鳴門市議会 2021-06-25 06月25日-05号
三浦さんは、昭和35年12月8日生まれの満60歳で、現在は大麻町板東にお住まいであります。 平成元年4月より中学校の教諭として市内各中学校等教育現場の第一線で御活躍され、大麻中学校副校長、上板町松島小学校校長、鳴門市第一中学校校長などを歴任し、その手腕を発揮されました。
三浦さんは、昭和35年12月8日生まれの満60歳で、現在は大麻町板東にお住まいであります。 平成元年4月より中学校の教諭として市内各中学校等教育現場の第一線で御活躍され、大麻中学校副校長、上板町松島小学校校長、鳴門市第一中学校校長などを歴任し、その手腕を発揮されました。
一言で申せば、鳴門市の水環境は昭和30年代から40年代、私の記憶では中心街の多くは旧の塩田跡で、当時は入浜式塩田から流下式による塩田がなされていた頃と記憶いたしております。そして、私は県外で在住した約10年間、徳島県を知らない方でも鳴門市は御存じの方も多くおられました。
そのほかの公園ですが、昭和47年1月25日をもって鳴門市の塩田が全面廃止となり、塩田跡地を利用した土地区画整理事業が進められた際に多くの公園整備が行われました。緑地公園、街区公園は、地域の中で身近で親しみやすい公園であります。 先日、公園の様子を見て回りましたが、状態は良くありません。
本市が所有する公共施設は、人口の増加による行政需要の拡大やボートレース事業の好況などを背景に、昭和40年代から50年代にかけて集中的に整備が進められ、市民生活の基盤や地域コミュニティーの拠点などとして重要な役割を果たしてきました。
仲須さんは、昭和27年生まれの満68歳で、現在、大津町段関にお住まいであります。長らく農業に従事され、平成23年から3年間、平成29年から3年間、本市の農業委員会委員として、また、平成27年から平成29年の農業委員会委員就任までの間、本市の固定資産評価審査委員会委員として御尽力いただきました。 高田さんは、昭和32年生まれの満63歳で、現在、里浦町里浦にお住まいであります。
〔教育次長 大林 清君登壇〕 ◎教育次長(大林清君) 徳島県立鳴門高等学校の未来像についてですが、徳島県立鳴門高等学校は、昭和23年に撫養町に設立されて以来、長年にわたり本市における高等学校教育の拠点として、これまで数多くの有為な人材を輩出し、徳島県立鳴門渦潮高等学校と共に、本市の高校教育を支えていただいております。
鳴門市は、昭和22年3月に鳴南市として誕生して以来、昭和24年4月には市バス開通、昭和26年9月には上水道第一期拡張工事完成、昭和38年3月には現在の阿波銀行の辺りにありました庁舎からこちらのほうの新庁舎が完成して移りました。
なお、鳴門市文化会館は、優れた舞台芸術文化に接したいという心の豊かさを求める市民の皆様の期待にお応えすべく昭和57年に建設され、多くの人々に親しまれてまいりました。しかしながら、建物、設備ともに老朽化が進み、耐震性能も確保できていないことから、この3月31日をもって休館することとしております。
鳴門市文化会館は、1982年、昭和57年、市制施行35周年の記念事業として建築され、京都大学の名誉教授、故増田友也氏の遺作でもあり、平成10年に国土交通省の公共建築百選にも選出され、鉄筋コンクリートの外観をはじめ意匠性の高い建物として評価されているようであります。
大体、昭和40年、50年代というのは、95%以上、ほとんどの人は結婚していました。普通に生活していたら結婚していたという時代があったので、今でも年配の方は、結婚は簡単というか、するものだと思っています。ただ、今現在、未婚率を見てみましても分かるように、結婚するのは難しいもんだというふうな時代に変わってきている。そういうふうな認識に改めなければならないというふうに思います。
次に、委員からは、テック情報株式会社株式配当金に関し、保有株数及び過去の配当金額について質疑があり、理事者からは、テック情報株式会社は、昭和43年に徳島県や県内有力企業が中心となり、株式会社徳島電子計算センターとして設立された会社で、株については、その当時に取得しており、現在の保有株数については15株で、平成27年度から毎年度配当金を受け取っているとの説明がありました。
経営手腕は、三木與吉郎13世が徳島バス株式会社や今の株式会社ナンカイテクナート、当時の南海ゴム株式会社の筆頭株主で事業から撤退し、14世が時代に添った事業展開をなさったからこそ今があり、確かに昭和の時代には、人口密集、それなりのにぎわいもございました。
気象庁によりますと、今年7月上旬、1日から10日における全国のアメダスで観測した降水量は20万8,308ミリで、1982年、昭和50年以降で最大だった2018年7月上旬の20万7,526.5ミリを超えるなど、近年の気象変化、集中豪雨への対応は、全国的にも大きな課題とされております。
このうちのどの種類の試験を実施するかは、任命権者である消防長の判断ですが、本市においては昭和23年に消防本部が設置され、以降、現在に至るまで初級以外の試験を実施したことがないというのが実態です。
昭和46年から半世紀にわたって子供たちのために支援いただきました周辺地域の方をはじめ、関係する皆様方、また、土地を貸与いただきました地権者の方に対し、心より感謝申し上げます。今後につきましても、関係者等に十分な説明を行うとともに、本市における就学前教育・保育全体の充実を図るため、適切な受入れ体制の整備を進めてまいります。 最後に、ボートレース事業についてであります。
従来の日本の避難においては、市長が避難勧告を発令するための裏づけとしては、昭和36年施行の災害対策基本法の第60条にありました。市町村長は必要と認める地域の居住者、滞在者、その他の者に対し、避難のための立ち退きを勧告し、及び急を要すると認めるときはこれらの者に対し避難のための立ち退きを指示することができるとあります。
老朽化した木造住宅、特に旧耐震基準である昭和56年5月以前に着工した築30年以上の木造住宅は、大地震により倒壊の危険性が高く、倒壊によって人命を失わないためにも早期に住宅の耐震化を図る必要があります。 鳴門市では、老朽化した木造住宅を中心に耐震化のため、耐震診断や耐震改修工事への補助を実施しています。旧耐震基準とは、昭和56年6月1日以前の基準で、建築基準法改正により新耐震基準が設けられました。
樋上さんは、昭和33年生まれの満61歳で、現在、瀬戸町明神にお住まいであります。昭和56年に鳴門市農業協同組合に入組され、合併により名称が変更となりました徳島北農業協同組合において平成26年には本所経済部次長、平成29年には本所経済部部長を歴任されるなど、すぐれた手腕を発揮され、平成30年をもって退職されました。 玉井さんは、昭和24年生まれの満70歳で、現在撫養町立岩にお住まいであります。
文化会館は昭和57年に開館以来、鳴門市の文化芸術活動の施設として多くの人々に利用され、親しまれてきました。また、日本を代表する建築哲学者であり、建設家でもあった京都大学名誉教授の増田友也氏の設計で、1998年には公共建築百選にも選定されています。
昭和28年4月に初開催した本市のボートレース事業は、事業開始以来、一般会計へ922億円余りの繰出金のほか、鳴門市花火大会や阿波おどり大会などの各種イベントへの協賛、建設事業や委託業務の発注、物品購入など、多岐にわたる地場産業の活用により、鳴門市の発展に大きく貢献してまいりました。