杉並区議会 2012-03-06 平成24年 3月 6日基本構想に関する特別委員会−03月06日-01号
田中区長は第1回の基本構想審議会の中で、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」という小説から、明治時代の人たちは、幕末から新しい時代が開かれていく中で、おのおのの立場において自分たちがこれから目指すものを見据え、一生懸命汗をかいたということを引き合いに、杉並区でも、区民と行政の目標を共有する、それが基本構想であってほしい旨の話をされました。
田中区長は第1回の基本構想審議会の中で、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」という小説から、明治時代の人たちは、幕末から新しい時代が開かれていく中で、おのおのの立場において自分たちがこれから目指すものを見据え、一生懸命汗をかいたということを引き合いに、杉並区でも、区民と行政の目標を共有する、それが基本構想であってほしい旨の話をされました。
かつて坂の上の雲を目指し、どんな困難にも顔を上げ、前を向いて一歩一歩、決して歩みをとめなかった誇りと気概を取り戻さなければなりません。 東日本大震災の経験は、我々に喪失感を与えただけではありません。当たり前に享受していた豊かさを再確認し、人と人とのきずな、次の世代への思いを新たにさせてくれました。
この10年、20年積もり積もった、いろいろな社会保障の制度から、税金あるいは産業のあり方から、全部先送りにしてきたことが地震でリセットをかけられたと自分は思っていまして、ですから、今、テレビで「坂の上の雲」ってやっていますけれども、新しい国づくりを今進めていく時期だ、そんな戦後最大の転換期に今の日本はあるんだと思っています。
導入例を紹介いたしますと、平成19年に愛媛県松山市が司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」から発想を得た雲形のナンバープレートを導入したのに続いて、静岡県と山梨県の富士山周辺の市町村では、越県である富士山ナンバー導入と同時に富士山型のナンバープレートを導入されました。
一番初めに行ったのは愛媛県松山市で、これは司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」の舞台にちなみ、雲型のナンバープレートを導入しています。これは形状を変えているものです。また、多摩地域においては、調布市のゲゲゲの鬼太郎や三鷹市の宮崎 駿氏のデザインしたPokiというキャラクター、また、青梅市の赤塚不二夫氏のイヤミとニャロメのナンバープレートなどがあります。
原付バイクのナンバープレートは、自動車などと違って、形状や図柄は実際に交付している自治体で決められることから、平成19年2月に松山市が小説「坂の上の雲」にちなんだ雲形のプレートに変えました。これがご当地プレートの先駆けとなり、今では約60の自治体がまちにゆかりのキャラクター、地形、歴史、特産物などをモチーフにして自分たちのまちを上手に表現しています。
例えばでございますが、糸瓜忌のときには、9月の1カ月間、子規庵と連携をして相互の割引入場券をやりましたり、それから「坂の上の雲」の放映等が行われましたときには、12月から2カ月間など、特別割引というようなことで、ともに、来ていただいた方にお楽しみいただくような工夫をしてございます。 ○委員長 高柳委員。
しかし、それでもなお、坂の上の雲をみつめながら歩んでいきたいと思っております。区長には、ぜひ将来像を高く掲げ続けていただきたいと期待しております。 さて、話を基本計画に戻しますが、学識経験者の中には、基本計画の計画期間がこのように急激に変化をする社会状況では、5年、10年というスパンでは長過ぎるのでは、むしろ首長の任期に合わせるべきだという考え方もあるようでございます。
昨年の第1回定例会において、本区が目指すべき区の形や進むべき方向性について、私は司馬遼太郎さんの代表作と言われる「坂の上の雲」のさまざまな歴史上の人物を題材にして質問をさせていただきました。ここでくどく申し上げることは差し控えますが、最も注目すべきは当時の人々の生きざまであります。考え方の相違はどうであれ、日本が世界に雄飛しようとする輝ける時代であります。
ですから、究極的に平和をもたらしたいと思っているのですけれども、「坂の上の雲」などがNHKでやっていますけれども、秋山好古ですか、彼は何と言ったのかど忘れしましたけれども、人間というものは戦争を起こす、争うものだと、必ず争う。
会社側からは見返りを求めないようにという形で、きちっと研修を受けてやっておりますので、大変に恐縮なんですけれども、また後半、お話ししますけれども、坂の上の雲かなという形の部分で、現場ではそういった形でされているので、あえてこちら側から云々ということはどうなのかなと。
さて、我が国の歴史を振り返りますと、中央集権システムが明治以降の文明開化や殖産興業、いわゆる「坂の上の雲」を追いかけた時代には、まさに「坂の上の雲」というのは、模範にすべき欧米先進国だったわけでありますが、こういう時期には非常に大きな推進力になりましたし、さらに戦後の復興や高度経済成長期に国全体で一丸となって事をなしていくというケースも、これまた、この中央集権システムは大きな推進力となったことは疑いのない
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出てくる秋山真之ではありませんが、双眼鏡をじっと見て、その先の細かいところを見るのではなく、自分は全体を見てリーダーシップを発揮していくと、そういうくだりもあります。そのような区長だと私は信じておりますので、どうぞそのままお続けをいただきたいと思います。 また、区長には、私の質問は、厳しい、きついとやゆされているようでありまして、私の耳にもよく入ってまいります。
これは、私が私淑する作家、司馬遼太郎氏の名作、「坂の上の雲」の一節でありますが、私は基本構想が目指す江東区を実現させ、未来のこどもたちへ美しい町を残したいという夢を果たすため、区長としての重責を担いながら、区政という坂道を上り続けてまいりたいと切に願っているところであります。
さて、上野の山を核として、隣接地区への観光ルートの拡大も求められますが、その一つに、世界的に大変な価値のあるコレクションを持つ書道博物館や、司馬遼太郎の長編歴史小説「坂の上の雲」で一躍脚光を浴びた子規庵などがある根岸地区に着目する必要があります。 そこで、私は、観光客・来街者が上野の山から根岸に向かう動線の整備を提案したいと思います。
こういう時代の変化の中で、かつて私が非常に印象に残っているのは、「坂の上の雲」を著した司馬遼太郎さんという方がおられましたけれども、あの方が、明治という国家というのは非常にすばらしい国家だ、美しい国家だ、自分はその日本のすばらしさというものを全世界に発信していきたいと。
これは平成19年度に、その土地のゆかりのある司馬遼太郎の「坂の上の雲」、これをモチーフにして、まちづくりを進める中で、そのプレートを雲の形になぞらえて使っているということから、そこの第1号から始まりまして、幾つか全国では20弱ぐらいの市町村で、そういうオリジナル・ナンバープレートを発行したと。
参考として、現在御当地ナンバーというものが非常に多く出回ってきておりまして、松山市が最初に「坂の上の雲」をなぞって、雲型のナンバープレートをつくったと。この辺からですね、御当地ナンバーというものができ始めております。以上でございます。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の登場人物で、日本の騎兵の父と言われる秋山好古が陸軍少佐の時代に、この地で騎兵の指導をしていたことが書かれています。また、その近くには馬神様の碑があり、昭和五年に宮内幸五郎大佐と三百四十五名の隊員が建立したとなっております。馬を尊敬し大事にすることが目的であったようです。マンションの建設とともに周囲が整備されたのを機会にお祭りをいたしました。
しかも、あきる野のことしの恵方は西の方だ、山の上の雲を目指し、歩みを進めることが未来につながるなど、司馬遼太郎の日露戦争を賛美した内容の小説、坂の上の雲をもじった内容となっており、意味不明の言葉で、市民に対し、施政方針を語るのには首を傾げざるを得ません。予算委員会でも、その質問には答えない不誠実な態度は、首長として反省すべきです。 第3に、行財政改革という名の市民サービスの後退です。