板橋区議会 2024-06-18 令和6年6月18日ブランド戦略推進調査特別委員会-06月18日-01号
1つが産業ミュージアムということで、国史跡に指定されました加賀の一帯、史跡公園(仮称)の部分ですね。その中でも特に旧理化学研究所跡地の部分で、産業ミュージアムを整備するという方向性で今進めておりますので、その辺のPRですとか。あとはもう1つが絵本のまちの板橋ということで、今、印刷関連業界の皆様と進めている内容ですね。
1つが産業ミュージアムということで、国史跡に指定されました加賀の一帯、史跡公園(仮称)の部分ですね。その中でも特に旧理化学研究所跡地の部分で、産業ミュージアムを整備するという方向性で今進めておりますので、その辺のPRですとか。あとはもう1つが絵本のまちの板橋ということで、今、印刷関連業界の皆様と進めている内容ですね。
八王子市の日本遺産ストーリー「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」を構成する文化財は、国史跡八王子城跡をはじめとする北条氏照公ゆかりの史跡等6件と、高尾山及び薬王院の信仰に関する文化財11件、桑都の歴史の中で育まれた伝統文化13件の未指定の文化財を含むストーリーを語る上で欠かすことのできない八王子市の有形無形の文化財計30を位置づけて構成されていることをしっかり発信されているのだろうか。
さらに付け加えて申し上げれば、第2弾は国史跡陸軍板橋火薬製造所跡地を近代化遺産、産業ミュージアムとして生まれ変わる周辺を第2の歩楽道として整備をしてはどうか。そして第3弾は、上板橋駅南口から都立城北公園周辺を第3の歩楽道として整備の可能性を申し上げておきたいと思いますので、ご検討をお願いいたします。
平成十二年に国史跡に指定されました史跡中里貝塚は、適切な保存・継承や史跡を生かしたまちづくり推進のため、令和二年度に基本計画、令和四年度に基本設計を策定し、本年度は実施設計の策定に取り組み、令和六年度から整備工事に着手いたします。 整備工事期間は三か年を予定し、広場を北側と南側に二分割して工事を進めます。令和六年度は、広場の北側を工事し、広場の南側を開放する予定です。
◆山田たかゆき 参考でつけていただいたほうの資料の中の17ページにサラッと入っているのでちょっと聞いておきたいんですけれども、16ページのほうの国史跡に指定された陸軍板橋火薬製造所の中にあります近代遺産としては日本初となるBIMを活用した整備・展示手法を構築するなどと、かなり具体的にBIMというふうに入っているんです。
平成十二年に国史跡に指定された史跡中里貝塚は、適切な保存、継承や史跡を生かしたまちづくり推進のため、令和二年度に基本計画、令和四年度に基本設計を策定し、本年度は実施設計に取り組んでいます。
また、当時の水道としては世界一の規模で、江戸東京の江戸、そして東京の発展を支えた優れた土木遺構として、平成15年、2003年に、文化財保護法に基づく、我が国にとって歴史上、または学術上価値の高い重要な国史跡に指定されたところでもあります。
高輪ゲートウェイ駅周辺の開発で、高輪築堤の遺構が発掘され、一部は令和3年に国史跡に指定されております。周辺の開発に伴い公園や道路も整備されていくと考えますが、公園や道路の下には高輪築堤の遺構が存在しているものと思われます。 JR東日本が主導する開発において、第2街区、第3街区の整備と高輪築堤の遺構をどのようにして保全しつつ公園や道路を整備していくのか。
平成30年の10月、11月に行われた、国史跡陸軍板橋火薬製造所跡文化財講座には、定員が90名のところ応募者数が100名だったと伺っております。令和元年度・2年度については、事業が中止になりましたが、この史跡についてご興味をお持ちの方が多かったということは事業実績からも分かります。
現在、一から四街区の高輪築堤跡は、高輪大木戸付近の一部を残して、現場での記録保存調査がほぼ終了し、国史跡旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡に指定された部分は保存を図るため一旦埋め戻し、その他は解体・撤去・移築等が進んでいます。教育委員会は、現地保存される遺構について、万全の保護が図られるよう取り組んでまいります。
旧加賀藩江戸下屋敷の跡地に、日本最古の部類に属する官営工場として発足した板橋火薬製造所は、平成29年に文化庁により国史跡として指定されました。いたばし№1実現プラン2025により史跡公園の整備計画が見直され、計画が延期されましたが、近代化遺産として重要な価値のある史跡公園整備についてどのように変更したのかお聞かせください。
本年九月十七日、国は、高輪築堤跡を旧新橋停車場跡に追加し、名称を旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡に変更し、国史跡に指定しました。教育委員会は、指定範囲の遺構について万全の保護を図るとともに、範囲外の遺構についても極力保護するよう求めております。
本年九月十七日、国は、JR東日本の品川開発プロジェクト、一街区から四街区に出土した高輪築堤跡について、現地保存される第七橋梁とその南北に接続する築堤、八十メートル及びその北側に位置する築堤、四十メートルを旧新橋停車場跡に追加し、名称を旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡に変更し、国史跡に指定しました。
二〇〇〇年に国史跡に指定されました。 中里貝塚の保存活用計画の推進と、観光資源化についてお聞きします。 議員になった翌年に、幸運にも発掘現場を見学することができました。五メートルの深さで両岸に貝殻がびっしりと積まれた光景には興奮をいたしました。今も忘れることができません。数百年か、あるいは数千年続いたであろう、まさに産業の集積地であったことが容易にしのばれます。あの時代にです。
○図書文化財課長(齊藤和彦君) 崩落の注意喚起については、台場の国史跡としての重要性を踏まえ、崩落の危険を心配する意見があることを管理者である東京都に伝えてまいります。なお、郷土歴史館では、区民の学習の場として、令和元年度に台場をテーマとしたパネル展示、令和3年度には台場に関する企画展を開催してまいりました。
国史跡に指定後、高輪築堤跡が郷土の文化遺産として万全の保護が図られ、地域において活用していけるよう委員会における計画策定の検討を、JR東日本、文化庁、東京都教育委員会等と協力して進めてまいります。 最後に、移築保存による文化財保護の在り方についてのお尋ねです。信号機跡を含む約三十メートルの築堤は、高輪ゲートウェイ駅前の広場に移築される予定です。
その後は、我々も意見書を国に提出したり、橋梁部を含む約八十メートルの現地保存が決まるなどし、先日の五月二十九日には、皆様も御存じのとおり、菅総理大臣も現地を視察され、国史跡指定への動きを歓迎されました。 そこで、お尋ねしてまいります。まず、高輪築堤の公開についてです。武井区長も二島議長も同席されていた総理の視察後、総理は記者団に、「錦絵に描かれている橋梁がそのままこのような形で存在する。
日本歴史学協会などの要望書は、1、開発プロジェクトの事業主体であるJR東日本に対し、国有財産を日本国有鉄道から継承した事業者としての立場から、高輪築堤遺構が国民共有の重要な財産であることを十分に認識すること、2、高輪築堤が場所性と高く結びついた文化財である史跡としての価値が十分認められる点を考慮し、移設保存の方針を改め、現地保存すること、3、国史跡の指定に向け、国、東京都、港区などの関係者との協議や
3、国史跡の指定に向け、国、都、港区などの関係者との協議や調整などの対応を図ること。 中略します。万一、交渉が途切れ、歴史上重要な高輪築堤が取り除かれるような事態を招けば、文化財保護行政上の大きな失点にもなりかねません。
鈴木遺跡資料館を国史跡鈴木遺跡ガイダンス施設にリニューアルしていこうと。鈴木遺跡発掘調査総括報告書の成果を踏まえ、展示室及び展示内容を、国史跡の説明にふさわしい内容にリニューアルすると。