大田区議会 2021-03-11 令和 3年 3月 予算特別委員会-03月11日-01号
災害時の避難には、それぞれの家で過ごす在宅避難、車やテントなどの屋外避難、予測できる台風などに備え、親戚やホテルに避難する疎開避難などがあります。今定例会で自民党の岸田議員の議会質問に、在宅避難者にも支援物資や情報が届けられると答弁がありました。この情報が行き届いていないため、避難所に行かないと支援物資がもらえないと、区民の中で広く認識されています。
災害時の避難には、それぞれの家で過ごす在宅避難、車やテントなどの屋外避難、予測できる台風などに備え、親戚やホテルに避難する疎開避難などがあります。今定例会で自民党の岸田議員の議会質問に、在宅避難者にも支援物資や情報が届けられると答弁がありました。この情報が行き届いていないため、避難所に行かないと支援物資がもらえないと、区民の中で広く認識されています。
3点目は、学童疎開の件は、江東図書館で分かりやすく、場所がここにあるよというのを書いていただいてよかったんですけれども、3月10日の大空襲のことがないんですよね。各学校の周年行事等に行ったら、各学校で3月10日にこういう状態だったという写真等が掲げられているところもあるんですけれども、3月10日の大空襲の資料というのはどういうふうに位置づけられているか。
現在、江東区立図書館運営方針の検討が進められていますけれども、今回は一点のみ、学童集団疎開資料室運営事業について伺います。 戦争の悲惨さと平和の尊さを、戦争を知らない世代に引き継ぐための重要な事業と思っています。戦後76年を迎えます。
あと、長野県の山ノ内町も50周年のときなんですが、このきっかけは、第二次世界大戦の足立区の国民学校26校の子どもたちが疎開をした先だということなんです。 そこで実は、まちづくりトラストで郷土博物館に石碑を造ったんです。「平和祈念碑建立」と書いていますが。これは多分、疎開した人たちが造ったんだと。まちづくりトラストですよね。
今想定している避難所生活者が首都直下型地震で約23万人、大田区外に出る疎開者が約12万人と予想されております。復興・復旧に長い時間がかかれば、疎開された方々が大田区に戻ってくる割合が少なくなり、大田区の活力がそがれ、にぎわいや活気のあるまちになるのに時間がかかります。大田区が発展するためにも、まず壊れないまちであることが大切です。
その風景を変えていくには、戦略的な植栽を取り入れることで柳原の疎開通りの桜と連動させて、大踏切から日光街道、千住仲町、千住河原町の魅力を高めるなどの取組が必要と考えます。答弁を求めます。 次に、歴史的資源、松尾芭蕉「奥の細道」出立の地、旧日光街道宿場町としての歴史的ロマンなどの価値は地元だからこそ正当な評価ができないことがあります。なぜなら、当たり前のこととして伝承されるからであります。
東京府立第七中学校、現墨田川高校に入学、昭和20年3月の東京大空襲では逃げまどい、中川を漂流し、死にかける体験をし、茨城県の県立下妻中学校を経て父親の生家のある新潟県長岡市へ疎開後、県立長岡中学校3年次で終戦を迎え、卒業後、東京へ戻り東京大学へ進学。大学ではボート部で活躍したそうでありますから、恐らくは隅田川でも競技されたのではないかと思います。墨田区にとっては、大きなえにしのある方でもあります。
区は、これまでも平和の大切さや尊さをあまねく区民の皆様に広くお伝えしていくため、平和パネル展の開催や東京空襲関連パネル展の開催に加え、次代を担う子どもたちを対象とした平和に関する紙芝居や映画鑑賞の実施、学童疎開の絵日記の展示、平和首長会議が主催する絵画コンテストへの参加等の各種取組を実施してまいりました。
ここで書いてあります長井市、山形県にありますけれども、こちらは児童文学作家の角野栄子さんも疎開の時に行かれていたようでして、今も新刊を発行すると、その本をやり取りするような、寄贈されたりとかということでお付き合いが続いているそうです。
次に、15ページ、「地域に根差した図書館」での取組では、5)「地域を知る」取組として、19「郷土資料の収集・活用の推進」、20「貴重資料の保存・活用の推進」、21「学童集団疎開資料の収集・企画の充実」に取り組むことといたします。 また、6)「地域との連携強化」として、22「特色ある図書館サービス」、23「区民や地域、区立公共施設等との連携強化」に取り組むことといたします。
◎総務部長(瀬谷真君) 避難所における利用人数でございますが、清瀬市地域防災計画におきましては、震災時に避難人口約1万1,000人、その内訳としては、疎開者3,800人、避難生活者7,200人としております。
僕のほうで調べると、アンケートでは、被災地域以外親戚、知人宅等への疎開というのが約20%ぐらいいるんじゃないかというふうに言われています。これが、実際この人数で換算すると杉並区では約3万5,000人。
歴史をひもときますと、かつて戦時中の話なんですが、空襲の危険が高まると、都会の子どもたちは地方に学童疎開して、難を逃れていたということがありました。松本市の和田地区にも、世田谷の奥沢国民学校、現在の奥沢小学校のことなんですが、奥沢小学校のおよそ四千人を超える児童たちが集団疎開をしたということなんです。
また、特にご紹介したいところは、昨年は、鶴岡市との友好都市を結ぶきっかけとなりました学童疎開から75周年ということで、疎開団体の皆様20名ほどでございましたけれども、鶴岡市を訪問されまして、親睦を深められております。非常に印象的な交流がございましたので、この場を借りてご紹介させていただきます。
先ほどの家で頑張るというのも関係しますが、もし三鷹の自分の住んでいる家が十分でないとか、もしくは、避難所も十分でないというときには、疎開じゃないですけれども、山梨県のほうに取りあえず一時避難するとか、そういったことも含めて、地域間の連携というのも必要ではないかなというふうに、見ていてちょっと感じたところでございます。
荒川の破堤可能性が高まるぐらいの大きい台風だと、結局、関東一円ほとんどやられてしまうという状況で、最初は避難疎開だとか、もう少し荒川から離れた例えば市部のほうに逃げればいいんじゃないかという話で進めていたんですが、結局、どこに逃げても全部やられてしまうという話、川が近いところでしたらなってしまいました。
そのため、避難所での3密を回避するために、避難者受入れについては、学校避難所のほか、在宅避難、親戚宅等への疎開避難や、ホテル等の民間施設の活用も含めた「避難の分散化」を図ることが有効であるため、現在、都や関係機関と具体的な対策の協議を行っています。 また、避難所内での感染防止に必要な検温計、手指の消毒液、マスク等の備蓄を進めているところです。
さらに、新型コロナウイルス感染症が収束していない現状を踏まえ、避難所を開設する場合には、できる限り避難所に避難者が集中しないよう在宅避難や知人宅等への疎開避難に加え、ホテル等民間施設を含めた避難の分散化について、都や関係機関と具体的な協議を行っています。
それで疎開者数--疎開者数というのは、多分ばらばらで避難されている方が2万345人。そうすると、避難所に行く方が、避難所で生活する方が3万7,784人という単純計算なんですけれども、これを74か所で割ると、1施設当たり510人という計算が出てくるんです。
学童疎開をしながらやっていたわけですから。もうこれだけ、2か月間お休みの状況が続いているというのをいま一度、教育というところの視点から見直して、これからの、6月以降の学校教育に生かしていただきたいと思いますけれど、どうでしょうか。 ○委員長 指導課長。 ◎瀧田健二 指導課長 今のご意見を頂戴して、本当に様々な面で研究を進めてまいりたいと思います。ありがとうございます。