徳島市議会 1995-09-12 平成 7年第 4回定例会−09月12日-14号
性教育は、学校教育の目指す人間尊重の精神や心身ともに健やかな国民の育成を期するという視点から見ましても、極めて重要なことであると認識をいたしております。そのため、本市の各小中学校におきましては、性教育を教育課程に位置づけて、年間指導計画を作成し、各教科、道徳、特別活動など、すべての教育活動の中で指導をいたしております。
性教育は、学校教育の目指す人間尊重の精神や心身ともに健やかな国民の育成を期するという視点から見ましても、極めて重要なことであると認識をいたしております。そのため、本市の各小中学校におきましては、性教育を教育課程に位置づけて、年間指導計画を作成し、各教科、道徳、特別活動など、すべての教育活動の中で指導をいたしております。
次に、少年非行の実態と不良行為の現状についての御質問でございますが、前段お話がございましたように、二十一世紀を担う青少年が心身ともに健やかにたくましく心豊かな人間に成長することは、市民すべての願いでもあり、私ども大人の責務でもあると考えておるわけでございます。
そのような社会状況の中で、市民相互の地域的な協力を形成する地域社会をつくることを目的として、昭和四十四年に国民生活審議会コミュニティー問題小委員会の「コミュニティー・生活の場における人間性の回復」という報告書が出されました。また、昭和四十九年九月の国民生活審議会調査部小委員会報告書では、コミュニティーを次のように定義しています。
仕事をする能力のある人間ならば、年齢なんか関係ないと思います。また、ある人は、家でぼうっとテレビを見ていると、ぼけてしまうのではないかと心配です。毎朝、新聞を開いて思うことは、高齢化社会となりつつある今こそ、高齢者に向けた求人、求職の欄があり、数々の求人があれば、働く意欲を刺激し、健康にもつながると思う等々の声が寄せられています。
結局は、この健全化というものが、金で処理するのか、多額な金を渡して処理するのか、人間をどう減すのかと、結論的に言うたらそういうような方向の中でこれがどう処理をされていくかと、首を振りよる人もあるけど、国の中でですよ、国や県から持ってこいと含めてね、県や市から金を持ってこいと、こういうことも含めた中で、金で処理されていくのか、人を減すのかと、結論的にはそういうことはですね、どういうようにこのバランスをとっていくかと
私は、地元の人間として、この種の安定型の処分場ぐらい自然環境に大きな被害をもたらす恐ろしい施設はないと、その実態から実感を持っているわけであります。そんな施設が六万五千市民の水道水源地の上流に、前市長の容認のもと、県が認可を下しました。そして、建設されたわけであります。
本当に健康で元気な子供たちも生身の人間です。いつ何時体調が狂うかもわかりません。たとえ養護の先生がいなかったとしても、本当にかわりの人を立てて、いつでも保健室は使えるようにしておくのがいいのではないかと思いますので、この点もあわせて御答弁をお願いしたいと思います。
最終的には、それでは納得できないと、反社会的な行為をした人間を無試験で雇った、そのことにも問題がありますけれども、その以前の問題として、四年も五年も試験採用されながら劣悪な労働条件に放置されとる、この人間をさておいて、突如として試験もせず雇った人間を二十二条の一項に位置づけると、これでは我々も納得できないということで、当局に迫ったわけでございます。その最終が、本年三月七日でございました。
うん、あそこへ無人ピアノ──無人ピアノというのは、皆さん御承知と思いましょうが、人間が、弾き手がおらなくても、セットした時間が来れば自動的に音楽が流れる。しかも、このピアノは透明でございまして、ガラス張りです。ガラスではないんですが、何とか言う合成樹脂です。中が丸見え、機械が。
議員を退くという大きな節目に、私にとりましては、いま一度人間としての原点に帰って、新しい末来へ向かって第一歩を踏み出す決意でございます。そういうことを皆様方に申し上げたいと思うわけでございます。これからは一市民といたしまして、鳴門市勢の発展のためにお役に立てればというふうに考えておるわけでございます。
特に先般所信表明の中でも出てまいりましたように、市制施行五十周年記念に当たり、総合保健福祉センターも充実されるというようなことで、さらに高齢化の対応がなされておるわけでございまして、やはりそうした問題については、よく申されますところの「揺りかごから墓場まで」、いわゆる人間臨終の直前になって、人から親切心を与えられると非常に感激深いものがございます。
父純一を取り巻く人間模様は、まさに維新の壮大なドラマが展開しています。この純一が徳島県政の基礎を築いたのでございますから、県としても顕彰しなければなりません。また、豊彦が徳中時代に運命的な出会いとなるローガン博士やマヤス博士のことについても、ルーツをたぐっていけば、興味は尽きません。 市長、このように考えていけば、豊彦のふるさと徳島ならではの記念館ができるのではないでしょうか。
徳島の人だけは、人間は親切やと言うてくれるけれども、親切だけでは物足らぬものがあるわけでございますので、どうぞ、そういうことも積極的に考えていただいてですね、政策を担当していただきたい。 四つの目標政策を立てられて、ことしが初年度だと、こういうことでありますがですね、そういうこととあわせて商店街というものを助けてやらなければですね、今生きる道はないのであります。
その結果、国の報告やアンケート調査結果を見ても、ほとんどの学校がこれからの時代に生きる子供の望ましい人間形成の上で効果があったとしていますし、保護者や地域の理解も得られているとのことであります。このような成果を上げている反面、1、子供の学習の負担が増加したり、学力が低下を来すのではないか。2、子供の非行や塾通いがふえるのではないか。
まず、第一には、児童生徒と教師が良好な人間関係をつくり、信頼によって結ばれ、何でも言える雰囲気をつくることである。第2点目には、学校や学級全体が正しいことを奨励し、思いやりや正義感を育てたい。第3点目には、児童生徒からの小さな訴えやサインを見逃さない。第4点目には、家庭や地域から信頼される環境をつくり、常に十分な連携を図ってまいりたい。
さらに、事後指導として、各学級では好ましい人間関係がつくれるよう継続指導を行っております。特に、いじめは人権侵害であることを担任が強く生徒に指導し、教師がいじめを憎み、事の重大さを理解し、絶対許さない強固な姿勢で生徒指導をいたしておるところでございます。
また、地域社会におきましては、児童の人間形成にとって、日常での生活体験、活動体験を豊富にすることが必要であるとの認識に立ち、児童の活動基盤の強化を図ることや、自由に選択できる多様な活動の場や機会の充実を図ることを基本方針として取り組んでまいりたいと思います。
その草刈りが我々地元の人間が、地元の各界が集まってそしてアピールを地主の人に送って、そして地主の人が前よりもずっとようけ刈ってくれました。しかし、残っておるところはやっぱり半分以上草ぼうぼうで残されておる。その刈ったところヘはごみはほうらんようになっとんですけれども、残ってるところへは今度はそちらの方へ固まった集中して捨てられるというのが現状でございます。
次に、同和教育はどのような教育をしてきたのかということでございますが、同和教育は部落差別を初め、さまざまな差別をなくするための教育であり、互いに認め合い、支え合う人間としての生き方を学ばせる教育でございます。
勤勉に実直に額に汗をして働き、物をつくる物づくりの心こそ、人間生活の根幹であります。そのことを政策全般を実行する理念としてしっかり抱きながら、歳入見通しの厳しい中ではありますが、財源配分に十分留意され、この計画を着実に推進していただくよう、強く要望しておきます。