市貝町議会 2022-03-15 03月15日-03号
私は昭和19年に生まれました。そして、敗戦という最悪の時代の中で、何もないところから育って、ここまで成長しました。日本国民は、戦争ということに対する、本当に最大の被害者という形、原爆まで投下されて、今日に至って、やっと回復してきたというところであります。 私は、何もないところから育ったという体験を基に、国際平和というのはどういうものかということに取り組んで、今日までまいりました。
私は昭和19年に生まれました。そして、敗戦という最悪の時代の中で、何もないところから育って、ここまで成長しました。日本国民は、戦争ということに対する、本当に最大の被害者という形、原爆まで投下されて、今日に至って、やっと回復してきたというところであります。 私は、何もないところから育ったという体験を基に、国際平和というのはどういうものかということに取り組んで、今日までまいりました。
次、昭和時代の分譲について。 分譲で設置した個人管理の雨水浸透槽施設について、質問します。 浸透槽の清掃を依頼すると、大きさや汚れ具合にもよりますけれども、見積もりをとると、50万~80万ぐらいかかります。 ヘドロ等を撤去する際の費用及び処分費用を行政で負担してもいいと思いますが、執行部の考えを伺います。 まあ、これ、もう答えは、もう予想できます、これ、多分無理です。
旧庁舎のロータリーにつきましては、昭和33年に旧庁舎本館棟及び議会棟を建築した際に、駐車場から出入り口への車の動線を確保するため、外構の一部として整備をし、当初は植栽のないシンプルなロータリーでありました。
氏は、宇都宮大学教育学部を卒業後、昭和57年に教職の道に入られ、以来37年間の長きにわたり学校教育の職務に携わり、将来を担う人材の育成に努めてこられました。また、現在は、町のサシバの里づくりアクションミーティング委員として、サシバの里づくり基本構想の各種施策の推進に当たり、教育分野の有識者として携わっていただいております。
昭和53年に作成をしまして、現在も塩原町子供会育成会連絡協議会、通称町子連といっておりますが、関谷下田野コミュニティーが「塩原かるた取り大会」を毎年1月に開催しております。残念ながらコロナで去年と今年とできませんでしたが、このかるた大会では、結構育成会で皆さん公民館に集まって、12月の中旬ぐらいから練習するんですね。
令和 4年 3月 定例会(第2回)塩谷町告示第16号 地方自治法(昭和22年法律第67号)第101条の規定により、令和4年3月4日午前10時塩谷町役場に塩谷町議会定例会を招集する。
昭和55年の第35回国民体育大会(栃の葉国体)以来、42年ぶりとなる、いちご一会とちぎ国体が10月に開催されます。 本市では、37の正式競技の中からサッカー・ソフトテニス・馬術・ゴルフ・トライアスロンを開催し、また、全国障害者スポーツ大会では、新しい競技ボッチャを初開催いたします。
本市における耐震化の施策といたしましては、パンフレットや市広報紙、ホームページ等を活用した普及啓発、昭和56年5月以前の旧耐震基準で建てられた木造戸建て住宅を対象とした耐震診断、耐震改修のほか、平成25年度には耐震建て替えに対する新たな100万円の補助制度を創設し、現時点で121件の補助実績となっております。
次に、③の塩原温泉家族旅行村につきましては、国有林及び民間の土地を借り受け、国及び県の補助対象事業を活用し、昭和58年から複数年かけレクリエーション施設として整備したもので、平成18年度から指定管理施設として管理しており、現在の指定管理期間は令和6年度までとなっております。 当施設も同様に老朽化が進んでおり、施設の年々修繕の費用が増大する一方、利用者は減少している状況です。
1つお聞きしたいのは、いろいろなグッズが用意されているということでございますので聞きたいのですが、与一くんをモチーフにしましたグッズ、例えば昭和55年なのですけれども、このとき第1回目栃木県が開催しました国体のときにネクタイを作ったようなことを言われているのですけれども、これについて今回はどうなのかお伺いいたします。 ○議長(君島孝明) 教育部長。 ◎教育部長(大森忠夫) お答えいたします。
本氏は、昭和55年4月から38年間を教師として奉職され、平成30年3月、那須塩原市立箒根中学校教頭を最後に定年退職をされました。地域での人望も厚く、知識、経験ともに豊富で、人権擁護委員としてふさわしい方です。 よろしく御審議の上、御同意くださいますようお願いを申し上げます。 ○議長(松田寛人議員) 説明が終わりました。 本案について質疑を許します。
〔町長 見目 匡君 登壇〕 ◎町長(見目匡君) 農業集落排水事業は、地域の水質保全と生活環境の改善を図るために、昭和60年度に事業着手した稲毛田地区ほか7地区で事業推進を図ってまいりました。既に全地区とも供用を開始しており、現在の汚水処理戸数は8地区合わせて1,052戸、処理人口は3,056人となっております。今年度も引き続き処理施設の適正な維持管理に努めてまいります。
要するに、他の中学校に昭和35年から3年間お世話になったわけであります。そのとき、英語は初めて勉強するということなんですけれども、たまたま私の担任は社会科の専門教師でありました。その先生が英語を教えてくれました。1学期中、とうどレッスン1です。アイ・アム・ア・ボーイだけ、ほかのクラスの専門の英語の先生のところはレッスン3まで行った。中間テストは同じ問題です。できるはずがないんですよね。
当施設の状態といたしましては、昭和60年に建築された建物であり、築36年が経過しているため、老朽化による劣化や震災の影響が各所に現れております。建物外壁タイルのひび割れや剥落、空調設備の老朽化も見受けられます。
これ1982年、昭和57年に建てたんだよね。もう39年が経過しているわけでしょう。これどうするんだといったときに、この下にもその他の対策の中で、発掘調査により出土した遺物や歴史資料の展示や保管ができる展示施設等の整備に努めると書いてあるんだよね。これを改めてこの展示するのか。
なぜそういった移住者が多く来ているのかということなんですけれども、やはり移住者の中では、特に若い世代が来ている、町内に住みついてくれているということも含めまして、この町は昭和25年には1万700人ほどだったそうです。
大半は部長が答えていただきましたので、私の合併に対する考え方を少し述べさせていただきますが、ポイントはやはりICT化の進んでいる社会の中で、また交通手段の進化している社会の中で、昭和時代とか平成時代とかといった枠組みの中で人口減少社会を迎えるということが本当にいいのか、ここが大きな要素なのだろうと思います。
令和 3年 12月 定例会(第9回)塩谷町告示第92号 地方自治法(昭和22年法律第67号)第101条の規定により、令和3年12月2日午前10時塩谷町役場に塩谷町議会定例会を招集する。
◎総務部長(小出浩美) 栃木県陸砂利採取業協同組合はどのような団体かということでございますけれども、こちらの団体につきましては昭和30年頃から経済発展につれて砂利の需要が急速に増加したことによりまして、無断で掘削をしたり、埋戻しをしないで放置したりという事例が相次ぎまして、採取跡地への転落事故などが併発して、大きな社会問題となってきたということがございます。
国民年間1人当たりの米の消費量は、今から60年前の昭和37年の約118kgをピークに、一貫して減少し続け、令和2年はその半分以下である約50kgにまで落ち込んでおります。この背景は、単身世帯や共働き世帯の増加など社会構造の変化により御飯を家で炊く割合が減ったことや、食生活の変化によるものと考えられます。