32件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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あきる野市議会 2001-12-04 平成13年第4回定例会(第1日目)  本文(一般質問) 2001-12-04

また、焼却以外処理方法のない肉骨粉処理など、肉骨粉有機肥料の原料にしたいところであるが、狂牛病の原因と言われるプリオンは土壌に入れても、放射能を当てても、ホルマリン漬けにしても全く変化せず、動物性蛋白質の中で再び異常プリオンとして活動を始めると言われている。また、犬・猫にも発病の恐れがあるとのことである。この異常プリオンが植物の中に取り込まれたら、とんでもないことになってしまう。

小平市議会 2000-12-20 12月20日-04号

ノンホルマリン接着剤使用していく。壁、床の内装材家具合板には、低ホルムアルデヒド合板F1タイプ使用する。また、内外壁塗装には、有機溶剤使用していない水性系塗料を多く使用していく。また、壁紙は、ビニールクロスを避け、無機質系壁紙使用、また、床材には、コルクフローリングポリオレフィン床シートなど、非塩化ビニール系製品を多く使用する。 夜間電力に関しては、空調設備に使う。

清瀬市議会 2000-12-11 12月11日-04号

以来7年が経過しましたけれども、最近の新聞報道によりますと、東京大学の医学部の教室が、ホルマリンや解剖の際に出た血液を未処理のまま下水道に流していた問題では、その後の調査でさらに17大学が同様に学外に排出していたことがわかりました。現在は厚生省通知で定められた殺菌消毒などの方法で既に適正に処理しているということです。

小平市議会 2000-09-28 09月28日-04号

ノンホルマリン接着剤使用している。壁、床の内装材家具合板には低ホルムアルデヒド合板F1タイプ使用している。また、内外壁塗装には、有機溶剤使用しない。水性系塗料をなるべく多く使用壁紙ビニールクロスを避け、無機質系壁紙使用。また床材にはフローリングコルク天然リノリウムなど、非塩化ビニール系製品を多く使用している。 質問として、雨水利用はどの辺までの利用を考えているか。

足立区議会 2000-09-22 平成12年 第3回 定例会−09月22日-03号

ちょうど家の新築のときだったので、床下数カ所にも室内用の換気扇をつけ、シロアリ駆除対策をしたり、壁紙接着剤ホルマリンの発生しないものを使用しました。  このように気をつけても、この方は発病して10カ月は寝たきり状態、寝たり起きたりが1年、家の中でリハビリが1年、家の近くでの行動ができるようになったのは3年目からでした。アレルギー性疾患はいつ発病するかわかりません。  

小平市議会 2000-06-09 06月09日-03号

これは、セットで考えてはいけないとよく言われているんですけれども、素材と合板ホルマリンというのは、薄い木を張り合わせる接着剤としてホルマリンが使われているわけですけれども、それのほかにも、塗料、それからいろんなところに使われているわけですね。

港区議会 2000-03-22 平成12年度予算特別委員会−03月22日

それから有害物質としましては、ホルムアルデヒドという、ホルマリンといいますか、それとか水銀化合物、こういったものを検査しております。 ○委員井上しげお君) 区民の健康と安全を守るため、とても重要なことだと思いますので、ぜひともよろしくお願いします。  続いて、区民の健康の観点から休日診療事業費についてお尋ねします。

立川市議会 1998-09-21 09月21日-13号

そこには、ホルマリン漬けになった二重胎児奇形胎児がたくさん並んでいたというのです。また、かわいい子供たち奇形に悩み、その中で一生懸命生きている、その姿をまざまざと見せつけられ、涙なくしてはいられなかったと語っていました。 その視察の結果を97年11月19日、参議院環境特別委員会で、埼玉の公明参議院から発表され、やっと日本で、ダイオキシンの対策が講じられるようになったのです。

新宿区議会 1994-09-01 09月20日-10号

例えば「昭和十三年頃、防疫研究室屋上に十五個ほどの水ガメがあり、中にはホルマリン漬けの首が三~四個入っていた。その水ガメは広東に異動になったとき、同じものを見た」、「屋上には胴体や手足などの入ったドラム缶十個があった」、「防疫研究室内の棺桶にはマルタが入っていると先輩職員から聞かされた」「中国から運ばれて来たマルタが入った木箱はテントで囲んで置いてあった」などというものです。

新宿区議会 1992-06-01 06月10日-05号

森村誠一氏の著書「悪魔の飽食」には、終戦と同時に防疫研究室の裏手にあった空き地に深さ十メートルの大きな穴が掘られ、防疫研究室に陳列されてあった多数のホルマリン漬け人体標本が、ガラス瓶ごと投げこまれた」との記述もあります。人骨は、旧陸軍軍医学校が開校した一九二九年から終戦の四五年にかけての十六年間の活動と密接なかかわりがあったと考えるのが妥当であろうと私は思います。

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