺屋太一氏は呼んでおります。今までの経験、意欲、健康を維持し、同好の士とともにやりたかったことにトライし、地域社会に貢献する、そんな元気な団塊世代がつくるこれからの高齢社会に期待を寄せていると堺屋太一氏は述べられております。
そこで、ちょうどこんなことが出ていたので読ませてもらうんですけれども、文藝春秋発行の堺屋太一の「団塊の世代「黄金の十年」が始まる」ということでもって、団塊の時代が始まる、団塊が時代を変えるとの書籍が出ているんです。団塊が行くところ、常に巨大市場が、団塊の定年で自由な労働力が出現する。70歳まで働くことを選べる社会を、そして、好きなことを見つけて10年打ち込める。