多摩市議会 2019-06-19 2019年06月19日 令和元年第2回定例会(第5日) 本文
2問目なのですが、まず平和事業の問題でございますけれども、私は昭和16年に生まれて、そして昭和20年には父の九州大分県の森町というところに疎開をしたのですが、そのときに、ちょうど4歳のときですが、夕暮れでもない真夏に、空が異様な明るさを、真っ赤な空を見たことをまだ鮮明に覚えております。それは、今思いますと、長崎に原子爆弾が落ちた。その結果の気象状況だったと思います。
2問目なのですが、まず平和事業の問題でございますけれども、私は昭和16年に生まれて、そして昭和20年には父の九州大分県の森町というところに疎開をしたのですが、そのときに、ちょうど4歳のときですが、夕暮れでもない真夏に、空が異様な明るさを、真っ赤な空を見たことをまだ鮮明に覚えております。それは、今思いますと、長崎に原子爆弾が落ちた。その結果の気象状況だったと思います。
次に(2)なのですけれども、1,000点ぐらい戦時中の生活に関するもの、軍事に関するもの等々、様々なものがあるというお話でしたけれども、主に太平洋戦争関連資料が現存する資料の多数を占めているのかなと感じるのですけれども、例えば、広島、長崎、沖縄関連の資料ですとか、疎開先でのもの、そうした資料の他に、証言など、あるいは第二次世界大戦全体に関するようなものはいくつかあるのでしょうか。
改修に当たり、改めて観覧順路をつくり、学童疎開、子どもの教育、広島・長崎原爆など、テーマを設けた展示にすることで理解や学習しやすい工夫をいたします。これにより観覧順路にゆとりができ、車椅子でも観覧できるスペースを確保し、障害のある方やお子さん連れの方も安全に観覧できるようになります。
現在、郷土歴史館でも、戦争をテーマに出征時に地域の方々が寄せ書きをした日章旗や、疎開時の写真などを常時展示しております。 来年度は、区長部局と連携し、戦争に関する資料を展示した平和展や、戦争体験者から戦争の実体験を聞く講座等を開催するとともに、高齢化する戦争体験者の体験談を映像で記録し、次世代に伝える貴重な歴史資料も制作してまいります。
そして、避難人口は約12万9,000人に上り、その内訳は、避難生活者約8万4,000人、疎開者4万5,000人とされております。 本市においても、避難所生活が長期にわたる場合を想定して、避難者ができるだけ体力を消耗せず、復旧・復興に取り組めるための施設整備が求められます。
◆清水 委員 以前、大田区内で学校の先生をしてくださった方が、9月21日の絵本をつくってくれていまして、本当に主人公の男の子が、空襲が終わって、やっとみんな疎開先から帰ってきて、みんなで楽しく遊んだり、貝をとったりして親を助けたりしていたら、突然退去命令で、大八車に載せていかなくてはいけなくなったと。
太平洋戦争中に戦火を逃れるため、江戸川区の学童は家庭を遠く離れて山形県鶴岡市とその周辺で疎開生活を送りました。戦後に東京に帰って成人してからも、鶴岡の豊かな土地柄や温かい人々の心を忘れなかった方々が鶴岡市との交流を始め、友情の輪が広がり始めました。そして、この友情の輪を区民・市民全体に広げ、平和の尊さを語り継ぐために、一九八一年に江戸川区と鶴岡市は友好都市の盟約を結びました。
この5万8,443人のうち市内の避難所に避難する避難生活者数は3万7,988人、市内の避難所以外で生活する疎開者人口は2万455人と想定しております。避難所での避難者の受け入れは体育館から行い、スペースが足りない場合は校舎の低層階から開放することとなっております。
ただ、その中でやはり江戸川区と鶴岡の37年前に斎藤第六市長と中里区長がこの恩を忘れずということで、疎開の縁で友好都市の縁を結んだわけです。その当時、当然行政、役所も一体となって頑張ったので、組合の関係の方もかなりある意味では、この庄内の連合と話をしてくれたりして参画をしてくれました。
356 ◯江東図書館長 貴重資料につきましては、深川図書館で所蔵する浮世絵、街頭紙芝居や、江東図書館の学童集団疎開室の写真や絵手紙などについてデジタル化をしているところでございます。また、深川図書館の戦前資料などの貴重な資料につきましては、デジタル化は行っておりませんが、資料の劣化防止のための脱酸化処理を実施しているところでございます。
◎茶谷信一 文化課長 定義ということはちょっと難しい話になってきますけれども、友好都市、鶴岡市と安曇野市とは例えば穂高町に有明小学校を借りて保養地をつくったり、あとは疎開の歴史で鶴岡とは歴史的なつながりの中で都市の友好を結んだりしているところであります。
また、8月になると、本区の平和事業として、戦争の惨禍を語る東京大空襲や学童疎開のパネル展などが開催されております。 本区では、昭和61年12月、江東区平和都市宣言がなされました。
駒繋小学校では、第六学年児童が社会科の授業で資料館を訪問し、戦争当時の食事を体験したり、戦争時に世田谷区の子どもたちが疎開していたときの写真や家族に宛てた手紙を見たりして、貴重な資料をもとに体験的な学習を進めております。子どもたちから戦争のころの人々の暮らしがよくわかったなどの感想を聞いております。
最後には、学童疎開資料室運営事業についてです。 この事業は予算的には少ないわけですけれども、歴史を伝えるためには重要な事業と考えています。毎年8月と3月にイベントを実施していると認識していますが、3月1日の区報には、今週末の10日、11日に東京大空襲などに関連した、一般向けとこども向けの映画会を開催し、あわせて関連資料の展示を行うと紹介されていました。
その中で執筆に向かっていくという方向でございましたけれども、小学校を中心に平成29年度から収集にあたっていたところ、戦後直後の学校の各種お便りや行政文書、それから、学童疎開に関する文書等が多く見つかったということがありました。
死者数につきましては17名,建物被害は全壊・焼失で751棟,半壊が1,287棟,避難者は避難生活者が8,216人,疎開者が4,424人,火災は594棟,ライフラインにつきましては停電率が5.6%,ガスの供給停止が100%,上水道の断水率が25.8%,下水道の管渠被害率が17.5%,固定電話の不通率が3.7%となっております。
都心の大規模な災害が発生した場合、台東区では首都直下型地震による東京の被害想定報告書、平成24年4月によると、全壊戸数6,687戸、半壊戸数9,953戸、避難生活者5万774人、疎開人口2万7,340人となっています。
◎済美教育センター所長 各学校では、社会科の学習、それから国語の戦争に関する教材を読み深めたりする、そういう学習との関連の中で、集団疎開を経験した方、被爆体験をされた方、先人から戦争体験について話を伺ったりする、そういう学習をしております。
栃木県塩谷郡藤原町川治温泉に戦争当時、旧芝区の子どもたちが疎開し、そのお礼に寄贈したピアノが復活したと、NHKの首都圏ニュースで放映されました。東京都南海国民学校の児童253名と58名の教職員が、1944年8月22日から翌年10月15日まで、川治温泉に学童疎開しました。疎開から港区に帰る際に、ピアノをお礼に寄贈しました。
一方、足立区では、今お話があったように、8月の初めから順次、庁舎ホールで原爆被害者の方々や学童疎開の取り組みとか、そして区主催の平和展示会が開催されて、その中で、今おっしゃったように核兵器に関する署名が机上に置かれていました。 私も早速、それを見に行ったんですよ。そうしましたら、その署名の表題を見て、本当に目を疑ったんですね。核兵器禁止条約の交渉開始等を求める署名という名称だったんです。