平成 7年 2月定例会(第1回) 平成七年
鳴門市議会会議録 (第三号) ────────────────────────────────── 平成七年二月二十七日(会期二十一日中第六日目) 議 事 日 程 第 三 号第一 市政に対する
一般質問 ────────────────────────────────── 本日の会議に付した
事件日程第一 市政に対する
一般質問 ────────────────────────────────── 出 席 議 員(二十八名) 議長 工 藤 武 重 君 一番 泉 善 治 君 二番 勘 川 一 三 君 三番 開 発 外 之 君 四番 田 渕 豊 君 五番 山 本 秀 君 六番 田 中 寛 昭 君 七番 野 崎 博 文 君 八番 大 石 謙 一 君 九番 佐 藤 絹 子 君 十番 明 村 春 夫 君 十一番 川 上 守 君 十二番 遠 藤 将 弘 君 十三番 近 藤 龍 彦 君 十四番 新 居 義 公 君 十五番 平 岡 朔 郎 君 十六番 柿 本 公 君 十七番 牧 野 豊 君 十八番 小 森 圀 彦 君 十九番 斎 藤 達 郎 君 二十番 坂 東 成 光 君二十一番 松 下 保 君 二十二番 矢 野 善 治 君二十三番 福 本 節 君 二十四番 梅 野 健 寿 君二十五番 松 本 聖 君 二十六番 福 島 慧 雄 君二十八番 藤 田 茂 男 君 ────────────────────────────────── 欠 席 議 員(一名)二十七番 井 形 勝 男 君 ────────────────────────────────── 説明のため出席した者 市長 矢 野 茂 文 君 助役 西 本 信 也 君
総務部長 青 木 義 幸 君
企画開発部長 元 木 義 時 君
市民福祉部長 松 岡 正 次 君
環境衛生部長 三 井 隆 夫 君
経済部長 二 木 俊 幸 君
建設部長 宮 崎 義 範 君
競艇部長 辻 潤 一 君
水道部長 引 田 正 男 君
運輸部長 播 磨 啓 示 君
消防長 播 磨 繁 夫 君 総務部副部長 真 木 和 茂 君
総務部参事総務課長事務取扱 谷 川 進 君 総務部
秘書広報課長 細 川 並 久 君 教育長 脇 谷 功 君
教育次長 中 川 正 幸 君
監査事務局長 竹 下 清 君
選管委事務局長 杉 岡 賢 美 君
農委事務局長 西 尾 正 勝 君 ──────────────────────────────────
議会事務局職員出席者 事務局長 鎌 田 善 雄 次長 黒 谷 需 主査兼
議事係長 川 上 昭 憲 書記 満 壽 良 史 書記 古 田 さとみ ────────────────────────────────── 午前 十時 一分 開議
○議長(
工藤武重君) 連日御参集御苦労でございます。 これより本日の会議を開きます。 本日の
議事日程は、お手元へ配付の
議事日程表のとおりであります。 朗読は省略いたします。 ──────────────────────────────────
△日程第一 市政に対する
一般質問
○議長(
工藤武重君) 日程第一、市政に対する
一般質問を続行いたします。 通告の順序に従って質問を許可いたします。一、
建設行政について二、
救急業務について三、
防災計画について 十八番
小森圀彦君 〔十八番
小森圀彦君登壇〕
◆十八番(
小森圀彦君) おはようございます。 議長の許可を得まして、質問をいたします。 昭和五十八年第二回定例会において、私の第一回の質問をいたしましてからはや十二年、私といたしましては第四十八回目の、そして
鳴門市議会議員として最後の質間となりました。いろいろございましたが、私なりに精いっぱい市民の、そして日本の現在及び将来に少しでも役に立てればの一念で努力してまいりましたが、今日顧みまして、余りお役に立てなかったと自責の念にかられるばかりでございます。 さて、第一問であります。
ウチノ海センターリゾートパーク、今は
鳴門ウチノ海総合公園というのですが、これは国、県、市の強力な推進により、平成九年度末に
埋め立て完了と聞いておりますが、話に出てから種々の角度から検討し、県と再三再四にわたり話し合いを続けてまいったのでございます。私
ども地元鳴門西地区の住民は、この計画に反対の態度を表明し、従来の
都市計画事業、すなわち旧塩田の
埋立宅地化に伴い、すりばちの底状になって、昭和五十四年秋に
高島山西地区は、ほとんど
全戸浸水被害を受けたのでございますが、その後街事業の進捗により排水路、グレーチング、ポンプなどの改良、設置、増設によりまして多少
排水関係が改良されてきてはおりますものの、根本でございます
用水施設が能力的に甚だ低い現状を直すことが先決であるとしていることと、内ノ海海面の一部
埋立公園化により、内ノ海が泥沼化するのでないか。また、地元の振興と言われる中身が、私どもには明確化され、理解されるものになっていない。あまつさえ、県の計画では、最盛期には一日一万人を超す入場者があるというのでありますが、それに対して騒音、ごみ、粉じん、
交通渋滞、
治安維持などについて十分な施策が明示されておりません。その他にもいろいろあるとは思われますが、要するに地元に危倶の、
生活環境に甚大な影響を及ぼすものと予想されておるのでございます。 現在、
地球環境の保全がやかましく言われ、国の方針も是正され、今回の
阪神大震災で露呈されました先の見えない建設省のプランニング、CCZ、これは全国的に見ましても成功しているところはほとんどないと言われております。 つい余談になりましたが、鳴門市西地区の住民は、資金の出どころ、筋が違うとは申しましても、百五十億円の金を使うのなら、まず我々の直面しております水の問題に使ってほしいと四六時中考え、希望しておるのでございます。
撫養排水区の方は大分進んできたようでございますが、市として市全体の
排水計画をどういうふうに進めていかれるのか、この際はっきり提示していただきたいと思います。 また、従来海だけを心配しておりました高島が、
都市計画事業の施行によって雨水の心配までしなければならないようになってきております。
高島排水区につきまして、大分前から
計画区域の見直しが少し行われておるようでございますが、それがどのようになっておりますのか、また
撫養排水区の
事業進捗に進行と並行して高島のこの見直しを、また計画の改定を進めてほしいと申してまいっておりますが、それがどのように進んでおるのか、計画の内容とその
事業施行の
タイムスケジュールについてお伺いいたしたいと思います。市長からお答えいただきますように。 第二問。大分古い話でございますが、
救急車につきまして質問した記憶があります。その応答とダブることになりますが、
救急車はその後改良を重ねられてきておりますが、私が息子に付き添って乗車し
鳴門病院まで参りました十年前と同じことを、最近友人が乗せてもらって、病院へ行ったときに感じたと話をしてくれました。それは振動がひどい。乗車中に病状が悪化するのでないかと大変心配したそうでございます。やはり、この点は以前と同じでないかと思うのでございますが、この振動については、道路、
車両両面があると思います。ほかにもあるかもわかりませんが、その点どうなんでございましょうか。現在、どのように改良などがなされてきておるのか、
消防長にお伺いいたしたいと思います。 第三問。
阪神大震災に被災されました阪神・
淡路並びに鳴門市の皆様に深甚の弔意とお見舞いを申し上げる次第でございます。 さて、緊急時の管理につきまして、政府も国の内外からひどく突き上げられております当議会でも、
代表質問が四会派ともこれを取り上げておられます。種々御答弁がなされておりますが、県や他市ではさっそく
施政方針の中に組み入れられておりますが、当市は
本県唯一の被災地であるためか、慎重な措置であり、
提案説明書には触れられるところが少ないようでございます。慎重の上にも慎重を期して、万金の策を立てられるものと信じて疑いませんが、私といたしましては二十四日の御答弁の上にお尋ねをしたいことがございます。 先般の全協のときにもお伺いいたしましたが、一月十七日以降、市民、一般が困ったのは、親族への
問い合わせの方法、また見舞いの早急な往路などの情報がなかなかわからなかった点今後どういうふうにしてもらえるのでございましょうか。私の地区では、いまだに下着をつけて寝ておる人が、特に
独居老人に多いのですが、今後の対策のため、地震など
天災対策の手引が望まれております。何とかならないもんでございましょうか。
広報手段として、
消防無線、出張所のマイクなどが考えられると思いますが、その
伝達範囲、現在の
稼働状況のチェックについてもお聞きいたしたいと思います。 また、
防災計画策定の
事務局は、どこが受け持たれるのか。そのための委員会などをおつくりになるのでしたら、議員や民間人も加えるのがよいのでないかと思うのですが、その点もお伺いいたしたいと思います。 また、
消防団は、
消防本部職員とともに、
各種災害の防除、救済、復旧に大きく貢献するものと思いますが、今本部では団員の削減に努めているようでございます。この大震災にかんがみると、これは好ましいことではないと思うのですが、どういうふうにお考えになりますか。二十四日の
消防体制の御答弁の中で
消防職員の足りないところは、これはもうはっきり申しまして五〇%ぐらいしかないのですが、その足りないところは
消防団と協力してというふうな御返事を
消防長がされておりましたけれども、話が全然合わん。減らそうとしておる
消防団員の協力を得て、足りない
消防職員と協力をしてと言われる。足りない同士が手を携えて一緒にひっくり返るというふうなことがないようにしてもらわな困るとは思うんですが。その点、いかがなものでございましょうか。まず、
消防長の御所見を伺いたいと思います。 以上、御答弁をいただきまして再問をいたしたいと思っております。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君)
小森議員の御質問にお答えをしたいと思います。 まず、私への御質問は、鳴門市における
都市下水路事業の全体計画について、どうなっておるかと、こういうお尋ねでございます。現在、
都市計画決定をいたしております
都市下水路事業は、三つの排水区がございます。まず、
撫養排水区でございますが、
集水面積三百六十五ヘクタール、確率年十年、
降雨強度一時間当たり七十ミリ、
計画流量三十七・一トン、これは毎秒でございます。
現有ポンプの能力は二十一・一トンでございまして、約五七%の能力でございます。 続いて、
撫養西部排水区でございますが、
集水面積が二百三十三ヘクタール、確率年十年、
降雨強度一時間当たり七十ミリ、
計画流量は二十五・四トンでございまして、
現有能力は十五トンでございます。これも約六〇%であります。
高島排水区でございますが、
集水面積が七十ヘクタール、確率年が七年でございまして、
降雨強度六十五・六ミリ、一時間当たり。それから、
計画流量は八・五トン、毎秒でございまして、現在の能力は、四・三トンでございますから、約五〇%の能力でございます。 なお、これらの整備に対する平成五年度末までの投資額でございますけれども、
国費ベースでは、
撫養排水区五十三億一千三百五十五万円、
撫養西部排水区六億七千五百万円、
高島排水区では一億九千万円というふうになっております。
高島排水区の計画の見直しはいつごろになるのかという御質問でございますけれども、
撫養ポンプ場第一期工事の完成に伴いまして、
人口集中地区の斎田、
桑島地区を浸水から守るために、
八幡東浜主要幹線の工事の施工を予定しております。これが完成をいたしますと、できるだけ早い機会に
高島排水区の
見直し検討をいたしてまいりたいというふうに考えております。 それから、内ノ海の
総合公園の
排水計画と
高島排水区の計画は、別のものでございまして、関係がございませんので、この機会にあわせて御理解をいただくようにお願いを申し上げておきたいと思います。 それから、
消防長にお尋ねの
救急業務につきましては、
消防長の方からお答えをいたさせますが、傷病者の搬送時における震動をどうするかという対策については、
消防機器の問題と、もう一つは
道路整備の問題とがあると思うんであります。この
道路整備につきましては、かねてからそういう要望もございまして、特に
救急車の入ります
鳴門病院への入り口の道路、御案内のように
コンクリートで舗装ができておるところでございまして、その
コンクリートの継ぎ目が
救急車が走るたびにごとん、ごとんと音がするということが非常にこの
救急搬送のときに、傷病者に対して非常に影響があるのではないかと、こういう御指摘がございましたので、
特定道路の
維持補修の一環といたしまして、平成六年度と平成七年度で改修をして、
アスファルト舗装に変えたいということで、現在工事を進めておるところでございます。御理解をいただきたいと思います。 〔
消防長 播磨繁夫君登壇〕
◎
消防長(
播磨繁夫君) お答えいたします。 まず、
消防団の近代化、削減等の問題についてお答え申し上げます。 分団数あるいは
消防団員のこの問題でございますけれども、平成五年度より団長、副団長会におきまして、地域の情勢を踏まえ、自主的に
消防団のあり方や組識あるいは規模などについて検討されてまいりました。そして、昨年十二月開催の団長、副団長会におきまして、本年度、六年度からでございますけれども、三年計画で近代化を図る、いわゆる削減していくことを申しあわせされたわけでございます。
消防業務につきましては、市民の
安全確保を図ることがまず第一でございますけれども、複雑多様化する各災害への対応、あるいは
救急業務の高度化と、大きく変化いたしております。このため、
本部職員や、あるいは
消防団が組識的に対応していく必要があると考えております。したがいまして、
消防職員や団員とのバランスを図りながら、
団員皆様方の計画に協力してまいっていきたいと思っております。 なお、お尋ねがございましたが、今回の兵庫県
南部地震により
消防団の
活躍ぶりは大きなものがございます。その重要性も私も十分承知いたしております。したがいまして、ともに協力しながらやっていくということに対しましても、今後団長、副団長とともに協議をしながら、可能な
出動人員、あるいは
出動頻度、こういったことを検討をし、協議をしてまいりたいと考えております。 その次に、
防災無線関係の御質問もあったかと思われますが、これにつきましては、前回の市長からも申し上げましたが、これは、国の
基本計画によりますけれども、
情報伝達収集ということでございます。あるいは国の
防災関係機関と連絡を迅速にかつ円滑にできていくようやっていかなければならない。と同時に、県の方から入りました、あるいは気象庁から入りました震災に関しては、鳴門市の
消防無線によりまして、各地域へ伝達していくようにやっていきたいというように思っております。 それから、手引その他につきましてでございますけれども、これは二月の広報あるいは三月の市の広報等につきまして、それに注意を促していくということで、広報を十分利用していきたいと、かように考えております。 それから、
防災会議はどこの担当かと。
従前消防本部でやっておりますけれども、その中で委員にどうかということがございますけれども、
防災会議条例、これによりまして委員は次の各号に掲げる者をもって当てるということで、
指定地方行政機関の職員あるいは徳島県の職員、徳島県警察の職員、市長がそのうち内部の職員から指名した者と、あるいは教育長、
消防団長、
指定公共機関の職員ということになっております。さらには、
専門委員ということで、市の職員あるいは徳島県の職員といったことで指名することもできておりますので、今後につきましてはいろいろ勘案した上で
事務局会議を開きまして検討してまいっていきたいと思っております。 以上でございます。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 今回の
阪神大震災によります
緊急管理体制の中の親族等への
情報提供、あるいは
交通ルートの
情報提供等でございましたが、これらの情報等につきましては、私
ども救援対策本部を設置いたしまして、それぞれ
阪神関係、さらには
淡路関係、いろいろ
電話連絡をとっておりましたが、電話が不通というようなこともたびたびございましたし、それよリテレビを通じて
阪神方面の
交通ルートがどうなっているかということで、兵庫県
対策本部の方から流れておったことが、非常に的確でありました。情報はできるだけ収集はやっていきますけれども、このたびのような大きな災害の関係につきましては、
交通ルート並びに情報網が寸断されるというようなことがありましたので、できるだけそれらをカバーするようなことも必要かと思いますが、今後の
防災計画の中にも検討の一項目だと思います。 なお、現在もなお引き続いて
相談事務所を開設しておりまして、
阪神関係の被災者の
皆さん方から相談を受けていること等については、先方の
対策本部の方へ
問い合わせをして事情を聞きながらやっておるような状況でありますし、さらには
担当職員を
被災者先へ、被災地へ派遣をいたしまして、引き続いて
応援体制をとっておるような状況の中から、帰ってきた場合などの情報を収集していくような状況が続いておりますので、御理解を賜りたいと思います。 〔十八番
小森圀彦君登壇〕
◆十八番(
小森圀彦君) 初めに、よう聞いて返事をしてほしいということを申してなかったためかもわからんのですけども、非常に雑駁な御返事をいただいて、こんなふうなことで三回登壇やいうことが決められておるにもかかわらず、こんなとこでくくられてしもうたら、話は一つも進まんというようなことになれへんかという心配をいたしております。 再問の段階でございますけれども、まず第一間の、あっさりとお答えをいただいたわけですけれども、高島のこの
撫養排水区、
撫養西排水区、三番目が
高島排水区ですが、この
高島排水区のお答えの中で、七十ヘクタールというふうなことを、また七年で六十五・六ミリですか、そういうふうな返事をもろうたんですけれども、これは前にもお話をしたときには、これが広がって、変わっておるような返事をもらっております。また、七年でなしに十年に変わり、七十ミリというふうにも変わった返事をもらっております。それが、また今になってもとへ返るというのも非常に不思議な話だというふうに聞いておったわけです。 それと、見直しが済んどらんからというふうなことなのかもわからんのですけれども、見直しはもう三年も前にやりかけておって、それがどないなっとんか、そこら辺もう一回十分な返事をしてもらわなんだら、これは何回やったって同じことになる。今までした返事を土台にして質問をしておる。それに対して、またもとへいぬようなことをされたら、これはもうあしたの朝までもやらんならん。もう少し私の方が望んでおりますことに対する、まともな御返事をいただきたいと思います。 それと、
消防長にお尋ねして、
総務部長からも御返事はいただいたんですけれども、何か「まともにこないします」、「今後の問題でございますんで、これを何とかして」というふうなことにならんのか、簡単に情報が、市民が要望しておる情報が入らなんだ、それで困っておった。私のとこも、電話をかけたけれども、かからなんだという辺では、かかるようになったときに、中には現実にかけとる人もあるわけです。後でわかってきたのは、
公衆電話を、何か色の違うんがいろいろあるそうですけれども、色によって使えると。
公衆電話等使えないのがあったそうなんですが、
公衆電話を使えばかかったというふうなことなんです。そこら辺がはっきり市民の方ヘ早く伝わらなんだら、これは何にもならん。 それで、あのときは右往左往しておったのは、被災地の端っこにある鳴門市の市民も、近いところにたくさん親類がございまして、困っておったんですから、市民の立場になって、ようわかっていただけるようなことに、どないぞしてもらわないかん。その市がつかんだ情報を、つかむときにも問題があるでしょうし、また
一般市民に対する広報の仕方も問題はあるんだと思うんです。大きな反省点だと思うんですが、そこら辺が非常に薄い。 二十四日のときにも、
代表質問の中にも、手引のようなものが要るんちゃうかというような話がありましたけれども、広報でというふうな、広報やって、毎月定期的に出るもんでなしに、こういうふうに急いでおる場合は、臨時の広報を出すとか、何とかいうふうなことで手引をみんなに渡すと、知ってもらうと。常々言われる
高齢化社会になってきておる鳴門市で、
独居老人が非常に多い状態、そういうものを考えたら、すぐに手を打っておくべきでないかと思う。管が倒れんような手段はどうしたらええかとかいうふうなことも要るでしょうし、いろいろあると思うんです。そんなふうなこともいまだにわかっておらん。知らせていないような感じがしてならんのですが。 それと、
消防無線の話がちょっと出たんですが、
消防無線というのは、こちら本部の方から話はできても、なんの方からは返事ができるのかどうか.何かできんのでないかというふうなことも聞いております。それだったら、ただ単に流すだけであって、情報をキャッチするというふうなことには、ひとつも役に立たんのでないかと思うんです。そこら辺も聞きたいし、高島にある出張所にはマイクがあるわけですけれども、これが長いこと使っておらんので、使えるかどう
かしマイクで放送して、情報を知らせるというふうなことも考えられるわけですけれども、それもチェックしてあるんかどうか。それもお聞きしたと思うんですが、戻ってこなんだ。
防災計画の策定の
事務局は、「従来は消防だったけんど」というふうな話、前置きで
消防長が返事したんですけれども、これが従来のような
消防本部にというふうなことをやっておって間に合うかどうか。ほんだけ人がおるんか、たださえ足らんと言われよる五〇%ぐらいしかおらん職員が、そんなことまで引き受けてやれるんかどうか。 また、大きく目を見開いてせなんだらいかんもんじゃと思うのに、そこら辺どんなんか。
代表質問でも出ておりましたけれども、
消防職員が足らんのに、これをどないするというふうな、そしてその
足らん分はというふうなことを言われておるけれども、それがどない団員の方を減らすや言うこととあわせて考えたら、さっきも言いましたけれども、何ともかとも、
防災体制を強化せないかんときに、おかしなことになるんちゃうかと。そこら辺のことは、やはり市長からお答えをいただかないかんのでないかと思うんですが、お答えをいただきたいと思います。 もとへいんで、排水区の、
高島排水区の、ことにつきましては、もう一度ようわかる返事を、古いやつでなしに、大分進んできておったやつが、また後戻りしたような返事だったんですが、もとへ返してもろうて、話をしていただきたい。 それから、
救急車のことですけれども、
救急車は
鳴門病院までの、あのバイパスから分かれて
鳴門病院へ入っていく道路、これはたしかに悪い。それだけでなしに、我々の地区は幸いにして
都市計画事業が行われて、広い道路ができております、新しい道路が。その道路を走ってきて、そして
鳴門病院へ行くまでの間、鳴門塩業の前あたりを走っておるまで、あそこら辺まででも大概ごとんごとんいうわけです。それは、道路の関係もあるし、また車両の関係もあるということでしょうけれども、どない、簡単にできるんは、車両の方をどないか直してということを、後から道路の方を、そういう順番でなかったら、それこそ係が違う、県であり、その他であるわけですから、そこら辺直してもらわなんだら困るんですが、
救急車自体をどないしてもらえるんか、そこら辺も御答弁をもう一回いただきたいと思います。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君)
小森議員の再問にお答えをいたしたいと思います。 お尋ねは、鳴門市における
都市下水路事業の全体計画を示せと、こういうことでございました。現在ある全体計画をお示しをしたわけでございます。したがいまして、私が答弁を申し上げましたように、
撫養排水地区が完了をした時点で、高島地区については見直しを行うと、こういう説明を申し上げたわけでございます。もともと鳴門市の全体計画は、一番目に
撫養排水区をやるんだと、その次は撫養西部をやるんだと、三番目に高島をやるんだと、こういうことであったわけですけれども、
小森議員の再三の御質問や御要請にこたえて、全体的に見てみて、
撫養排水区が終われば、二番目には
高島排水区を考えるべきでないかということを、私はこれまでも御答弁を申し上げたわけであります。そして、その
高島排水区の
見直し検討というのは、やはり
撫養排水区の完了にあわせて行っていきたいと、しかもその見直しの方向としてはどうかというと、やはり
撫養排水区の
降雨強度だとか、あるいは
計画流量にあわせるような形で検討をしたいと、こういうことを申し上げたわけであります。 したがいまして、現在の計画は先ほども申し上げましたように、高島は七十ヘクタール、確率年が七年で
降雨強度が六十五・六ミリ、それから
計画流量八・五トンというふうになっておりますけれども、これは現在の計画量でございます。したがいまして、具体的に検討、実施をするようなときには、これは確率年も十年というような形でやらざるを得ないのではないかと、こういうことを申し上げてきたわけでございます。御質問が、現在の計画はどうなっておるかということと、見直しのときには、やはりまたこの数字も変わってくるだろうというふうに思いますので、そのことを御理解の上でひとつ私の答弁をお聞きとりをいただきたいなというふうに思うわけでございます。 それから、
消防団員の削減の問題でございますが、これは昨年私も出席をいたしております団長、副団長会議において、いろいろ自主的に議論をいたしました。削減というふうに、そのまま言葉を解釈しますと、何か市の
消防長の方で団員を減していくという方針のように聞こえますが、実際問題としては、団員が減少しておるという実態は
小森議員も御存じのとおりであります。したがいまして、団員が機動的に行動できるようにしていくためには、どういう編成がいいのかということを
消防団みずからが自主的に検討をしてみようじゃないかと、その際に、あるいは
消防団の数ですね、分団の数を減して、そして一つの単位団の充実を図るということの方がより機動的ではないのかというようなことをテーマに、これから議論をしていこうということでありまして、一方的に
消防団員を削減をしていくんだというふうに直訳をせられると、私の方の考え方、あるいは
消防団長会議で話したことと実態が違いますので、ひとつその点は誤解のないように御理解をいただきたいと思うんです。 最近は、御承知のとおり
消防団員の登録はできておりましても、団員が徳島へ勤めておるとか遠隔の地に勤めておるという団員も多くて、いざというときに集まってこれないと、こういう実態も現実にあるわけであります。それを機動的にやっていくためには、どうやったらよいかということをこれからひとつ自主的に検討しようと、こういう話し合いでございますので、ひとつ誤解のないようにお願いをいたしたいと思います。 それから、震動の問題でございますが、私先ほど道路の
維持補修ということについても努力をしていくというふうに申し上げました。道路の中には、県道もありますし、国道もあります。私の方は
特定道路という形で、市道の面については計画的にこれからも進めていきたいと思っております。 また、現実に病院の入り口のところについては、
コンクリートをはがして、費用は高いんですけれども、はがしてアスフアルト舗装化して、振動を和らげていこうというふうに努力をいたしております。 もう一つの方法としましては、ストレッチャーに乗すわけですね、
救急車の中に。このストレッチャーが非常に固くて、ストレッチャー自身にバネがないというようなこれまでの構造でございましたけれども、こういったものにもスプリング等を採用して、できるだけこのストレッチヤーに振動を和らげるようなものを整備していくようにも心がけていきたいというふうに思っておりますので、御理解をいただきたいと思います。 〔
消防長 播磨繁夫君登壇〕
◎
消防長(
播磨繁夫君) 一、二点の御質問にお答えいたします。 消防の団におけるところの無線でございますけれども、この無線につきましては、消防同報無線と申しまして、四十六分団、各分団の近くにこしらえておるわけでございますけれども、それはお尋ねのとおり、こちらの方から申し上げますと、ただ言うだけでございます。応答ということはできません。また、
消防団各分団団長さんには受令機というのをお渡ししてございます。それも、やはり聞くだけでございまして、その聞いた内容によってすぐに対応していただくというようなことになっておりますので、御理解していただきたいというように思っております。
基本計画につきましては、消防署におきまして警防を担当を主体に目下進めておるところでございます。過日も各
事務局員に対しまして、いろいろと問題点、それぞれの部門における問題点を出してきていただきたい。さらには、三月一日に
事務局会議もするわけでございまして、そのあたりの中で具体的にやっていかないかないというふうに思っております。したがいまして、今後はいろんなことを考えながら、計画の基本を立てていきたいと、かように思っとる次第でございます。 以上でございます。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君) 一つ答弁漏れをいたしておりましたので、補足をさせていただきたいと思いますが、防災の手引の問題でございます。これは、先日の質問におきまして、平岡議員からこういうようなものを市民に配ったらどうかという御提案もございました。非常にその御示唆にこたえて、私どもの方、あれを手に入れられるかどうかという
問い合わせを早速いたしたわけでございますが、問題が一つありますのは、国や県の
防災計画に対する基本的な見直しが行われますと、現在印刷されておりますこの防災手引は、もう古いものになってしまいはしないかという心配であります。 もう一つは、
問い合わせをしましたら、災害が今度発生しましたもんですから、いろいろ入手希望がたくさんございまして、現品がないということでございます。そういうようなこともございまして、私どものはできるだけ早い機会にこの防災手引というものを入手する方法、あるいはその中身の検討をしまして、できれば早い機会に市民の方々にこういうものが配られるように配慮をしていきたいというふうに思っております。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 情報の伝達の関係で私の方から御答弁申し上げますが、
公衆電話が通じよかったのではないかというようなことがございました。確かに一部ではそういうようなことがありましたけれども、電話そのものについては、今度の
阪神大震災につきましては、寸断をされておりまして、なかなかかからなかった状況でございます。そういうこともひとつ御理解をいただけたらと思いますし、さらには情報を、市民の
皆さん方に正しい情報を流さなければ、混乱をかえって市民の
皆さん方に与えるというようなことがあろうかと思います。それが、もし鳴門市の
対策本部から流れた、その流れた情報が間違っておったということになりますと、これまた市民の皆さんに大変御迷惑をかけるような状況になりますので、最近はテレビ等が非常に報道するのが早くなっておりますので、市民の
皆さん方はその情報を常に家庭において今度の鳴門市の場合は電気が停電したことがありませんでしたので、そういう情報は各家庭においてキャッチされておるものだと思いますし、交通の手段等についてもそのつどテレビ、新聞等で的確に情報が流されておりましたので、そちらの方を御活用いただける市民の皆さんが多かったのではなかろうかと思います。 今後につきましても、できるだけ
対策本部を設置しましたら、情報は収集しますけれども、それよりも早い情報の伝達が最近は全国に流れておりますので、そちらの方を御活用いただいたらというふうに考えております。
○議長(
工藤武重君) 小休します。 午前 十時四十八分 休憩 午前 十時四十九分 開議
○議長(
工藤武重君) 再開します。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 高島の方で、鳴門出張所にマイクがあるのではなかろうかというような御質問であったかと思いますが、出張所ではマイクはございません。消防分団で、各分団の方でマイクを設備しておりますので、出張所にはマイクの設備はございません。
○議長(
工藤武重君) 小休します。 午前 十時 五十分 休憩 午前 十時五十一分 開議
○議長(
工藤武重君) 再開します。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君)
撫養排水区の工事が完了するのはいつかと、こういうふうに言われますと、これからの予算の配分等も考えなければなりませんから、はっきりといつ完了しますということについては言えないと。特にこの問題につきましては、井上前衆議院議員、それから県の縣土木部長等で中央の方とも相談をして、
小森議員も恐らく御同席であったんではないかと思うんですが、そういう話し合いの中で、「これははっきりしたことは言えんわな」と。「できるだけ早い機会、できるだけ早いとはどのくらいな」と、「数年後というような形でないと、具体的に年次まで示すわけにはいかんわなあ」と、こういうような中央あるいは中に入った方々との話もいたしてきたわけでございます。このことについては、
小森議員も御存じをいただいておると思ったから、あえて私は答弁をしなかったわけでございますけれども、そういういきさつがあるということについては、再確認をしていただきたいと思います。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 高島出張所のマイクの設備の問題等につきましては、
小森議員さんは御使用されたというような御経験があるようでございますけれども、ただいまちょっと調べておりますので、お待ちをいただきたいと思います。 〔
市民福祉部長 松岡正次君登壇〕
◎
市民福祉部長(松岡正次君) 鳴門出張所の放送設備の件について、私の方からお答え申し上げますが、使用できるものはございませんので、御理解をいただきたいと思います。
○議長(
工藤武重君) 小休します。 午前 十時五十四分 休憩 午前 十時五十五分 開議
○議長(
工藤武重君) 再開します。 〔十八番
小森圀彦君登壇〕
◆十八番(
小森圀彦君) 最後じゃけん、ちっとすっぱりというふうに思うとったんじゃけども、ひとっちゃあすっぱりいかんわ。それで、あると言うたってないと言うしな。放送した人があると言よんじゃけん。ほんまもう情けない。こんな情けないことはないと思うわ。もう三回目になっとんで、非常につらいんですけども、三回目の答弁もろて、それで小休入れて返事をもらうよりしゃあないかもわからんけども、お許しを願いたいと思います。 井上代議士なんかが出てきて、もうえっと会わんけん、どないにしよんぞと。非常に遅うなるということで、私の方は
高島排水区の区域の見直し、もちろん区域の見直しについても、前は、それはようわかっておりますわ。七十ヘクタールでなしに百ヘクタールというふうな話も出ておりました。現在の計画ということに限ってお答えをいただいたわけです。私の方は、もう現在の計画ったって、ここで発表したやつは、新しい計画になっとんだというふうに考えたり、どなたさんでも同じようだと思うんですけれども、自分の都合のええような解釈をして返事を聞く。自分が立っとるとこは、もう新しい方に立っとると思うとったんじゃけど、厳密に言うたら違うというふうな、へ理屈みたいなもんです。私の申し上げとんのは。ほなけど、この状態でいけば
撫養排水区の完了後という言葉がいつごろになるんか。数年と、十がついとらんけん、十年まではかからんということでしょうけど、非常に遠い、何を言いましても、七年度から九年度までかけて管渠をつけられるという予算が出ております。それで終わるんでないかというふうに考えておったんですけれども、そこら辺がようわからん。何年かございますんで、その間に区域の見直しをするとか、計画の改定をするとかいうふうな、少々でも進むような話がお答えがあるんかというふうに考えておったんですけれども、そこら辺は遠くの方へ、かすみの中に消えてしもうたような感じがしておるんです。そのかすみをどないぞ消してもろうて、少なくとも区域の見直しだとか、計画の改定というふうなことをいつごろやるというふうな御返事をいただきたいと、こういうふうに思います。 ストレッチャーが云々とか、
救急車に関しては、ストレッチャー云々、これはわかっとんです。いろんな新しいもんができてきとる。ただ、新しいものができておる
救急車もあり、できとらんのもあると。でも、私の息子や友人が乗ったんは古い方のやつに乗ったんだと思うより仕方ないと思うんだけれども、早いこと新しい、改良されたものに直してほしいというふうに、これは要望をいたしておきます。 それから、
防災会議は、結局どこでやるか、
消防長が仕切って、自分とこでやるような話をちらちらとしよったけんど、わからんずくです。
防災計画の策定会議、この辺はどないなさるんか。市長の方から御答弁をいただきたいと思います。そのときには、議員並びに民間人を入れた会議でそれをやってほしいというふうなことを申しておるんですけれども、その点はいかがなりますのか。それと、びっくりさせられたんは、高島の出張所にマイクがあるんだと。ないという返事が来て、今度は使えんという返事が来た。これをチェックしておかなければならんと思うのと、それから
消防無線が応答ができん、ただ単に流すだけ、情報を流すだけやいうのは、無線では、これはもう情報を集めるんでなしに、情報を伝達するだけしか役に立たん。ですから、この情報を収集する、伝達する、そのためには、やはり応答ができるようなもんにせなんだらあかんだろうと。それと、高島の出張所にある使えないようになっておるマイクですけれども、これを使えるようにして、使うてもらうと。恐らく、各出張所にもそういうことをされて、そして情報が流せるように。でなかったら、交信途絶したとき、そういう情報を流す方法が全然なくなる。これも電話が生きとればというふうなことになるかもわからんのですけれども、無線があるんですから、無線で流すというふうなことができると思うんです。いろいろ直してもらいたいことはたくさんあるわけですけれども、最後の御答弁をいただいて終わりたいと思います。締めくくりはまた後日改めてやらせてもらうことにいたします。 今になったら、十二年間、違う人、初めからの方もおられるし、新しい方もおられるけども、長い間のことでございまして、下手な話を長いこと聞いていただきました。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君)
防災会議委員のメンバーでございますけれども、若干の見直しはあると思いますけれども、これは関係官庁、例えば農水省の食糧事務所、労働基準局、建設省、それから鳴門財務事務所、鳴門土木事務所、保健所長、警察署長、それから電信電話、あるいは四国電力、四国旅客鉄道株式会社、市の医師会、業剤師会、食糧卸協同組合、商工会議所、あるいは商工会、農業協同組合、漁業協同組合、議会代表と、こういったメンバーで組識をしておりますので、一応その市内の各種団体を網羅した形の中で
防災会議が審議されるというふうに御理解をいただきたいと思います。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 鳴門出張所のマイクの問題でございますが、防災関係につきましてのマイクは、市民の
皆さん方、各地域の住民の
皆さん方に周知する放送体制については、
消防団の詰所から放送ができるようになっておりますし、それぞれ消防分団では無線機を持っておりますので、その無線機の方から応答ができるようにもなっております。基本的には六つの出張所がございますけれども、六つの出張所で住民に周知するマイク放送の設備等につきましては、現在のところ計画をいたしておりません。
○議長(
工藤武重君) 小休します。 午前十一時 五分 休憩 午前十一時 六分 開議 〔副議長 泉 善治君 議長席に着席〕
○副議長(泉善治君) 再開します。 次に、教育行政について……。 〔発言する者あり〕 小休します。 午前十一時 六分 休憩 午前十一時 十分 開議
○副議長(泉善治君) 再開いたします。 次に一、教育行政について 二十六番 福鳥慧雄君 〔二十六番 福鳥慧雄君登壇〕
◆二十六番(福島慧雄君) 議員の最高の舞台であります本会議に登壇させていただく前に、かぜをひきまして、まことにお聞きづらいかと思いますが、よろしくお願いいたしたいと思います。 なお、時間配分を見てみますと、どうも途中で切れるような気もいたしますし、皆様方のなるべくの御協力をいただきまして、早い時間に終わりたいと、かように思います。 それでは、教育行政について申し上げます。 特に、西宮市において、震災により亡くなられた人たちのための西宮、芦屋合同慰霊祭が皇太子御夫妻を迎えて、昨日厳かに行われていました。そのように多くの犠牲者を出した阪神・淡路大震災で亡くなられた方や御遺族の皆様方に哀悼の誠をささげますとともに、被害に遭われ、今なお不自由な集団避難生活を余儀なく強いられている皆様方に対し、心より御礼申し上げます。 また、鳴門市にあって災害に遭われました方々に、あわせてお見舞い申し上げますとともに、一日も早く復興への努力と協力を惜しまない者の一人であります。また、阪神の震災に一早く駆けつけ、活躍されました本市職員の皆様には、大変御苦労でございました。 いろいろこの地震について調べていきよりますと、過去四百年の歴史の中には六十年前後を一周期とする経済、文化の大きなうねりが繰り返されていると言われております。その大きな波動が、特に下り坂に入った初期に、不思議とこの大災害が多いというふうに言われておるわけです。ちょっと例を挙げてみますと、豊臣秀吉のあの豪華な時代が行き詰まっていったころには、伏見の大震災、寛永の繁栄が下り出すと明暦の大火、元禄の栄華が陰りを見せ出すと、富士山の大爆発、それから明和の地が雲り出したときには桜島の大噴火、そのようなわけでございます。そのような中で、特にこの地震災害というものが時代の下がってきた中で、今回特に平成の元禄と言われたことの中から、こういった大きな災害、バブル崩壊の中で災害というようなことを考えてみますと、日本も歴史に漏れず、不況の方向へ行くのでないかなという懸念をいたしておるわけです。 さらに、本題に入る前に一つだけ報告をさせていただきたいと思います。 これは、私が先披震災の影響で、母子寮というものがどないか利用できないかということで、母子寮を視察といいますか、見させてもらいに行きました。そのときに、保母さんが寄ってきまして、「実は議員さん、母子寮には子供ショートステイというのがあるんじゃ」と、「だからこれを利用してどないぞ、太陽の子の交流と、被災された子供の春休みの間の短い期間の交流ができないだろうか」というふうなことで、私もこのことを本会議において発言をする予定でございました。ところが、そういうことがもう既に県の福祉課の方でこのことがもう計画されて、質問を取りやめて、急慮この教育問題というものにかかつたわけなんです。ところが、そのように、いわゆる現場の中から、そのようなすばらしい……。
○副議長(泉善治君) 小休いたします。 午前十一時 十五分 休憩 午前十一時 十六分 開議
○副議長(泉善治君) 再開します。
◆二十六番(福島慧雄君) それでは、教育論に入っていきます。 教育の問題でございますけれども、この場合はまたおしかりを受けるかもわからない。県会議員さんの問題でないかと思うのですが、鳴門市の子を持つ保護者の悩みとして質問をさせていただきたいと思います。 ことしも「十五の春を泣かせるな」と言われる入試のときがやつてきました。先日、日曜日に県下の高校の最終の入学定員と受験者数の発表があり、受験生本人はもとより、先生、保護者の身を削る思いがこの寒い寒のさなかに、受かるか、入学できるかという葛藤がなされていくのであります。この心配や苦しみは、受験生を持った保護者であれば、だれしもが大なり小なり経験されておることは事実であります。 先般、前の議会だったかと思うんですけれども、大麻中学校の校区各PTA連盟による平成九年度開校予定の川北高校に対して、大麻中学校区を特例として川北高校への入学を許可されるようにと陳情書が出されたという話を議員さんの質問の中で聞いたわけです。私は、この鳴門市の高校、通学区の見直しがこのごろささやかれているわけでありますが、むしろ平成九年川北高校開校を目指して、基本的な学校の改革を考えるとともに、本来の鳴門市の子弟の高校のあるべき姿というものを検証してみようと思っております。 特に、これは教育長にお尋ねでございますが、まず総選校の歴史について。それから二番目には、総選校への通学される生徒、保護者の負担について。それから、県下全体に見る鳴門市内の高校の進学状況についてなどをお答えいただきまして、また再問したいと、かように思います。 〔教育長 脇谷 功君登壇〕
◎教育長(脇谷功君) 総選校の歴史についてというふうな御質問でございますけれども、その前に、高等学校の通学区域の指定ということにつきましては、地方教育行政の組識運営に関する法律第五十条で、都道府県委員会は、高等学校の教育の普及及びその機会均等を図るため、教育委員会規則で高等学校を指定して通学区域を定めるというふうに決められて、それを受けまして、徳島県公立高等学校通学区域等に関する規則(昭和四十六年教育委員会規則第十二号)で規定をされておるところでございます。 そこで、総選校の歴史でございますが、昭和四十七年当時、徳島市内の普通科高校入学志願者が集中いたしまして、その集中を避け、かつ地元高校を育成するために、それまで県下を甲乙学区の二つに分けておりました中に、丙学区、徳鳥市を丙学区に指定して、総選校が昭和四十七年より、徳島市内四校、城南、城東、城北、市立で総合選抜制度が実施されました。あと昭和五十五年、新たに城ノ内高校がこれに加わりまして、そこで市外からの流入制限が決められたわけでございます。 この市外からの流入制限と申しますことは、県の教育委員会規則の第四条で、学区内通学及び学区外通学というので、一番目に保護者の住所に所在する学校の高等学校に通学する者とすると。原則は、保護者の住んでおります高等学校に行くと。ただし、別表二で佐那河内、松茂町、北島町、藍住町、神山町区域に保護者の住所がある生徒は、徳島市の総選校に通学することができると。 それから、第四条の二に、県教育委員会が別に定める生徒数の範囲内に限り、当該生徒の保護者の住所に所在する学区以外の学区の高校に通学することができる。これが学区外通学でございます。この学区外通学のことにつきまして、昭和四十七年から学区外通学は二〇%、昭和五十一年から一五%、昭和五十三年から一三%、昭和五十五年から一二%、昭和五十七年から八%と、暫時減少し、現在に至っておるところでございます。
○副議長(泉善治君) 小休します。 午前十一時二十三分 休憩 午前十一時二十三分 開議
○副議長(泉善治君) 再開します。
◎教育長(脇谷功君) 総選校に鳴門市から通っておる生徒、保護者の負担というふうなことにつきましては、物理的に御理解いただけるだろうと思いますが、まず時間的なものがございます。やはり、そこに通う時間、それから経済的な面があろうかと思います。 その次に、市内三高校の進路状況についてお答え申し上げます。 鳴門高校の進学率は、平成四年度八四・五%、五年度七七・八%、六年度は今大学の二次等々で未定でございます。第一高校につきましては、平成四年度二五・三%、五年度三一・四%、六年度三二・三%、鳴門工業高校では平成四年度一八・八%、平成五年度二四・六%、平成六年度二九・三%となっておるところでございます。 〔二十六番 福島慧雄君登壇〕
◆二十六番(福島慧雄君) ただいま教育長の方から、総選校がなぜ始まっていったのかと、いつごろから始まったんかというような回答をいただいたわけですけど、特に私も現場出身でございますので、このことにつきましてはよく理解しておるわけでございます。特に、総選校が始まっていく経緯等の中に、やはり徳島志向という親の願いというものがこの中に多く寄与しておるわけです。それは何かといいますと、先ほど就職状況、あるいは進学状況等々のパーセントなどを聞いておりますと、かなり市内高校との間の格差というものがあることがおわかりになられるかと思うわけですね。だれしも、親は子の出世といいましょうか、子の成長というものを願っていくわけです。そうした中で、少しでも教育のレベルの高い学校を目指して切磋琢磨していくという親子間のそういった愛情の発露というものがそこにあって、そしてそのような結果が生まれてきておるというふうに思うわけです。 ところが、今県下的にこのような状態を見回してみますと、特にその地域におけるところの学校の中で核となる学校ができてきておるわけですね。それを例を挙げてみますと、南の方では富岡西、それから西の方では池田、脇町、それから阿波、板野、このように従来見られなかった傾向がここ数十年ぐらいの間に、いわゆる総選校の中心校への集中というものから徐々にいわゆるそういった核高校ができてきて、そうして地域の子供はそのいわゆる自分たちの近くの高等学校へ進学しておるというのが現状であります。 ところが、なぜか鳴門市にありましては、どうも中心校であるべき姿を持っておるところの鳴門高校に行かずに、八%の多くが総選校を目指してやっておると。ここで、ちょっと私問題になるかもわからないんですけれども、あえて発言させていただく。それは、私が現場でおったということの中で、すなわち高等学校のクラス編成を見るときに、特に中学校あたりのクラス編成をするときには、成績等々加味して、そのクラス間の格差というものがないように、知能指数なり偏差値なりを十分に勘案しながらクラス編成をやっていくわけです。ところが、特に鳴門高校の場合をとってみますと、約八%の上位が抜けておる中で、いわゆる分布曲線がこうあるところのものが、右寄りの方がいわゆるそういったレベルが高い、左の方が低いというふうな分布曲線の図を、分け方があるんですけれども、それが左の方へ寄ったところの分布曲線の中でのクラス編成というものがなされて、そこに本当に学校経営、学級経営というものが正常にやられていく可能性というものがあるんだろうかどうかということに一つ大きな疑間を持っておるわけです。中学校の場合であれば、そういった均等配分というものをやっておるために、大体いろいろなことをやっても、各クラス間においての競争というものが、十クラスあって、一クラスと十クラスが大きく駆け離れるというようなことは見られないというのが現状であるわけです。ところが、そのようないわゆる鳴門市から八%の、上位八%の生徒が抜けていくことによって、そういったものが問題点がないのかどうかということの疑問を持っておるわけです。 また、さらにはそういった中で、本当に人材育成教育というものが真剣になされていくんだろうかなというふうな疑間に通ずるわけです。そのことが、振り返ってみますと、大学進学の入学一覧表というもの、あるいは入学のお知らせというのが出てくる中で、どうも総選校及び先ほど言いました県下の各高校から見劣りするようないわゆる成績、合格発表者というものの数の少なさというものに非常に疑間を持っておるわけでございます。 さらに、教育長が申し上げられましたけれども、総選校へ行くということについては、保護者に非常に大きな負担をかけておるわけです。特に、我が鳴門市の職員の中にも、多くの子弟がそういったいわゆる機会に恵まれて行っておりますけれども、いろいろお母さん方の話を聞いてみますと、大変だと。朝起きて弁当つくって、そしてまた子供も遅く帰ってきて、勉強を一生懸命して、また朝一番の汽車とかそういったもので行かなければいけないと、そうしたものの、さらには経済的な負担とか、あるいは肉体的な負担とか、あるいは精神的な負担といったもののそういった負担を抱えることによって、非常に大きなプレッシヤーになっておるんだとのあるいはまた、健康のようなものが非常に損われることもあるというふうなことの中で、毎年各中学校区から高等学校の定員についての陳情書というものが毎年出されておるわけです。その陳情書の中身を見ましても、特に普通科志向が高まりを見せる中で、鳴門高校の着実な教育実績というものの評価と、地元高校の育成を図ってくれというふうなことが陳情する中に大きな一項目として出されておるわけです。 そのような中で考えてみますと、この鳴門市全体を見回してみて、県立の二校と、それから市立の一校というこの三校をあわせて、鳴門市全体の高等学校教育というものを見直していかなければいけない時代にもう来ておるんでなかろうかと。特に、これは従来長い間の古くて新しい問題と言えばそれまでですけれども、本当にみんなそういったものが、鳴門にそういった高校ができないんだろうかと。また、学校の先生方も、総選校八%に行ける子でも、なるべくなら地元高校へ残して、そしてどないかレベルアップを図ろうというふうに、中・高校とも先生方が非常に努力を払われておるわけです。私自身もそういった経験を持っておるわけです。ところが、卒業して会って、「どうだった。どっちがよかったぞ」と言うて聞きますと、「先生やっぱり切碇琢磨していくんだったら、徳島へ行っとった方がよかった」と、「私も国立大学は通ったけれども、ひょっとしたらもっと上ヘ行けとったんではないか」というふうに言われるわけですね、同窓会等々などで会いますと。そうすると、私たちも鳴高へ残したことが非常に自分自身の苛責になって、「ああそうだったんかなあ」という、非常な不安な気持ちになっていくわけです。 そのような中で、特に今先ほども申しましたように、中学校側からの陳情書の中に、普通科志向がふえておると、この中で第一高等学校、鳴門高校を普通科にして、そして市立高校の中に新しい学科、特に最近は第三の高校と言われるように総合学科と言われるものの中で、新しい時代にマッチしたところの学科というものが大いにつくられておるわけです。今までに見られなかったような学科も他府県においてはつくられて、そうして高校教育の見直し、全般的な見直しというものがなされていっておるわけです。そうした中で、特に私はこれは市工において新しい高等学校としての新しい学科を、特に鳴門市三校というものの中でとらえたいわゆる学科をつくる考えがあるのかどうかと。 それからもう一つは、やはり先ほどからるる申しておりますように、これは県の教育委員会がやる仕事でございますけれども、恐らく県下全体を見て、今鳴門の問題が県教育委員会にも一番大きな悩みの問題ではなかろうかと思うわけです。それは、皆様御存じのとおり、鳴門高校の生徒数が最も多いと。この中で、いわゆる正常な普通科教育というものができ得るんかどうかというものに非常に疑問を持つわけです。この意味について、教育長に、毎年PTAから陳情書が出ておることについて、ひとつどのようなお考えを持っておるのか。この二点について、お尋ねしたいと思います。 〔教育長 脇谷 功君登壇〕
◎教育長(脇谷功君) 御質問にお答えをいたします。 この前の議会に、近藤議員さんから御質問がございまして、市長の方からお答えをいただいたわけでございますけれども、ともかく鳴門市内の普通科を育成しなければいけないというふうなことで、推薦入学制度をとっておるわけでございます。高校の推薦入学制度は、一つは学力優秀な者、これを俗に①、九一と言うております。それから、推薦入学の二つ目の内容は、文化、芸術、体育、スポーツにすぐれた者、これを中学校側では②、九二と言うておるわけでございます。そこで、鳴門高校は、①、学力優秀な推薦入学の確保生徒数は、県内で最高をとっていただいて、優秀な子供たちの歯どめというふうなことで頑張っていただいております。ちなみに、総選校には①はございません。 それから、高等学校の教育改革の内容というふうなことについて、いろいろございますが、議員御指摘のように、学科の再編成というふうなことは、非常に県下全体に重要だし、国全体でも非常に大切なことと思います。時代の流れと申しましょうか、高校教育の改革は、特色ある学校、学科等の設置とか、あるいはまだ徳島県には出ておりませんが、単位制高校の設置とか、あるいは学校間の連携とか、あるいは専修学校における学習成績の単位認定とか、あるいは技能審査の成果の単位認定とか、ともかくいろいろ改革の内容が国の施策として打ち出されておるわけでございますが、徳島県にとりましては、御指摘のように学科再編成が最重要課題というふうなことで、県の方も取り組んでおるようでございます。そういうふうなことにつきましては、私どもの方はそういうふうな時代の流れとか社会の変化とか、いろいろそういうふうな状況に対応できるよう学科再編の中身について検討をいたしまして、いろいろ御意見を集約いたしまして、県の方へ申し入れをしたいというふうに思うところでございます。議員さんお示しのとおり、私どもの方にそういうふうなこと、権限はございませんので、そういうふうなことについては、今申し上げましたような対応をさせていただきたいと思います。御理解をいただいたらと思います。 〔二十六番 福鳥慧雄君登壇〕
◆二十六番(福島慧雄君) 今答弁をいただいたわけでございますけれども、特に川北高校が平成九年にできるわけそございますけれども、恐らく川北高校ができますと、名前のように川内、松茂、北島、藍住、こういったところの生徒が過半数を恐らく占めるんではなかろうか。鳴門も含めて、この川北校区の、総選校ですから、振り分けというのがあるんですけれども、恐らく交通の便、あるいは教育環境等々を勘案したときに、恐らく第一希望を川の南側にしとっても、恐らく振り分けられる率というものは、川北高校育成というようなことの中で、多く振り分けられるんでなかろうかという、これは懸念であります、あくまでもね.やってみなければわかりません。 そうしたときに、これがだんだんと続いていく中で、果たして鳴門の生徒、今まで八%の者がここの高校を目指して勉強をするんだろうかどうかということが一つ大きな、これは私が懸念する課題であろうと思うんです。そうなってきますと、やはり旧来ありました、言いますと昔は板野郡ですね、旧板野郡であります。旧板野郡というのは撫養中学というものを核にして、そしていわゆる板野郡の教育効果、あるいは実績というものを上げてきたのが現状であるわけです。だから、そうしたことの先取りといいましょうか、先読みができるのであれば、今私が再三申し上げましたように、ここに新しい鳴門市県立高校の二校と市立高校の一校という、この三校を十分にいわゆる教育効果が上がるように検討いただいて、そして先ほど申しました県下にはそれぞれ各地域に核高校というものを持って、非常に多く、大きな実績を上げておるわけです。これもまことに失礼な言葉になるかもわからんのだけれども、私どもが高校におりました時には、板野、それから阿波高校というのが、これはどちらかといいますと今よりも実績が劣っておったわけですね。特に鳴門高校と板野高校を見合わすときに、やはり板野郡からも鳴門高校への志向というものが強かったわけです。ところが、最近はこれが逆転されまして、板野高校への志向というものが高まっておるというのが、これが現実であります。 そのような中で、わざわざ八%向かって外へ行くときに、その人たちの、従来もそうですけれども、ふるさと志向というものがあるのかどうかと。同窓会をしても、中学校の同窓会をしても、はや八%で徳島へ行った人たちはなかなか寄ってこない。また、私の息子も、私事で失礼なんですけれども、高等学校を卒業して県外の大学へ行ったわけです。そうすると、帰ってきましても友だちがおらないと。だから、なかなかふるさとへ帰ろうとしない。そんなことの中で、やはりふるさとに人材をつくり、鳴門市の将来というものの展望を開いていくときに、やはり鳴門市の高等学校の中で卒業し、ふるさとを愛するいわゆる子供を育てていくということが鳴門市にとって大きなこれは財産につながっていくわけです。 そうした中で、ひとつ市長に最後でございますので、お尋ねいたしますけれども、この県立二校といわゆる市立一校の、いわゆるこの鳴門市三校の教育を考える審議会といったものを設置されて、そうしてそういった教育問題を真剣に考えていただきまして、特に本来の姿であります地元校への進学、地元校からの卒業と、そうすることによって、いわゆるふるさとへの人材育成というものにつながっていくんではなかろうかというふうに強く感じましたので、そのようなことをお尋ねいたしまして、私の締めといたしたいと思います。 終わります。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君) 福島議員の御質問にお答えをいたしたいと思います。 さきの質問で、近藤議員の方から、市内の高校進学の志望の中で、新しくできる川北高校への進学を志望しておる生徒が非常にたくさんあると。したがつて、これを救う方法はないのか。こういうような見地の御意見もございました。あるいはまた、今福島議員からは、地元三校の育成ということを重点的に考えていかなければならんと。市内の高校進学に対するコンセンサスがことほどさように今のところ得られておらないというのが実態であります。しかし、川北高校は、平成九年から発足をするわけでありますが、この九年までに、やはりこれからの高校再編成の問題について、もう一回関係者が議論をしてみる必要があるのではないかというふうに思っております。 川北高校ができたという理由は、徳鳥の現存の五総選校の規模が拡大をしていて、適正規模を欠いてきたということによって、今度川北高校ができて、各学校の学級数も三十学級ぐらいにしていこうという構想であります。そうしますと、今の鳴門高校三十六学級あるわけでありまして、県下で一番大きな規模の学校になってくるというようなことであります。果たして、県や国が考えておる適正規模として、鳴門高校はそのままでいいのかどうかという問題も起こってくるわけであります。 いま一つ問題がありますのは、進学希望の中で、かつては実業高校志望もありましたけれども、最近は普通科高校進学希望も非常にふえてきたと、こういうような時代の流れというものもあります。そういった一連の環境の変化の中で、鳴門市の地元三校がどのようにあるべきかと。基本的には、我々としては地元高校を育成するという基本をまず押さえて、その中でどうあるべきかというようなことにつきましては、今後関係者と、例えば高校進学校討委員会といいますか、そういったものを設けて、鳴門市の高校のあるべき姿というものを探っていく必要があるのではないかなというふうに思っております。一人これは鳴門市だけの見解でおさまるものではなくて、県とも連携をしなければならない問題でもございます。しかしながら、鳴門市の意思のコンセンサスを図ることが前提であろうと思いますから、鳴門市の検討委員会を開いた検討結果を、県の方とすり合わせて、どういう形が一番ベターであるかということについて、今後検討をしていく方法を確立していきたいというふうに思っておりますので、御理解をいただきたいと思います。
○副議長(泉善治君) 小休いたします。 午前十一時四十九分 休憩 午後一時 開議 〔議長
工藤武重君 議長席に着席〕
○議長(
工藤武重君) 再開いたします。 次に一、市長の政治姿勢について二、公正な同和行政について三、市制五十周年事業について 四番 田渕 豊君 〔四番 田渕 豊君登壇〕
◆四番(田渕豊君) 質問を始める前に、阪神・淡路大震災によりまして亡くなられた皆様に、また被害を受けた皆様に心から哀悼の意とお見舞いを申し上げたいと思います。 また、本市においても被災をされた市民の皆さんに心からお見舞いを申し上げたいと思います。 さて、今議長が読んでくださいました通告のとおり質問を進めていきたいと思います。 今期最後の質問になりましたが、予算議会であるのに登壇者が私も含めて七名という大変低調な議会になり、まことに残念であります。 私は、二期八年、矢野市長に対して市民の代弁者として百項目以上の政策提言と要望を提出してきました。野党という立場、また厳しい矢野市政のもとではありますが、それでも我が党の主張が徐々にではありますが市政に反映してきているというような感想を持つ昨今であります。 さて、新年度予算は、本市の第三次総合
基本計画の発表後の初めての予算であり、「海峡交流都市、人が集まるまち 文化のかおる ふれあいのまち」をどのように創造していくのか、初めて問われる議会であります。 私の一問目の新年度予算と福祉、平和、文化行政については、この三つのテーマについては、昨年の三定、四定と取り上げ、討論してきたところであります。そういうことから、そのことを踏まえながら、要点だけに絞って質問をしておきたいと思います。 まず第一番目が、福祉行政です。質問の通告要旨のとおり、本市における福祉行政を進めていく上でのどうしてもなくてはならない福祉理念、その確立と指導の貫徹についてのみ質問をいたしたいと思います。 昨年の十二月議会で、福祉部長は私の質問に答えまして、各種研修会に積極的に職員を参加させているとおっしゃっておりますが、本市においてはいまだ福祉理念の確立が果たしてあるのだろうか。また、その理念の大切さが職員に徹底されていないのではないだろうかというふうな感じを私自身いたしております。そういうことから、福祉現場や福祉窓口でトラブルが絶えないと言えば語弊がありますが、初日の
代表質問でも福祉行政での窓口行政で問題が出されておりましたが、私も福祉現場や福祉窓口での諸問題というものをいまだに強く感じているのでありますが、福祉理念がそういう現場に、あるいは職員に徹底していないのではないかという感じを今日までの議論の中で強くしたわけであります。例えば、この人事異動を繰り返しても、理念が貫徹されていなかったら、その部署についた職員個人の思いつきや個性で運営されてしまうわけであります。 そこで、部長にもう一度お聞きしますが、この福祉理念の確立と指導の貫徹について、部長はどのように現状を把握し、お考えになっているか、お聞かせ願いたいと思うのであります。もしよろしければ、部長の福祉理念、ございましたらあわせてお聞かせ願えるものなら、お聞かせを願いたいと思うわけであります。 また、この福祉理念を確立していくための体系的な学習が果たしてできているのだろうかということについてもお聞きしたいと思うのでありますが、七年度の研修予算、また研修カリキュラムがどうなっているか、御説明を願いたいと思います。あわせて、人事部の研修計画、これがございましたら御答弁、御報告をお願いしたいと思います。 二番目が、市長の政治姿勢の平和行政についてであります。これも、昨年の三定において、私は市長に対して来年は終戦五十周年、そして被爆五十周年という大きな節目の年を迎えるのですから、本市においても何らかの平和行政を実施するように強く求めたところであります。市長は、それに対して本市は第九の演奏を通じて、鳴門市として訴える事業は既にやってきておるので、特に五十周年だからといって、今のところ計画はないと答弁されております。七年度の予算書を見る限り、そのとおり第九以外に平和行政の企画は何一つ計画されておりません。大変残念であります。 市長も御承知のとおり、徳島県の予算が発表されましたが、この新年度予算を見ますと、県は戦後五十年の記念事業企画として、総務部、福祉生活部、県教委の各部局に関連予算を盛り組んでおります。市長は田渕以上に平和に対しての熱情があるとおっしゃいましたが、その熱情があるなら、県の企画の一つぐらいは本市においても実施してよいのではないでしょうか。私はそう思います。実施するお考えはありませんか、いま一度お聞きしたいと思います。 三番目が、文化行政であります。第三次総合
基本計画は、文化のかおるまちをスローガンに掲げました。その新年度予算に、その具体化策の一端がどのようにあらわれるか、少しは期待をしておりましたが、私が見た限り全くありません。ただ、今回市長の議案説明の中で、文化に関して次のような文章が出てきております。「心の豊かさと潤いのある生活が求められる現在、市民の文化、芸術に対する関心は多様化するとともに、高まってきております」と市長は読み上げました。この現状把握は正しいと思います。市民の文化に対するニーズは、市長が認識している以上に高まってきていると思います。しかし、残念ながら議案説明はこの現状認識だけであり、それでは具体的にこれらの市民のニーズにどのようにこたえ、心の豊かさと潤いのある生活をどのように行政として支援し、築いていくのか、全く説明がされていないのであります。市長は、これまでの私との議論の中で、文化に関して特定の課を設けて文化を促進するということはベターでない考えを述べられてきました。しかし、それで豊かな心を育てる都市づくりを進めていくことができるのでしょうか。私にはいまだ理解できません。文化の創造、文化の活動は、市民の幸せに欠くことのできない大切なものでありますから、いま一度質問をし、市長のお考えをお聞かせ願いたいと思うのであります。 さて、二番目の公正な同和行政について質問をいたします。 今回は、私は逆差別の問題についてのみ質問をしたいと思います。今こそ公正な同和行政を実施するのか、それともしないのかは、二十一世紀に差別を持ち越さないのか持ち越すのかがするどく問われている、古くてより今日的なテーマであります。私は、議会で一貫してこの問題について矢野市政の同和行政を批判してきましたが、改善されるどころか、解同に対する団体補助金を二百万円もアップし、部落差別を半永久的に残す部落差別撤廃条例まで制定してしまいました。 今回のテーマである逆差別の問題についても、これまで一定の討論をしてきましたが、今回はこの逆差別の問題に絞って質問をしておきたいと思います。 逆差別の問題については、よく市民の間でも話し合われていることでありますし、そのことについて広報なるとも何度か逆差別の問題について掲載をしたことがあります。市民の逆差別についての意見、批判に対する市の態度はどうであったか。市の態度は、市民の批判が筋違いのものであり、逆に批判する姿勢でありました。部落問題は二十数年間続けてきた同和行政や、あるいはさまざまな民主主義の大きな運動の中で、部落と部落外との格差がほとんど解消していくという大きな転換期を迎えております。 そういうことから、少し逆差別の実態を考えてみたいと思うのでありますが、そういう部落と部落外との格差が解消してしまう、そういう時代を迎えておるにもかかわらず、相変わらず本年度の予算についても、通年どおりの予算が組まれているという現状であります。これは、そういうことだけにしておきまして、部長にまずお聞きしておきたいと思います。部長は今この逆差別の問題、あるいは逆差別の現象をどのように認識しているのか。まず、部長のお考えをお聞きして、再問をしたいと思います。 さて、最後の市制五十周年事業について、賀川豊彦記念館の建設について市長のお考えをお聞きしたいと思います。 市制五十周年に向けて、私の長年温めていたテーマについて質問をします。 賀川豊彦については、今さら申すまでもなく、神戸に生まれましたが、五歳から十七歳の三月まで、この徳島、鳴門の地で彼の生涯の生き方を決定する少年期から思春期と暮らしております。父賀川純一は、元老院書記官や、今で言う香川県知事を務め、徳島の県政の基礎を築いた人物であります。大宅壮一に言わせれば、世界の偉人として三人の名前を挙げるとしたら、ガンジー、シュバイツァー、そして賀川の名を挙げております。賀川の業績については、市長もよく御存じのことだと思いますので、省きます。その生涯は、まさに超人的な活動を展開し、あらゆる方面でその仕事は今日も受け継がれているところであります。 このような世界が誇る人物が徳島、それも鳴門から出ているのに、なぜ彼を顕彰する記念館が一つもないのだろう。モラエスの記念館があっても、なぜ賀川の記念館がないのか。私は賀川豊彦生誕百年の年に、仲間に呼びかけまして、一定の活動を進めてきました。それからはや六年が経過してしまいました。私は、本市の市制五十周年事業としてふさわしい事業を考えたとき、やはり賀川豊彦の記念館は鳴門市がどうしてもやらなければならない事業であると考え、質問することにしたわけであります。 具体的に質問しますので、市長のお考えをお聞かせください。 私は、かねてよりドイツ兵の建てた建造物としてはただ一つ現存する船本畜舎を保存することを強く申し入れてきました。市長、実はこの畜舎と賀川豊彦は大変関係が深いのであります。賀川は、戦後荒廃したまちや人の心、そういう中で農村復員学校を始めまして、農村青年の心に灯をともしてきました。実は船本畜舎の二階は、その学校になったのであります。その後も板野教会となり、日曜学校が開催され、私など田舎のガキ、田舎のわんぱく少年が多くのそういう子供たちが日曜学校に楽しみに通ったものであります。そこに賀川豊彦も徳島に帰ると顔を出して、私なども会ったことがあるのであります。その後も、賀川は徳島に帰ると真っ先に船本に会いに足を向けたそうであります。このように、船本畜舎と賀川は大変縁が深いのであります。 そこで、提案するわけでありますが、船本畜舎の永久保存と、その中を賀川記念館にできないだろうかということであります。記念館の資料は、一九八二年に東京上北沢に賀川記念松沢資料館が建設されております。その豊富な資料を逆輸入していただくことや、賀川に関しての資料はまだまだ本県や全国的にも埋もれているものがたくさんあろうかと思います。また、徳島が賀川のふるさとであることから、賀川のルーツを生かした記念館とするなら、徳鳥ならではの記念館ができるはずであります。父純一を取り巻く人間模様は、まさに維新の壮大なドラマが展開しています。この純一が徳島県政の基礎を築いたのでございますから、県としても顕彰しなければなりません。また、豊彦が徳中時代に運命的な出会いとなるローガン博士やマヤス博士のことについても、ルーツをたぐっていけば、興味は尽きません。 市長、このように考えていけば、豊彦のふるさと徳島ならではの記念館ができるのではないでしょうか。およそ八十年前、ドイツの俘虜が建てた畜舎と賀川記念館、また一つ壮大なドラマが誕生するのですが、市長のお考えをお聞かせ願いたいと思うのであります。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君) 田渕議員の御質問にお答えをいたしたいと思います。 まず第一点は、新年度予算と福祉、平和、文化行政についてであります。補足的には部長の方から説明をさせますけれども、基本的な理念につきましては、私の方から申し上げておきたいと思います。 福祉理念につきましては、いかなるときでも、人間としての尊厳が保たれ、人格が尊重され、基本的人権が守られることと考えております。特に高齢者の方々は、多年にわたって社会の進展に寄与されてきたことが敬愛されるとともに、生きがいを持って、健全で安らかな生活が送れるよう保障されなければなりません。これは、人間として尊厳され、人権が大切にされるということで、職員と利用者間に上下関係が生じることは好ましいことではございません。職員は利用者の立場に立って、心身の支えとなって、ともに生きるという姿勢が大切であろうと考えておりますし、常に入所者とともにという立場に立って勤務に精励いたしておりますので、御理解を賜りたいと存じます。 平和行政についてでございますが、平和行政の問題につきましては、これまで田渕議員とは何度となく議論を重ねてきたところであります。私の考えは、今もいささかなりとも変わっていないつもりでございます。これまでにも申し上げましたように、鳴門市には不幸な戦争を乗り越えて、およそ八十年の歴史の上に築き上げられた平和の象徴としてのドイツ館があり、第九があるわけであります。平和をアピールできる鳴門市だけの特権といいますか、すばらしい平和のシンボルがある。いわば、鳴門市はこの意味から、全国に、そして世界に向けての平和の発進基地であると存じております。 御質問のございました終戦五十周年として、市の記念事業予算についてでありますが、昨年の九月の第三回定例会で、田渕議員からの質問に、特に五十周年だからといって、今のところは考えていないと、こういうお答えをいたしました。しかし、ことしに入りまして、国、県では戦後五十周年記念事業を行うとの発表をいたしました。鳴門市としては、例年行っておる戦没者追悼式は市を挙げて行う予算計上をいたしております。また、県から全県的に広く呼びかけ、終戦五十周年記念事業を行いたい、鳴門市も協力してほしいと、こういう要請がありました。先ほど県の計画の御説明があったわけでありますが、この計画であります。こんなこともございまして、市単独でやるよりは、県と一体になって、全県的にやれば、大きな事業ができ、有効的であろうとの判断から、全県挙げて行う記念事業に市としても協力しようと、応分の負担額を今回予算計上いたしておるところであります。 また、市の広報では、毎年八月号で広島、長崎の原爆投下の日を、終戦の日の周知、原爆投下の日あるいは終戦の日の周知、呼びかけを行っておりますけれども、ことしは五十周年であることから、広報紙でこれまでとは違った内容で特に紙面を割いて掲載させ、戦争と平和の持つ意義について広く市民に訴えたいと、このように考えておるところでございまして、御理解をいただきたいと思います。 また、文化行政についてでありますが、第三次総合計画策定時にも申し上げましたように、私は都市づくりの中心に文化的視点を据え、行政運営に携わっており、文化をいわゆる芸術文化という狭い意味でとらえてはおりません。芸術文化活動はもちろん、あらゆる行政施策を進めていく中で、常に文化を意識し、建物、道路、橋梁など、ハード施設整備の中においても文化のかおり、文化的な美しさ、潤いや優しさが感じられる配慮を行うことによって、美しい魅力ある都市づくりの実現を目指したいと考えております。 これまでも、文化会館あるいは市民会館、図書館での文化的な催しのほかに、新ドイツ館やうずしお橋撫養川水辺親水公園、大麻中学校屋内体育館等に文化的な美しさを配するとともに、国、県に対しても北灘町の国道十一号線防災工事や、
県道吉永西小沖線の第一小学校横交差点、岡崎海岸での親水海岸公園等においても、同様の配慮を要望し、実現をしておるところであります。 民間施設におきましても、恰美術館や、近く発表されます大塚国際美術館の建設実現にも全面的に協力をいたしてまいりました。平成七年度予算についてでございますけれども、塩業資料館のみでなく、設計段階から撫養第一公園あるいは総合保健福祉センター、また継続して推進する撫養川水辺親水公園などにも文化的な配慮を指示しておるところであります。また、文化会館や図書館での自主事業及び新ドイツ館での文化的事業も文化振興の一翼を担っておるわけであります。 このほか、勤労青少年ホームにおける青少年の活動は、音楽、生花、書道、絵画等のすべてが文化的活動であり、子供会活動、婦人会活動、公民館活動の中にも多くの文化的活動が取り入れられており、それぞれ所要の予算を計上いたしております。 このように、文化行政とは、予算書の多くの款項、すなわち行政の各分野にわたって、ハード、ソフトを交え、総合的に配慮し、振興しているものでございまして、単に教育委員会の文化振興係や、文化協会のみが実践しているものではないことを御理解賜りたいと思う次第であります。 市制五十周年事業のうち賀川豊彦記念館の建設について御提言がございました。五十周年事業については、既に職員及び庁内各課の提案をベースに、市民代表十五名による五十周年記念事業検討市民会議において精力的に検討中でございまして、ハード事業については、事業費の関係や五十周年事業にふさわしいものといたしまして塩業資料館、撫養第一公園、総合保健福祉センター、新市営球場を位置づけておることは御理解をいただいておるところであります。 賀川豊彦記念館についてでありますが、これまで鳴門らしさのある個性的なまちづくりの観点から、新ドイツ館や塩業資料館建設に取り組んでまいりました。これらはいずれもドイツ兵士たちが残してくれた多くの遺産あるいは製塩に使われ、国の重要文化財に指定された製塩用具などの実物が多く残されており、これらを展示活用することによって、他市にはない個性と魅力のある文化観光施設として建設に取り組んでまいったところであります。しかし、賀川豊彦記念館につきましては、お話にありましたように、既に東京の松沢記念館等が開館をいたしておりまして、本市に点在をいたしておりました賀川豊彦関係の資料を鳴門市は松沢記念館に寄贈をしたということを伺っておるところでございます。したがつて、現在本市にその関係資料がどれだけあるのか、あっても非常に少ないというようなことも聞かされておるわけでございまして、中身を伴った記念館になるかどうか、非常に疑間に感じておるところでございます。 あとは担当部長の方から説明をいたさせます。 〔
総務部長 青木義幸君登壇〕
◎
総務部長(
青木義幸君) 私の方から、御質問の中で総務部の人事課が取り組んでおります平成七年度の人事研修とその予算の概要について御説明を申し上げます。 人事研修につきましては、毎年実施をしておりまして、七年度につきましても継続的にやっていこうというような計画をしておりますが、特に第三次総合計画の中で、「海峡交流都市鳴門、人が集まるまち文化のかおるふれあいのまち」を目指して、鳴門市の行政を進めておりますが、その行政を進めていくときに、職員の果たす役割は非常に重要でございまして、その職員の資質につきましても、常日ごろ研修の中で心がけておるところであります。 特に、基本方針といたしましては、三つ掲げておりまして、一つは公務員としての自覚と豊かな人間性を持った職員の育成を図ることが一つであります。二つ目といたしまして、広い視野と見識を身につけるとともに、職務遂行能力の向上を図ることが二つ目でございます。三つ目は、行政環境の変化に対応できる柔軟な創造性と問題解決能力の知識を身につけるというような三つの柱を基本方針といたしまして、基本的人権尊重意識の高揚と、差別解消への意義ある意識を深めていくということにつきましても、第三次総合計画の中に位置づけられた基本方針をもとに職員研修を計画推進しているところでございますが、その研修には大別して三つの分野に分かれております。 一つは、基本研修と申しまして、十二種別に分かれまして、階級別、職域別と申しますか、新規職員の研修、さらには初級吏員の研修、さらには中級職員、係長研修、監督者研修等々の研修を基本研修の中で十二種別に分けて、年間を通じて計画実施をしております。 さらに、特別研修といたしまして、八種別計画を持っておりまして、特に専門的な庶務の経理事務研修、さらには接遇研修、現業の職員研修、あるいはOA化とか人権問題を含めた同和研修と、その他取り組んでおるところであります。 三つ目といたしましては、これまでは内部研修でやっておりますが、市外、部外へ派遣していく研修、いわゆる派遣研修を四種別やっております。特に、県と協議をいたしまして、県の自治研修センターで毎年多く研修が行われておりますが、その研修会には全研修に積極的に職員を参加させております。さらには、市町村の職員の中央研修にも参加をさせております。さらに、自治大学校等へも毎年派遣をしておるようでございます。また、そのほかにそれらの研修を受けた管理職が部下を指導していくという、いわゆる職場研修を年間を通じてそれぞれの職場で適切な時期に適切な内容を含めてやっております。さらにもう一つ、通信教育というのがございまして、積極的に通信教育で学びたいという職員がありますと、それも自己啓発意識を、意欲を助長するという立場から、その職員たちについても積極的に支援をしておる状態でございます。 七年度も、そうした研修を計画して推進したいと思いますが、端的な予算計上につきましては、六百万円余り予算計上しております。当初予算でまた御審議をいただきますので、よろしくお願い申し上げます。 〔
市民福祉部長 松岡正次君登壇〕
◎
市民福祉部長(松岡正次君) 私の方から福祉行政と同和行政についてのお答えを申し上げたいと思います。 福祉理念につきましては、市長の方から御答弁をいただきましたので、私も市長のお答えになりましたように、全くその意を体して福祉の推進に当たっておるというふうに申し上げておきたいと思います。 私に御質問の福祉理念を確立した上で、具体的福祉施設に対する研修はどのようにしておるのかというお尋ねでございます。まず、福祉施設に勤務する職員は、職員同士がお互いに人権を大切にし合うという視点に立って、研さん、研修に心がけておるところでございます。各施設全部同じような状況でやっておるわけではございませんけれども、各施設におきましては、毎朝やはリミーティングを実施いたしまして、所内での処遇研修、あるいはケースの研究等をいたしまして、職員間でお互いに点検、研修を実施いたしておるところでございます。 二つ目といたしましては、毎月一回、必ず施設に入所されておられる方、それと職員全員の合同勉強会を実施いたしておりまして、活発な意見がお互いに出ておりまして、入所者、それから職員、全員がともに人権についての意識が高まっていくことを目指しておるわけでございます。 また、各施設の施設長あるいは指導員、看護婦、寮母といった職員がおりますが、おのおのの部会ごとには施設間同士で、あるいは県レベルで、四国レベル等の研修会が開催されておりますので、その研修会には必ず参加するようにいたしまして、資質の向上に努めておるところでございます。今後につきましても、入所者のニーズの把握に特に意を用いまして、入所者と職員間のコミュニケーションがますます活発に図られまして、お互い信頼感があふれる家庭の雰囲気を持った職場、老人ホーム、こういったものにいたしたいと考えておりますので、御理解をいただきたいと思います。 それから、研修関係に具体的に予算をどう編成しておるかというお話でございますが、社会福祉課が所掌いたします社会福祉課を含めての施設、あるいは高齢障害課が所掌いたします高齢障害課含めての各施設、こういったものの旅費額を五百二十万円程度編成いたしておりますが、この中で研修を中心にやれますのは、両方合わせまして百七十五万円程度になるというふうに認識いたしております。 次に、同和行政についてお尋ねでございます。 同和問題につきましては、日本国憲法に保障された国民の基本的人権にかかわる重大な社会問題でございまして、行政の責務として一日も早い解決を図ることが行政に課せられた課題であると、こういうことは御案内のとおりでございます。鳴門市におきましては、昭和四十年の同対審答申の精神を踏まえまして、昭和四十四年に同和対策特別措置法が施行されたわけでございますが、以来今日まで同和問題を市の重要施策と位置づけまして、解決のための各種施策を積極的に実施したところでございます。 この結果といたしまして、
生活環境整備等の物的事業面につきましては、一定の成果をおさめることができたと言えると思うんでありますけれども、生活のレベルの向上でありますとか、あるいは就労の安定、職業の育成、産業の育成教育の保障等々非物的事業面においては、今も地区内と地区外では格差が実態としてあらわれておるというのが現状でございます。 鳴門市におきましては、昭和四十七年九月議会におきまして、議会から行政に対して窓口一本化を図って、同和対策事業を進めていったらどうかというふうな御提案がございました。鳴門市といたしましては、同和問題の解決を目指しまして取り組んでおられます運動団体の理論あるいは活動、こういった内容をつまびらかに検討いたしまして、その結果部落解放同盟徳島県連合会鳴門ブロック協議会を協議の対象として、同和対策施策を連携して実施することと決定いたしておりまして、今日まで同和行政を推進してまいっております。 過去二十五年間の同和行政を進めてまいったことを振り返ってみまして、公正、公平な同和行政が進められてきたというふうに評価をいたしておるところでございまして、不公平な同和行政につながったという認識はいたしておりませんので、御理解をいただきたいと思います。 以上でございます。 〔四番 田渕 豊君登壇〕
◆四番(田渕豊君) 市長はじめ部長の答弁をいただきましたので、再問をしたいと思います。 まず、新年度予算と福祉行政でございます。 市長から、いわゆる福祉理念についての考え方を端的に、またかつ具体的に御報告、御答弁がありましたので、大変ありがたいと思っております。そのような考え方をいかに福祉現場や職員にその指導を、考え方を徹底させていくかということが、今一番求められておるのではないかということで、今回このような質問をしているわけでございます。先ほども申しましたが、市長のそのようなお考え方がなかなか職員の皆さんに徹底していないというふうに思うからであります。 二月二十日の朝日新聞の社説に、「施しから誇りの福祉へ」という大変すばらしい記事が載っておりました。「戦後五十年、あすを求め」という記事を書いておりましたが、福祉を考える上で大変貴重な提起だと思います。福祉行政も変わり始めている。この変化を大切にしたい。変えるべき方向はわかっている。そういうことで、一番から三番目、簡単にまとめてありますが、一番目が家族や行政の都合より、ハンディーを持つ本人の意思と願いを尊重すること。これは先ほども市長が言われたとおりであります。二番目が、この基本を身につけた人材の養成と確保に箱物以上に費用をかけること。三番目に、人里離れた施設や病院に隔離するのではなく、ぬくもりのある家で普通の暮らしができるように、食事、趣味、仕事、介助、送迎、まちづくりで支援すること。四番目が、あわれみ、施しの福祉から誇りと権利の福祉に転換すること。この四つの方向性を挙げております。これは朝日新聞の社説を持ち出すまでもなく、先ほど市長が言われました考え方に合致するものであると思います。 本市においても、トップがそのような方向性を、理念を確立しているのであれば、それを福祉現場や職員に徹底させること、そのことが本市の福祉水準を引き上げる最短距離であるというふうに考えますので、市長におかれましては、あるいは福祉部長におかれましては、その考え方を本当にひとつ一日も早くそれぞれ職員は勉強し頑張っておるというふうな御報告がございましたが、しかし残念ながらそうとは言えないような現実に遭遇するときもあるわけであります。ぜひそのことを徹底させてほしいと強く要望しておきたいと思うのであります。 そこで、関連すると申しましょうか、注目すべきことが書いてありますので、参考までに読んでおきたいと思います。「最新の世界銀行アトラスによると、福祉を権利と考えている北欧三国は、一人当たりの国民総生産で六位以内に顔をそろえておる。福祉を充実すると経済が傾くという仮説は、かなり前から崩れているんだ」ということが書かれておりました。「改めて日本国憲法の条文を読んでみた。私たちの憲法も、また福祉が市民的権利である社会を目指しているんだ」と書いております。「その原点に立ち戻ることから始めたい」と結んでおりました。 今回私が福祉部長に対して、種生行っている職員の研修カリキュラム、あるいはその理念確立のための体系的な学習計画、そういうものがあるかというふうに問うてみたんですが、十分な答弁はなかったように思いますが、この私が今読み上げた四つの中の二番目の点であります。この基本を身につけた人材の養成と確保、これが本市にとっては決定的に福祉行政、福祉水準を引き上げていくためには大事なのではないかということを、今私はこれまで市長や部長と議論をしてくる中で、痛切に感じている問題であります。 そういう点から、ひとつもうこれでこの件は結びにしますが、ぜひとも福祉についてのこの人材養成、またこの確保ですね、そのことについては箱物以上、施設を建てたり立派なものを建てること以上に費用をかけて、人材確保に当たってほしい。第三次総合計画を進めていく上でも、これが決定的になるんだということを強く要望いたしまして、部長のお考え、そういう方向で進んでいけるか.先ほど予算を聞きましても、たった七十五万円ですか、というような状況でございます。ひとつ最後に部長の決意のほどをお聞かせ願いたいと思うのであります。 さて、二番目の平和行政について、市長から答弁をいただきました。 確かに、ドイツ館が平和のシンボルである。ばんどうの鐘が平和のシンボルであるという御認識は、私も同じくしているのでございますが、その解釈の仕方というのは、市長ね、やはり私一度議論しとかなんだらいかんと思うんですが、平和のシンボルには違いないのでございますが、ドイツ館というのは、やはり国際交流の原点というような面での国際親善、そういう点でのやはり資料館としての趣が強いように感じるのであります。また、そのような展示内容になっているのではないかというふうに思うわけであります。市長がもしドイツ館を平和のシンボルにしたいというふうにお考えになっているのなら、やはりあそこでの今後の展示のあり方や企画のあり方というものは考えていかなければならないというふうに考えるわけです。確かに、ドイツ館を平和の我がまちのシンボルとして位置づけて、今後市長がそのようにお考えで進めていくとしたら、私はいろいろな平和行政がドイツ館を中心にして展開はしていけると思うのでございますが、もう一度その辺の御認識をお聞かせ願っておきたいと思います。 それと、五十周年記念の問題については、県や国が、やるから、鳴門市もそれと一緒にやるというような御答弁また広報なるとで特別企画として五十周年の企画をしたいというような、一歩進まれたお話がございました。ぜひとも、本市においても具体的な平和行政の一歩を踏み出す一つのきっかけにしていきたいというふうに私は思います。この問題については、市長に強く具体的な本市での平和行政の実施、特に五十周年に向けての内容豊かな、そして市民に平和の尊さを十分訴えることのできるような平和行政が実施されるように、強く要望してこの質問は終わりたいと思います。 三番目の文化行政について、市長から答弁をいただきました。 市長は、ハード面における文化行政、文化的な発想というようなものを取り入れてやっていくということを、いろいろと種々御報告がありました。しかし、確かにそういうハード面における文化的なそういう観点、視点でもってハード事業を行っていくということは、これはもう当然のことであります。しかし、そういういわゆる文化というのはソフトでございます。職員はじめあるいは市民に、行政がどのような文化を発信していくか、あるいは具体的に日々文化活動をしておられる人たちに、そういう芸術や文化に対するニーズが高まっているという御認識であれば、そういうニーズをやはりどのように行政が把握をし、そして支援し育てていくかと、そういう具体的な施策についてどうかということをお聞きしたのでありますが、市長の持論であります平和や文化というのは、一般的な行政の中で、日常的にやっていくべきもので、特にとりたててやることはないというお考えは、いまだに変わらないようであります。 しかし、私はやはりこの平和行政、文化行政というのは、一般行政のまさに市長のおっしゃるとおリベース、基本的な問題であります。ですから、一般行政すべてに行き渡るようなそういう一般行政が進められていくということは、まさに理想的な私は行政であるというふうに思うのでありますが、残念ながら、しかしそれは言葉だけでありまして、なかなかそういうことができないのが実は実態ではないのでしょうか。 今人事やあるいは総務や福祉の研修計画などの一端をお聞きしましても、それではじゃあ平和や文化をテーマにしたそういう研修計画、職員にそういう平和や文化についての意義について、行政の文化化というようなことが言われているこの時代に、そういうテーマが取り組まれているのかといえば、そういうことは取り組まれていないのではないかというふうに思うわけであります。このことについても、今後市長とまた具体的な問題を通して議論をしていきたいと思いますので、要望だけにとどめておきたいと思います。 さて、二番目の公正な同和行政について、部長は二十数年間同和行政をやってきたことが、決して不公平な同和行政ではない。公平公正な同和行政をやってきた。だから、私の聞いております逆差別はないんだというようなことをおっしゃりたかったと解釈をいたしまして、私の質問を進めていきたいと思うのであります。 これまでの鳴門市の同和行政が公平公正な同和行政を進めてきたか、あるいは不公平不公正な同和行政を進めてきたか、大きな相対立する解釈の違いがあるわけであります。同和行政、同和対策事業を進めていく中で、物質的には一定の成果がある、この認識にいたしましても、相変わらず特別措置法が切れる直前になっておりましても、明確な同和対策事業の残事業を明確にしないままに、一定の成果というような表現でおるわけでございますが、この点についても我が党の認識と相対立する考え方であるわけであります。 私たちは、物的事業については、ほぼ完了をしている。だから、一日も早く一般行政に移行すべきだという立場をとっておりますし、そのことが全国的な大きな自治体においての同和問題を解決していく上で最も重要なそういう方向性になってきているにもかかわらず、相変わらず本市は一定の成果と、公正公平な同和行政を続けてきたということで、相変わらずこの予算にしましても、本市の同和予算は平成三年度の資料がございますが、九億五千万円、市全体の予算の四・二%、多分平成七年度もほぼ同額の同和予算が組まれているのではないかと思うわけでございますが、ほぼこのハード面における同和対策事業、環境面における事業が、私は鳴門市内を見渡してみましても、ほぼ完了に近い状況になってきているのではないかというふうに考えております。 にもかかわらず、相変わらずこのような市予算の四・二%というような大変巨額の同和予算を組み続けて、いろいろな施策を展開していくということは、市民感情からしたら、逆差別につながっていくのではないかというふうに質問をしているわけであります。そこで、具体的に逆差別の実態について、部長がその認識をされていないようなので、私の方から若干話をしておきたいと思います。 これは、本市の建設事業から始まりまして、耕地あるいは農地、住宅、教育に至る各分野にわたって私はそういう現象が今出てきているんではないか。そのことを早く見直して、一般行政の方に移行していかなければ、いつまでたっても本来の目的である差別の解消の方向に本市の同和行政は向いていかないのではないかと、大変心配するのであります。 例えば、土木事業の道路建設、これも私最近こういうことがあるということで、本当に何といいますか、腹を立てたのでございますが、一つ道路を建設する場合に、必ずやはり運動団体が入ってきております。そして、同和地区の皆さんには高い土地の買収価格で話をし、いわゆる混住地帯における部落外の市民に対しては、常識で考えられないような安い土地価格を提示して、協力を求める。こういうような実態があるのではないですか。そういう同和行政を進めて、これには市の幹部から県職員がかかわっているようでございますが、そういう同和対策事業と申しましょうか、建設事業を進めて、果たして市民の皆さんが納得するはずがありません。まさに、逆差別の現象があらわれているのであります。 耕地事業にいたしましてもそうです。私は一件この耕地事業で問題を抱えて、土木や耕地に行っとるんですが、いわゆる地区内での耕地事業、農業整備事業はどんどん進んでおります。しかし、その隣接するところで、どんどんどんどん生活排水が入ってくるような田んぼがあるわけでございますが、それすら行政として解決はできないような実態があります。これも、その人から見たら、なぜそうなるのだろうか。逆差別の意識を持っても私は仕方がないと思うんです。 決算委員会でも問題になりましたが、農機具センターでのいわゆる農機具の問題、地区における農機具はどんどんと買い変えられていく。しかし、農業センターにおける農機具は古いままで、なかなか買いかえができないというような問題。住宅政策にしましても、身障者に対する住宅、これは大変結構なことであります。しかし、一般市営住宅におけるこういう身障者に対するどのような対応がされているのか。教育問題におきましても、ソフト面における差別の格差は解消されていないと、先ほど部長はおっしゃいましたが、しかし高校進学率にいたしましても、これはもうほとんど変わらない。教育の問題で言いましたら、あと進学の問題で残っているのは、個々個人の問題、これはもう全国的なそういう統計が出ているんでありますが、そういう状況になってきております。しかし、相変わらず課外授業というんでしょうか、そういうものが行われておる。一方では行われていない。こういうことが市民間では逆差別の現象として市民の意識にそういう問題が沈殿をしていっているということを私は言わざるを得ないのであります。 そういうことを言いましたら、それはそういうことを言うのが間違っておるんだというふうに市は今まで言ってきたのでありますが、私はそのように逆差別を抱く市民の意識が今や問題ではないのだというふうに思うんです。そのような意識を抱かせるような同和行政を進めている行政そのものに問題があるのだということを言いたいのであります。 二十数年続いてきました同和対策特別措置法、現行法も九十八年三月ですか、法が切れるわけでございますが、今行政がなすべきことは、速やかに見直せるところから一般行政に移行を進める作業を進めていかなければならないと思うのであります。特に、運動団体に出し続けております二千万円余の団体補助金、この団体補助金と、先ほどの研修費の問題から始まりまして、あるいは文化協会に対する補助金の問題などを比較しましてでも、これはまさに逆差別と申しましょうか、大変な問題であります。 ともかく、一日も早くそういうような態勢に入っていかなければ、本市の同和行政は本来の目的から離れて、差別の解消どころか、二十一世紀に差別を持ち込んでしまうということになってしまうのであります。部長の答弁をお聞きしたいところでありますが、これも私の意見だけにいたしまして、強くそのような見直しと一般行政の移行の作業を進められること、そのことが一日も早く差別を解消していく最も基本的な方向であるということを強く申しまして、要望にとどめておきたいと思います。 さて、市長から賀川豊彦記念館の建設について答弁をいただきました。私の質問に記念事業を考えてみるとか、検討するとか、あるいは検討できないとかいう明快な答弁がなかったのであります。とにかく、資料が乏しいのでというような御答弁でございました。市長、この資料の問題については、私も一問目の中で質問をしたんですが、いわゆる松沢記念館には膨大な資料がございます。確かに徳島県の関係者、ほとんど東京の方に、松沢記念館の方に入っているわけでございますが、その資料は、展示してあるのはごく一部でございまして、地下の倉庫にほとんど眠っております。私も、松沢記念館に、東京に行きましたら必ず寄るのでございますが、館長といろいろお話しまして、徳島にそういうものができるなら、すなわち逆輸入ですか、パネルとかそういうようなものは複製が幾らでもできるわけでございますから、それは問題がないのでございますが、そういうようなお話もされておりましたし、先ほど私が申しました賀川のルーツ、これはどうしても徳島が、そして我が鳴門市が手がけて、その辺の資料を記念館の中に出していくことによって、徳島ならではの、鳴門ならではの賀川記念館が松沢にも劣らないような記念館ができるのではないかというふうに考えますので、いま一度市長のお考えをお聞かせ願いたいと思うのであります。 〔市長
矢野茂文君登壇〕
◎市長(
矢野茂文君) 田渕議員の再問にお答えをいたしたいと思います。 まず第一点は、ドイツ館そのものは、確かに平和のシンボルであるけれども、さらに展示のあり方、企画のあり方について一考をする必要があるのではないかと、こういう御提言であります。既に、私どもも計画をいたしておりまして、ドイツ館にあります皆さん御存じのデイバラッケの解読作業、こういったものを専門家の先生方にお願いをして、現在もなお続けておるわけであります。この解読の中から、いろいろと新しいものも、我々の知らないものも出てくるかもしれませんし、私どもがこのデイバラッケの解読をしていこうとすることは、やはりこの中から必ず訴えられる戦争の否定、平和への念願、こういったものがこのバラッケの中から生まれてくるんではないかと。私どもは、このドイツ館俘虜収容所というところが、日独交流のきっかけになったことは事実ですけれども、そのきっかけのもう一つ根底にあるものは何かということになってくると、やはりそれは平和への願いでありまして、今後このバラッケの解読を進めていく中で、さらに私どもとしてはそういった意味合いをにじませるような、そういう企画、運営をしてまいりたいというふうに思っておりますし、そのことは同時に現在五十周年記念事業として鳴門市が取り組んで進めておりますところの鳴門市史現代版の出版編成ということとあわせて、文化行政にもつながっていくことではないかというふうに考えております。ひとつ御理解をいただきたいというふうに思います。 また、松沢記念館は私もお邪魔をいたしまして、館長ともお会いをしましたし、館長もまた鳴門市を訪ねていただいたこともありまして、いろいろこれまでの松沢記念館ができるまでの経過等についてもお話を伺ったところであります。しかし、今あなたがおっしゃることを受けて、私がそれではと、今直ちにお答えをするところまで私もそういう整理ができませんが、今後鳴門市が文化行政を進めていく中で、あなたの本日の御提言というものもしっかりと受けとめさせていただいて、今後の検討課題というふうにさせていただきたいと思いますので、御理解をいただきたいと思います。 〔
市民福祉部長 松岡正次君登壇〕
◎
市民福祉部長(松岡正次君) 福祉と保健がきめ細かく、一元的に提供され、そして人権が大切にされるまちづくりを進めてこそ、市民の方々に鳴門市に住んで、毎日の生活を送ってよかったと言っていただけると考えておりますので、市民の
皆さん方、あるいは関係機関の方々の御協力をいただきながら、市民福祉部の職員一九となって、力をあわせまして少子
高齢化社会の進行に対応がおくれないよう、特に弱い立場の方々、障害者の方、あるいは高齢者の方、女性、児童等諸施策を一つ一つ進めてまいりたいと考えておりますので、御理解をいただきたいと思います。
○議長(
工藤武重君) 以上をもって通告による
一般質問はすべて終わりました。 これをもって
一般質問を終了いたします。 おはかりいたします。 議事の都合により、明二月二十八日及び三月一日の二日間は休会にいたしたいと思います。 これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と言う者あり〕 御異議なしと認めます。 よって明二月二十八日及び三月一日の二日間は休会とすることに決しました。 次会は、三月二日午前十時から再開いたします。 本日はこれをもって散会いたします。 午後 二時 十一分 散会...