石井町議会 2014-03-11 03月11日-02号
現在の生産数量目標の配分として主食用米の需要が減少傾向にあり、1人当たりの消費量として昭和37年には118キロの消費であったものが平成24年では56キロになっております。これに即して、国は都道府県別の生産数量目標を配分をし、行政が個々の農業者に主食用米の生産数量目標を配分しているのが今の現状であります。
現在の生産数量目標の配分として主食用米の需要が減少傾向にあり、1人当たりの消費量として昭和37年には118キロの消費であったものが平成24年では56キロになっております。これに即して、国は都道府県別の生産数量目標を配分をし、行政が個々の農業者に主食用米の生産数量目標を配分しているのが今の現状であります。
まず、防災ラジオの応募件数でございますが、川内、沖洲、渭東、昭和、津田地区の住民及び事業所の約1割に当たる3,776件でございました。応募者の内訳でございますが、65歳以上が世帯主の世帯は2,063台で、65歳未満の世帯主では1,563台、事業所は150台でございました。 次に、周知方法でございますが、主なものといたしまして、広報とくしま、市政だより等への掲載、マイシティとくしま、ゴジカル!
初代は、澤田 紋市長で、人口6万2,000人の阿南市として昭和33年にスタートを切りました。私が10歳のときであります。その翌年の昭和34年には、神崎製紙株式会社富岡工場が操業を始め、昭和38年、四国電力株式会社阿南発電所が運転開始、さらに昭和39年、阿南市が新産業都市に指定されました。昭和44年には、日本電工株式会社徳島工場が操業しております。
徳島市の水道事業は、第2次世界大戦後の昭和24年から第1期拡張事業が始まり、それ以降第2、第3、第4期というように、計画的に拡張事業に取り組んできております。
当施設は、昭和51年、那賀川北保育所として開設されましたが、平成16年3月、今津こどもセンターの完成により閉鎖されました。
石井町の火葬場使用料というのは、昭和55年度に使用料を改定して以来ずっと据え置きをしております。また、平成8年5月からは火葬業務を徳島西火葬場、徳島行道に委託をしておるところであります。近隣市町村の使用料も参考にしながら見直しを行った結果、改正することとし、平成25年9月定例議会で議決をされたところでございます。
石井町の火葬場使用料というのは、昭和55年度に使用料を改定して以来ずっと据え置きをしております。また、平成8年5月からは火葬業務を徳島西火葬場、徳島行道に委託をしておるところであります。近隣市町村の使用料も参考にしながら見直しを行った結果、改正することとし、平成25年9月定例議会で議決をされたところでございます。
その後、民生委員制度は、昭和11年の方面委員令、昭和21年民生委員令、昭和23年の民生委員法など、時代の変遷とともに、法令に基づいた委員活動として今日に引き継がれてきました。
B型肝炎の大きな原因は,昭和40年代前後に行われた集団予防接種時の注射器の使い回しでありました。また,C型肝炎の大きな理由は,輸血などの薬害被害やその母親からの遺伝です。肝炎対策基本法や特別措置法でも確認しており,いずれも国の法的責任は明らかになっています。さらに,その病状が発症していながら,その原因を証明するのにも長い時間と経費がかかる上,肝硬変や肝がんになりやすいと言われています。
銅山川の分水につきましては、昭和33年の銅山川第5次分水協定において、銅山川の年間総流出量約3億トンのうち、約1億トンが分水に、約1億トンが無効放流に、そして約1億トンが下流への責任放流とする配分がなされました。
数字の上では改善されつつある財政状況を背景にいたしまして、1983年、これ昭和58年でございますが、当時三好郡の人口が6万1,250円の時代に話が持ち上がった施設、これを市の人口が3万人を割り込むこのときに、30億円とも40億円とも言われる交流拠点施設、いわゆる音楽ホールの施設ですけども、これの計画に取りかかったわけであります。
市営バスの歴史は,昭和26年に小松島市の市政発足の一環としてバス事業が始まりました。以後,63年間の長きにわたって,市民の足として今日までその役割を担ってきております。高度成長期を支えてきましたが,交通手段の発達から,また,利用者数の減少,収益の悪化をたどり,以後観光事業からの撤退,その都度の路線の改変など,企業努力を重ねてまいりましたのは,皆様方周知の事実でございます。
第1条の2中「地方公営企業労働関係法(昭和27年法律第289号)第3条第2項」を「地 方公営企業等の労働関係に関する法律(昭和27年法律第289号)第3条第4号」に改める。 第2条第1項中「正規の勤務時間」を「小松島市職員の勤務時間,休暇等に関する条例(平 成7年小松島市条例第1号。以下「勤務時間条例」という。)第8条第1項に規定する勤務時 間(以下「正規の勤務時間」という。)」
私たちは今まで享受した繰入金900億円の昭和の代償をこれから支払うことになります。とにかく新スタンドに移行するに当たっては、ボートファンではない市民が新スタンドの完成をともに喜ぶような施策が必要条件です。東京の日本財団や国交省の官僚が喜ぶだけの施設であっては相なりません。
昭和28年に開設した現競艇場は、一旦60年の幕をおろしますが、新スタンド完成後、市の活性化の中心となり、市の収入アップにつながる施設にリニューアルなることを大いに期待し、この質問を了としておきます。 次に、財政健全化に向けての取り組みの答弁を市長からいただきました。
また、昭和48年に建設され、老朽化が著しい市役所本庁舎の耐震診断、市内に多数ある公共施設を統一データベース化する公共施設等総合管理計画を策定するなど、市民の皆さんが安全で安心する災害に強いまちづくりを目指してまいります。
中村誠山氏、三好市池田町松尾松本259番地、昭和25年10月30日生まれでございます。再任でございまして、任期は平成26年4月1日から3年でございます。詳細につきましては、担当部長から御説明いたします。 追加議案は以上でございます。よろしくお願いいたします。 ○議長(平岡進治君) 以上で市長の追加提案理由の説明が終わりました。 これより追加議案の審議に入ります。
井潟さんは、昭和41年生まれの満47歳で、現在瀬戸町明神にお住まいでございます。平成4年4月に愛知県の学校法人東海学園東海中学校に講師として採用され、平成11年3月まで教壇に立たれました。平成11年4月からは高野山真言宗普光寺の住職に就任され、今に至っております。地元のお寺の住職として地域の方の身近な相談相手となり、さまざまな悩みの解決の一助を担われております。
◯ 壽満市民生活課長 建物自体は昭和48年6月20日完成ということで,耐震診断も当然受けなければならない施設なのですけれども,あの施設は避難所の指定は受けておりません。
今わかっている資料で、昭和46年に建築をされております。それ以後何年たったかはちょっと今把握しておりませんので、ご容赦願いたいと思います。昭和56年建築でございます。 (「46やろ」と呼ぶ者あり) 昭和56年に建築をされています。 (「56」と呼ぶ者あり) ちょっと小休をお願いします。 ○議長(近藤忠夫君) 小休いたします。