芳賀町議会 2022-09-06 09月06日-02号
芳賀中学校につきましては、中学校の統合により昭和47年に新校舎が開校して以来、徒歩または自転車で登下校しており、スクールバスは運行しておりません。
芳賀中学校につきましては、中学校の統合により昭和47年に新校舎が開校して以来、徒歩または自転車で登下校しており、スクールバスは運行しておりません。
◎教育部長(後藤修) 西那須野図書館の御質問ということですけれども、西那須野図書館については、昭和53年の建築ということで、設備機器の劣化も進んでおります。雨漏りなんかも今もう一部発生しているというところでございますけれども、今後につきましては、現在のサービスの提供が低下しないように維持継続しながら、市の公共施設の在り方の中で検討していきたいというふうに考えてございます。
令和 4年 9月 定例会(第5回)塩谷町告示第68号 地方自治法(昭和22年法律第67号)第101条の規定により、令和4年9月6日午前10時塩谷町役場に塩谷町議会定例会を招集する。
髙橋一成副市長におかれましては、昭和60年に大田原市役所に奉職以来多くの分野において貢献され、大田原市の発展に寄与されました。平成28年4月に建設部建築住宅課長となり、その後都市計画課長等を歴任。令和2年4月からは市政運営の要である財務部長の要職に携わり、地方経済との両立が非常に難しいコロナ禍での財政運営に取り組んでこられました。
山崎委員は、昭和54年4月から36年間、旧黒磯市及び那須塩原市職員として奉職され、平成27年3月に、那須塩原市生活環境部長を最後に定年退職されました。その後、社会福祉法人那須塩原市社会福祉協議会常務理事を務めるなど、知識・経験ともに豊富であり、また地域での人望も厚く、人権擁護委員としてふさわしい方であります。 よろしく御審議の上、御同意くださいますようお願い申し上げます。
画家、須田寿氏の原画の表題「飛躍・協和・前進」をもとに、深岩石に刻まれた長さ16.8メートル、高さ4メートル余りの壁画の屋外への設置費用約3,100万円については、昭和33年、3,100平米余りの本館棟建設時に、広いロビーの正面にこの大きな作品、これがやっと公開されました。
写真の忠魂碑には、明治10年西南の役、明治28年日清戦争、明治37年日露戦争、昭和7年満州事変、昭和12年支那事変、そして大東亜戦争の戦没者の名前がお一人おひとり刻まれています。ここに立つと、平和の尊さが再認識されます。貴い犠牲があって今の、そして未来の平和国家があることを子々孫々に伝えなければいけないとの思いを強くいたします。
また、少し時代背景は異なり、場所も変わりますけれども、昭和の時代になりますが、昭和の時代の建物、同じ黒羽地区で、最近では私の母校である旧須賀川小学校がドラマなどで使われる機会が多くなり、見学に訪れる方も多くいらっしゃいます。
まず、現施設の修繕を全て行った場合の費用についてでありますが、鹿沼市公設地方卸売市場は、昭和51年の開場以来45年を経過し、施設の老朽化が進んでおります。
まず、現在の運営状況についてでありますけれども、市場は、昭和51年の開設以来、本市の食品流通における中枢として、重要な役割を担ってまいりました。 昭和62年には、最大の取扱高となる27億9,140万円を記録いたしましたが、その後は流通形態の多様化等に伴いまして、出荷者や買受人が減少するにつれて取扱高も低下をしております。
昭和51年の学校給食法施行規則の改正により、米飯が正式に学校給食へ導入され、その後、国が週3回以上の米飯給食を推進してきたこともあり、米飯提供回数を3回まで増やしてきたところであります。加えて、米飯給食、パン給食があることで、それぞれに合うおかずとの組合せが増え、多様な食材を使用したバラエティー豊富な給食の提供が可能となることが理由であります。
◎教育部長(後藤修) 旧穴沢小学校の契約関係でございますけれども、最初の答弁でお答えしましたけれども、旧穴沢小学校6件の借地の件数がございまして、その中で一番古いものが昭和53年4月に契約したものがございまして、これが53年間というものでございます。
全国の基幹的農業従事者数においては、昭和35年の1,175万人から令和2年では136万人まで減少しております。年齢構成においても、平成22年では60代以下が110万人おりましたが、令和2年には67万人と、10年で6割程度まで減少しております。本町においてもそうした傾向は見られると思います。
相馬氏は、昭和56年4月から36年間を教師として奉職され、平成31年4月から現在に至るまで大田原市野崎地区公民館の社会教育指導員として勤めております。 また、池田氏は、昭和59年4月から37年間を教師として奉職され、令和3年4月から現在に至るまで適応指導教室あすなろで教育専門員として勤めております。 2名とも、地域での人望も厚く、知識、経験ともに豊富で、人権擁護委員としてふさわしい方であります。
令和 4年 6月 定例会(第4回)塩谷町告示第58号 地方自治法(昭和22年法律第67号)第101条の規定により、令和4年6月3日午前10時塩谷町役場に塩谷町議会定例会を招集する。
芳賀町農業者トレーニングセンターでありますが、昭和54年、農業者の健康増進、食生活改善を目的に、体育ホールや運動器具、調理室等を備えた施設として農林水産省の補助事業の採択を受け、建設された施設であります。その設置及び管理に関する条例でも、農村地域社会の住民の相互連携意識を高め、健康で文化的な農村生活の向上を図るためと、設置の目的が示されております。
保健福祉センターは昭和60年3月に建築され築37年が経過して老朽化が進んでおります。出入り口も狭く、役場から遠いという不便な場所で、利便性を高める移転の声も多く聞かれております。移転には国や県の要件や条件があると思いますが、この際、シルバー人材センターの事務室等も加え、新築移転の計画はあるのか、町の考えを伺います。 以上6項目を伺いまして総括質問といたします。
そんな中、昭和55年の第35回国民体育大会「栃の葉国体」以来、42年ぶりとなる第77回国民体育大会「いちご一会とちぎ国体」が本県で開催されます。代表選手が各競技で熱い戦いを繰り広げます。この大会を県民一人一人が郷土を見直し、理解と関心を深め、県民としての一体感と自治の意識を育むよい機会と捉え、みんなで応援していきましょう。
委員から、鳥野目浄水場改修の経緯と内容について伺うとの質疑があり、執行部からは、昭和初期から供用開始している施設であり、耐震化が難しい。施設全体を更新する事業として令和10年度供用開始の予定であり、概算事業費は45億円であるとの答弁がありました。
第5次総合計画(2007~2016年度)、第6次総合計画(2012~2021年度)、第7次総合計画(2017~2021年度)、佐藤市長は2008年(平成20年)より市長職にありますから、佐藤市長が手掛け、いくつか年度の重ね合った総合計画の中で、鹿沼市の市役所を現在の場所と決めて取り組んでいることが示しているように、昭和20年代、30年代の鹿沼市の見方を引きずっているかのごとくの第8次鹿沼市総合計画では