練馬区議会 2015-09-07 09月07日-02号
この随筆枠は、小泉信三さんをはじめとした著名人が歴代の執筆者として名を連ねている歴史のある枠として知られており、平成8年まで執筆を担当していた司馬遼太郎さんが死去した際、編集者の依頼を幾度となく固辞した後に引き受けられたそうです。 氏は、4年半前の東日本大震災後に「復興は早いはず」と述べられ、その発言の根底には、敗戦とその後の成長を目撃してきた体験に基づく日本人への信頼がありました。
この随筆枠は、小泉信三さんをはじめとした著名人が歴代の執筆者として名を連ねている歴史のある枠として知られており、平成8年まで執筆を担当していた司馬遼太郎さんが死去した際、編集者の依頼を幾度となく固辞した後に引き受けられたそうです。 氏は、4年半前の東日本大震災後に「復興は早いはず」と述べられ、その発言の根底には、敗戦とその後の成長を目撃してきた体験に基づく日本人への信頼がありました。
戦前から戦後にかけて慶應義塾大学の塾長を務められました経済学者の小泉信三さんは、スポーツの与える3つの宝として、練習は不可能を可能にするという体験・努力、フェアプレーの精神・正義、そして生涯のよき友、この3つを挙げられております。
あと、私は、慶應義塾というところを卒業しておりまして、慶應義塾という学校では、先生というのは福沢諭吉先生だけでありまして、あとはどんなすぐれた、例えば小泉信三さんのような方でも、君で呼ぶというふうな例があります。今の、外してほしいというふうなことを言われるのは、大変心外であります。
東京新聞のコラムだったと思うのですが、元慶應大学塾長の小泉信三先生がスポーツが与える3つの宝を話されている記事がありました。
そんなある日、慶応大学の小泉信三塾長が学生野球の父と言われる飛田穂洲早大監督に「早慶戦」を申し込む。二度と帰れないかもしれない若者たちに生きたあかしを残してやりたい。小泉塾長の切なる願いを飛田も喜んで受け入れるが、早稲田大学総長は頑として拒絶する。早大監督の強行突破でついに幕をあける早慶戦、それは別れであると同時にあすへの希望に満ちたゲームだったと、映画のパンフレットは解説しています。
このときの現場の状況を知る資料がないかと思っていましたところ、ちょうど学生のころ読んだ小泉信三さんの海軍主計大尉小泉信吉という本の中に一節があることを思い出しました。この本の内容は、話すと長くなるのでやめますが──時間がないんで、少し早くやります。そのときの震災の状況が非常にわかるように書いてあります。省略しまして。