大田原市議会 2022-06-15 06月15日-02号
平成30年に、「幕末維新期の黒羽―江戸幕府で活躍した黒羽藩主大関増裕と戊辰戦争―」という企画展を開催していただいております。今後こういった企画展なんかも、引き続き開催していただけるという形の考え方でよろしいでしょうか。 ○議長(君島孝明) 相馬憲一市長。
平成30年に、「幕末維新期の黒羽―江戸幕府で活躍した黒羽藩主大関増裕と戊辰戦争―」という企画展を開催していただいております。今後こういった企画展なんかも、引き続き開催していただけるという形の考え方でよろしいでしょうか。 ○議長(君島孝明) 相馬憲一市長。
主に壬生藩主との交流のある藩として、江戸幕府の徳川とか、あと水戸藩とか、藩のほうはこれから募集をかけますので、具体的な参加藩については、ちょっとまだ申し上げられないんですけれども、一応、コロナ前の打診では40藩の方々がお目見えいただくというような話を伺っております。 以上でございます。 ○議長(赤羽根信行君) 玉田議員。
それについても、ほぼほぼみんなわからないというような、そういう回答でございまして、小学校6年生ですと、わからないというふうに答えるのが常といいますか、そういうふうに答える仕方を覚えているので、そういうふうに言うのかなと思いまして、それでは、例えば関ヶ原の戦いというのは知っているかというふうに聞きましたら、関ヶ原の戦いについては、徳川家康、それから、石田三成、西軍、東軍で関ヶ原で戦って、東軍が勝って、その後、江戸幕府
◎生涯学習部長(鵜飼信行君) 本市の中央部を南北に通る例幣使街道、現在はこういうふうな呼び方で親しまれておりますが、江戸幕府による公的な呼称は日光例幣使道といいます。この日光例幣使道は、武家が政治の表舞台で長く活躍していた江戸時代において、朝廷から日光東照宮へ遣わされた例幣使が通行しただけでなく、京の文化を東国にも伝えてきており、本市にも貴重な歴史的資料が残されております。
小山市は、市内7カ所の国指定史跡を初めとする多くの歴史的資産を有し、江戸幕府成立に道筋をつけたと言われる小山評定の開かれた開運のまちであることを、小山のブランドとして、本市が指折りの歴史のあるまちであることを全国に発信しております。そのような中、本市には城山公園と市立博物館を結ぶ歴史の道が全長約12キロメートルに及び、散歩道として位置づけられていると聞いております。
日本史上、幕末激動の時代に生き、江戸幕府の大老を務めた直弼や、本市と親善都市である彦根市との深いかかわりの証として極めて意義深く、樹齢500から600年と伝承される名木としても高い価値を有するため、市指定天然記念物となっております。 以上でございます。 ○議長(井川克彦) 田所議員。 ◆14番(田所良夫) よくわかりました。
黒羽芭蕉の館では、これを記念し、「幕末維新期の黒羽、江戸幕府で活躍した黒羽藩主大関増裕と戊辰戦争」をテーマとして企画展を開催したいと考えております。展示内容としましては、大関増裕の教養、幕府黒羽藩で活躍する増裕、戊辰戦争と黒羽藩、明治維新と黒羽といった構成を考えております。会期は、平成30年10月27日土曜日から12月9日の日曜日、これを想定しております。
徳川家康が開いた江戸幕府は、2代将軍秀忠、3代将軍家光との礎を築き、5代将軍綱吉のころには元禄文化の花が咲き、最盛期を迎えるわけでありますが、270年続いた江戸幕府も万事が順風満帆ではなく、苦しい時代もあったわけでございますが、その時々において8代将軍吉宗などの改革者があらわれて立て直しを図ってきたわけでございます。
尊王攘夷と言って、江戸幕府を批判する一方で、江戸幕府はそれをかわすために、公武合体をして、朝廷といい関係を保とうとする。どちらもこの国を開国してよくしようと、富国強兵をしようと、文明開化をしようと、そういう思いはどんな立場であれ、一緒だったはずです。そんな歴史の話からまずは暦の話、一般質問の1つ目、イベントカレンダーについてお話をしましょう。
就任後間もないころから、江戸幕府兵学校の指揮官である講武所奉行や陸軍・海軍の初代奉行などを歴任し、幕府の軍政改革に努めます。この時期、勝海舟らとともに陸海軍の装備や戦法、技術の充実に当たっていました。さらに、外様大名としては異例の若年寄にも就任し、幕閣の一員となっていきます。
小山市は、徳川家康公が戦国乱世に終止符を打ち、天下泰平の世、江戸幕府成立への道筋をつけた天下分け目の軍議、小山評定の開かれた開運のまちであります。家康公が日光東照宮に祭られますと、日光街道21宿が整備され、このうち小山市内には間々田宿、小山宿、新田宿の3つの宿場が整備されますとともに、小山御殿もつくられ、日光社参の際の歴代将軍家の休憩、宿泊に利用されました。
徳川家康が開いた江戸幕府は、2代将軍秀忠、3代将軍家光との礎を築き、5代将軍綱吉のころには幕藩体制も確立し、元禄文化の花が咲くなど最盛期を迎えますが、幕府の財政が苦しくなったときに、8代将軍吉宗などの改革者も出てくるなど270年続いた江戸幕府の中でも改革は行われていたわけでございます。昔も今も同じでございます。
本市が全国に誇る二つの史実、鎌倉幕府の成立に道筋をつけた「野木宮合戦」と江戸幕府の成立に道筋をつけた「小山評定」を全国に発信するため、1月11日、文化センターにおいて、「開運のまち おやま 歴史のまちづくり講演会」を開催いたしました。
この地域の現状はそうでございますが、野木宮合戦の故事にまつわります水辺の楽校近辺の歴史的な認識も、例えば小山は開運の町ということで、評定の結果江戸幕府が開幕されたということでございますが、野木町としましても、初めて関東に幕府(鎌倉幕府)が建立されるもととなりました源頼朝が勝つ要因となりました野木宮合戦は、非常に開運の町としてもかなうと思いますので、その歴史的な認識もこれから自然景観に上乗せできる、何
まず、「家康が兵3万とともに再び乙女河岸から思川を下り」についてですけれども、家康の乗船地については、江戸幕府の公式記録「徳川実紀」に、「乙女岸から船に乗った」とあります。
城山公園部分と小山御殿広場の周辺には、江戸幕府成立に道筋をつけたと言われる小山評定の開かれた土地としての小山評定跡が、またその後、徳川幕府が日光社参時の宿泊、休憩のために造営した小山御殿跡が存在します。
城山公園部分と小山御殿広場の周辺には、江戸幕府成立に道筋をつけたと言われる小山評定の開かれた地として小山評定跡が、またその後徳川幕府が日光社参時の宿泊、休憩のために造営しました小山御殿跡が存在しております。
歴史交流館の概要につきましては、小山市における今日の発展の礎となった中世小山氏、江戸幕府の成立に道筋をつけた小山評定、小山市出身の歴史研究家であり、全国有数の甲冑収集家の甲冑伊澤コレクションを展示の中心として検討いただいております。
6世紀にかけてつくられたと言われ、県内最大級規模を持つ前方後円墳である琵琶塚古墳、摩利支天塚古墳、奈良時代から平安時代にかけて下野薬師寺に供給するかわらをつくった乙女不動原瓦窯跡、中世時代、祗園城、鷲城、中久喜城などを舞台に活躍し、関東に一大勢力を築き上げた小山氏、この小山氏の栄光に先駆けて活躍し、繁栄の道筋を開いた源頼朝の乳母として名高い寒川尼、そして天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利をもたらし、江戸幕府成立