清瀬市議会 2021-06-11 06月11日-03号
本市の特別支援学級は、昭和40年代に知的障害特別支援学級が設置された後、実態を鑑みて、自閉症、情緒障害特別支援学級が併設されて設置された経緯がございます。当時はまだ、知的障害や自閉症、情緒障害に対する指導方法や教育課程の研究が始まったばかりで、手探りの中でのスタートでありました。
本市の特別支援学級は、昭和40年代に知的障害特別支援学級が設置された後、実態を鑑みて、自閉症、情緒障害特別支援学級が併設されて設置された経緯がございます。当時はまだ、知的障害や自閉症、情緒障害に対する指導方法や教育課程の研究が始まったばかりで、手探りの中でのスタートでありました。
その前にまず、本市の特別支援学級の歴史を振り返りますと、昭和40年代に知的障害特別支援学級が配置された後、実態を鑑みて、自閉症・情緒障害特別支援学級が併設され、設置された経緯がございます。当時はまだ知的障害や自閉症、情緒障害に対する指導方法や教育課程の研究は始まったばかりで、手探りの中でのスタートでありました。
会期の決定日程第4 閉会中の委員会経過報告 議会運営委員会日程第5 議長辞職について日程第6 議長の選挙日程第7 副議長辞職について日程第8 副議長の選挙日程第9 議員辞職について日程第10 常任委員会等委員の選任日程第11 議会運営委員会委員の選任日程第12 柳泉園組合議会議員の選挙日程第13 東京たま広域資源循環組合議会議員の選挙日程第14 多摩六都科学館組合議会議員の選挙日程第15 昭和病院企業団議会議員
この陳情は、結核予防会労働組合清瀬支部、救世軍清瀬病院労働組合、昭和病院労働組合から提出され、新型コロナウイルス感染症の対応の経験から明らかになったことは、感染症病床や集中治療室の大幅な不足、感染症対策医療を中心に担っている公立、公的病院の重要性、医師、看護師、介護職員の人員不足や保健所の不足問題などで、これらの背景には90年代後半から続いてきた社会保障費の抑制策や公衆衛生施策の縮減にあります。
私の知り得ないこともちょっと聞いたりはしたのですが、当時、昭和50年代に秋津駅が清瀬駅より先に開発をするという話がありました。そんな中でそれが頓挫して清瀬市のほうに行ってしまった。その背景とかいろいろあるのですが、当時地権者の方がその開発に対しては組合施行でやりたいといった絵をもう描いてあったといった話も聞きました。
中澤副市長は、昭和51年に清瀬市職員となって以来、45年にわたり清瀬市の発展のために尽くされました。清瀬市が抱える数多くの課題、厳しい社会情勢、財政状況の中にあっても正面から立ち向かい行財政改革を進めるなど、将来を見据えたまちづくりを進めてきました。 また、音楽による地域活性化や文化のまちづくりについても、多大なるご理解をしてくださいました。
言うまでもなく、清瀬市は、世界三大感染症の一つである結核治療の世界的な中心拠点であり、かねて渋谷市長のおっしゃられているとおりに、昭和の初めより結核治療とともに苦楽ともに合わせて発展をしてきたまちです。それゆえ病院のまち、医療のまち清瀬として今日認知されてきました。
中澤副市長は昭和51年に入庁以来、財政課長、都市計画課長、企画部長などを歴任され、平成23年7月からは副市長として私を支えてくれました。財政畑が長く、バブルが崩壊し、清瀬市の財政が最も厳しい時期に、時には厳しく、時には大胆に清瀬市の財政運営を担っていただきました。
保健事業費の昭和病院企業団運営事業は3,008万5,000円の増額補正で、新型コロナウイルス感染症の影響により病院経営が逼迫していることから、構成市7市で患者割等で案分し、財政支援するためのものです。 保健事業費の休日急病診療事業の委託料に70万8,000円の増額補正は、新型コロナウイルス感染症の拡大リスクを勘案し、年末年始の診療医療機関を3日間ほど増開設するための費用。
ご指摘の清瀬駅南口については、昭和42年に現在の駅前ロータリーができて以来、50年以上が経過する中、社会状況の変化や、まちの発展に伴う交通量や人通りの変化により、早急な整備が市民の皆様から求められていると認識をしています。
まさに、ここら辺をもうちょっとよく読んでみると、源義さんが入院していたのは石油ショックの頃とあるので、恐らく昭和48年か49年頃なのでしょうね。 石田波郷さんというのは、その前の10年前ぐらいに、昭和39年に東京病院で亡くなっている。
中央公園に文化勲章をいただいた澄川先生が、昭和50年代だったと思うのですが、平和の塔の作品をもう造られております。そして、東京スカイツリーが建てられた場所というのは、一番爆撃を受けて、東京大空襲での被害者が、あの周辺にたくさんやられた場所です。それから、関東大震災でも東京スカイツリー周辺がやられている。江戸時代の安政の大地震でもやられている。
○議長(渋谷けいし君) 次に、昭和病院企業団議会の報告を求めます。 鈴木議員。 〔第12番 鈴木たかし君 登壇〕 ◆第12番(鈴木たかし君) 昭和病院企業団議会の報告をいたします。 令和2年第2回定例会は、11月20日金曜午前9時半より、昭和病院企業団議会議場において開催され、議員全員出席の下、提出された議事について審議を行いました。
陳情者からは早期実現ということだが、具体性についてどうかという質問に対し、文部科学省は昭和30年頃から全学年35人を要求しているが、なかなか実現しなかった。財務省としては、少子化にもかかわらず巨額の財源を使うことに対する疑問、また、学級規模を小さくして本当に効果はあるのかどうか、エビデンスを示すように言われたときに、実は文部科学省には学力が上がったというエビデンスがない。
谷口さんは、昭和50年代に清瀬市にお住まいになり、既に定年で退職した本市図書館司書の義理の弟に当たる関係から、当時は、創作の参考にと、図書館所蔵の写真集などの図書を度々ご利用いただいておりました。「歩くひと」新装版の出版に当たりまして、作者・作品とともに清瀬市にゆかりがあることから、先日出版社から「図書館にご寄贈を」のお話をいただき、早速お贈りいただいております。
◆第9番(友野和子君) 私が本定例会初日に行いました昭和病院企業団議会報告の中で行政報告の際、令和元年度とすべきところ、昭和元年度と2か所報告してしまいました。おわびして訂正させていただきます。 ○議長(渋谷けいし君) ただいま友野議員より発言の訂正の申出がございましたので、議長において会議録を精査いたします。 会議を続行いたします。
○議長(渋谷けいし君) 次に、昭和病院企業団議会の報告を求めます。 第9番友野和子議員。 〔第9番 友野和子君 登壇〕 ◆第9番(友野和子君) それでは、昭和病院企業団議会第1回臨時会の報告をいたします。 第1回臨時会は、令和2年7月28日火曜日午前9時半より昭和病院企業団会議室にて、議員一人欠席の下で開催されました。
そこには公立昭和病院も入っていますよね、どうでしょうか。遅れていないということを、どういう根拠でおっしゃったのか。 ○議長(渋谷けいし君) 矢ヶ崎包括ケア・健康推進担当部長。
松山地域市民センターは昭和58年建築で、30年以上経過しており、老朽化は否めませんが、建築基準法改正後に建てられているため、耐震性は比較的高く、また平成27年度に屋上防水工事を行っており、当分の間は建て替えせずに建物を活用できるのではないかと考えます。 さて、松山地域市民センター隣の清瀬商工会館については、松山地域市民センターに移転したらどうだろうかという意見があります。
社会福祉基金繰入金は、交通遺児及び難病疾患者への援護を目的に昭和51年度に設置されましたが、使途が限定的であるとともに、基金残高がほかの基金と比較して少額であり、近年では活用されていないことから廃止し、残額741万3,000円を全額繰り入れ、歳出予算の難病疾患者交通遺児援護金の財源とします。 歳出では、障害者福祉費の自立支援給付事業の扶助費に1億1,000万円の増額補正です。