世田谷区議会 1995-03-03 平成 7年 3月 定例会−03月03日-02号
いじめの問題の最後に、いじめと暴力を許さない学校づくりには、親、教師、地域と連携をとりながらも、教育がその学校現場で自主的に豊かに展開することが大切です。上からの押しつけで、教師の管理、統制を進めても、何ら教育現場の荒廃をなくすことにはつながりません。教師の取り組みを尊重した学校教育を進めるべきと考えますが、区の見解を求めます。 次に、子供のアレルギー対策の抜本的強化を求めて質問いたします。
いじめの問題の最後に、いじめと暴力を許さない学校づくりには、親、教師、地域と連携をとりながらも、教育がその学校現場で自主的に豊かに展開することが大切です。上からの押しつけで、教師の管理、統制を進めても、何ら教育現場の荒廃をなくすことにはつながりません。教師の取り組みを尊重した学校教育を進めるべきと考えますが、区の見解を求めます。 次に、子供のアレルギー対策の抜本的強化を求めて質問いたします。
いじめは、統計上わずかしか数えられないという状況も生まれているのですが、結局、こういう考え方がいじめを正当化することにつながりますし、いじめる側の生徒たちを、暴力、たかり等を常習するというような、最も非人間的な状況で放置することにもなるわけであります。 大した問題にならないからと言って小さないじめを見逃さず、この観点を貫くことは大変重要だと考えます。
いじめには、一、仲間外れにする、二、暴力を振るう、三、相手の嫌がることをする、させる等のいろいろな形態があります。これらのいじめは、主として学校生活を中心とした子供たちの人間関係の中で生じていることから、教育問題として、教育委員会や学校が早急に取り組むべき課題であります。
具体的な相談につきましては、仲よしグループだったのに、自分だけが仲間外れにされたとか、あるいは臭い、机を触るなというような言葉の暴力を受けるなど、その内容は多岐にわたっております。
それは、授業は面白くないから学校は嫌だという点で一致しており、一方はその嫌さが陰性に発展して不登校となり、他方は陽性に変異して暴力へ指向する。こう見ると、これまで多くの事例から何となくうなずけるのであります。 小学校の中学年の児童が一か月も学校へ行かない。母親が近所の友達に頼んで無理無理連れて行ってもらったら元気で帰ってきた。それからの彼はあんなに嫌がっていた学校へ行き始めた。
仲間を思いやるのではなく、追い越すことが求められ、連帯が薄れ孤立する子どもたちが増え、校内が荒み、暴力やいじめが例外なくすべての学校に起きて不思議ない状況にあります。学校の授業についていけない子どもたちがクラスの半数を超えており、不登校児童生徒がこれも増えています。この責任は子どもたちにあるのではなく教育の側に責任があることは明らかであります。
次は、暴力を振るうが 763件に達しております。深刻な実態を浮き彫りにしております。 つい二、三日ほど前にも、茨城県の中2のA君がいじめを苦に自殺して、しかも、遺書が残っております。それはつい二、三日前のことでございました。これは茨城県。東京都ではありません。などなど、いじめ問題が深刻化しておりますことは御承知のとおりでございます。
訴えにつきましては、そこにありますとおり、冷やかしからお節介等いじめの形態に基づいてまとめたものでございますが、冷やかし・からかいが32件、暴力を振るわれたというのが20件、集団による無視が29件、たかり18件、持ち物隠しが6件となっております。
2枚目に移りますと、5番目で、いじめはどんな形で多く見られるのかということですが、そこの中では、小・中ともやはり、言葉によるいじめ、あるいは冷やかし・からかいというものが多く、また暴力を振るわれたといういじめの種類、こういったものが、この種類の中では結果的に多く出ております。 6点目には、学校においては、そのいじめに対してどのように対応してきているか。
特定の人間に対する軽蔑、侮辱の体制、これは一種の暴力による服従でもあるわけでございまして、人間を大事にする教育の立場からは、そういう面では厳しく批判されるべきものでありますけれども、いわば人を大事にする、人権を何よりも大事にする、これが子供たちへの教育だけでなく、大人社会にも今こそ求められているときではなかろうかと思います。
学校の中で子供たちが、当然のことながら、いじめというのはいろんなケースがあって、今一言で申し上げましたけれども、いじめの形態もさまざまありまして、そのあらわれ方というのは暴力行為に及ぶ場合も新聞報道のようなケースとしてあったわけですし、それから、言葉等のからかいとか冷やかしとか、そういうたぐいのいじめもやはりあるかと思いますし、あるいは仲間外れをするという、そんな形でのいじめのあらわれ方もあるかと思
暴力というか、そういうこともあった。しかし、最近のいじめというのはもっともっと陰湿で表面に出ない。そして、その被害者もまた、そのように教えられたのか、それとも、例えば愛知県の某君のような極めて優秀な少年だったんでしょうか。周りを気遣いながら、そのことを話もしないという解釈をしていいのか。あるいは、それとは逆に、もう完全に口をとめられてしまっているのか。
多くの国民はこの条約の精神とこれに定められた子供の権利を生かしていじめや校内暴力、登校拒否や体罰、そして校則問題など矛盾に満ちた日本の教育の現実を打開することを期待しており、教育行政はこれにこたえ条約の趣旨を徹底し、子供の権利の実現に必要な条件整備を図ることに責任を負っています。教育委員会はこの条約批准をどう認識し、どのような方法で子供たちに広報、普及しているのかお伺いいたします。
ちょっと長くなりますけども、電話相談室の中では、現在のところ本年度に入りまして三件ございますが、やはり言葉の暴力、それから後ろからいすを投げかけられるというようなことがあったりとか、そういうことが原因のものがありますということでございました。それから教育相談室、大体この間下田議員さんの時に申し上げました件数の中で、大体三、四割はいじめに関係があると。
最後になりましたが、今、愛知県のあの痛ましい事件について、ついせんだっての定例校長会でも、このようなことが我が市の中で起こらないように──調布市の場合は10数年前と比べれば、市内29校、随分と落ちついて、学校現場、教育相談所を通して、教育委員会としても、以前と比べものにならないほど、いじめ、あるいは校内暴力的なものも減っておりますが、全くゼロになっているわけではございません。
青少年の健全育成については、青少年課をスタートさせましたり、これから本格的にさらに各方面のご尽力をいただいて、青少年の健全育成に取り組んでいきたいというふうに思っておりますし、また、学校等の子供の社会のいじめとか、あるいは暴力とかというようなことは、学校の教職員を中心として、これからも総力を挙げて取り組んでいかなければならない問題だろうと思いますが、具体的には教育委員会からお答えをさせていただきたいというふうに
そのような中で、1クラスでも暴力、つまり体罰が行われているならば、子供たちにとっては楽しい学校になるはずがありません。それは体罰を受ける子供も、それを見ているクラスメイトにとっても苦痛以外の何物でもありません。教師の暴力、体罰によって表向き従うかもしれませんが、むしろ教師に対する不信感、あるいは感情的にしこりが残るだけではないでしょうか。
例えば、偏差値教育、また男女平等教育、そして障害児教育、それから差別を受けず、教師の暴力やえこひいき、またいじめの発生等々、現在の教育が抱える問題も込められております。また、16条では、児童のプライバシー、家族、住居、またはその通信に不法な干渉を受けない。また、その名誉及び信用を不法に侵害されない。現状では、子供のプライバシー保護で、自由に成績の評価など本人に示されなくてもよいと定められています。
登校拒否、校内暴力、いじめ等、集団生活を営む学校生活の中で、さまざまな問題点が指摘されています。先日も新聞で愛知県で起こったいじめによる中学二年生の自殺が報道されました。学校は非常に自己弁護に必死で、親や地域は静観し、加害者の生徒たちに至っては口裏合わせをするという始末、とても悲しいできごとであります。
ですから、そういうことを非常に、器物破損の場合はどうする、暴力行為の場合はどうするとか、暴言の場合はどうするとか、もうきめ細かな対応をみんなで話し合いまして現在やっております。ですから、そういうことを校長、教頭を中心に、まずは自校の保護者に理解してもらうと。それから、そういう保護者から今度入ってくる保護者等にもその様子を知らせていただくということは一つあろうかと思います。