那珂川町議会 2021-06-14 06月14日-04号
那珂川市につきましては、昭和31年4月1日に当時の南畑村、岩戸村それから安徳村の3村が合併して那珂川町が誕生をし、平成30年10月1日に那珂川市が誕生をいたしましたが、令和3年3月28日に行われました初めての市議選、これは先ほど言いますように3村合併をして65年今回たつわけですね。その中で、初めての町議選が昭和32年3月に行われ、令和3年3月28日の選挙まで17回の選挙がありました。
那珂川市につきましては、昭和31年4月1日に当時の南畑村、岩戸村それから安徳村の3村が合併して那珂川町が誕生をし、平成30年10月1日に那珂川市が誕生をいたしましたが、令和3年3月28日に行われました初めての市議選、これは先ほど言いますように3村合併をして65年今回たつわけですね。その中で、初めての町議選が昭和32年3月に行われ、令和3年3月28日の選挙まで17回の選挙がありました。
安徳公園は、那珂川町安徳土地区画整理組合が区画整理事業で用地を確保し、昭和53年に都市公園として整備を行いました。その後、昭和63年4月1日に組合が解散したことにより、那珂川町が公園の管理を引き継いでおります。町が管理を引き継いだ当時から、町には適当な運動施設が少なく、安徳公園を貴重な運動広場として活用しており、暫定的に運動広場としての活用を継続している状況でございます。以上でございます。
グリーンピアなかがわスキップ広場は、昭和61年の開園当初のリフトやスライダーから平成9年にはスキー場に変わり、その後平成22年から現在の形で運営していますが、広大な敷地であることから維持管理については苦労が絶えなかったというのが本音でありましょう。
グリーンピアなかがわが果たしてきた役割につきましては、昭和61年の開園以来、形態を変えながらも長期にわたり運営をしておりまして、市のランドマークとして役割を担ってきたことや、キャンプ村に関しましては体験型観光の場所として、子ども会等、団体の利用もあり、屋外体験の場、団体での体験の場といった役割を果たしてきたと考えております。以上でございます。 ○議長(高原隆則君) 羽良議員。
そのときに、現実に気象台の観測として平成23年、高知県で851.5ミリ、少し古いですけれども昭和57年、奈良県で844ミリという記録があるというふうに申し上げました。そして、記憶に新しいとこですが、平成29年7月、朝倉東峰村を襲った九州北部豪雨では24時間で545.5ミリ、1時間の最大は129.5ミリです。このような大雨があったわけです。
次に、どの程度の棟数を調査するのかでございますが、住宅につきましては令和2年1月1日現在の固定資産税課税台帳で調査することになりますが、住宅用途全体で1万8,000戸程度、そのうち旧耐震基準、これは昭和56年5月31日以前になりますが、旧耐震基準で建築された耐震性がないと推定されるものが3,000戸程度想定されております。
本委員会は、昭和31年4月1日に誕生した那珂川町において、平成30年10月の市制施行までの間に町議会が果たしてきた役割を後世に残し、今後の議会運営の一助となることを目的に、議会史の編さん作業を行ってまいりました。主な作業内容として、膨大な量となる過去の資料から情報収集や町制に関するデータ収集、関係者への聞き取り等を委員の役割分担によって取り組んでまいりました。
さかのぼって調べてみますと、昭和52年には、ゆとりある充実した学校生活の実現、いわゆるゆとり教育が導入されたり、平成10年には、総合的な学習の時間が新設をされたりもしております。また、現在の学習指導要領が実施された平成20年には、生きる力の育成を目指し、それまで削減されていた授業時間が増やされ、小学校での外国語活動が導入されました。
まず、筑紫地区5市の変遷を見てみますと、今から47年前、昭和47年4月1日に大野町は22年をかけ、春日町は19年かけて、そして筑紫町は17年かけてそれぞれ単独で大野城市、春日市、筑紫野市に市制施行をされました。その後、太宰府町が38年前、昭和56年4月1日、27年間をかけて単独で太宰府市が市制施行をされております。
ちょっとご紹介をさせていただきますが、昭和40年の町議会議員選挙、これ投票率が91.56%です。続いて4年後の町議会議員選挙89.53%、そしてまたさらに4年後、88.26%、そしてこれ右肩下がりにどんどん下がっていっています。最近の一番新しい議員選挙が平成29年、42.62%と年々もう右肩下がりという投票率の状況でございます。このような状況についてどのように考えているのかお尋ねをいたします。
◆1番(春田智明君) 現行の都市計画法は、昭和30年代後半から高度成長期の過程で、都市への急速な人口、諸機能の集中が進み、市街地の無秩序な外延化が全国共通の課題として深刻化した社会においての現状を背景に、線引き制度、開発許可制度の導入を骨格として、昭和43年に制定されたものであります。
本市は昭和31年4月に3村が合併した町であります。合併当時の人口は、南畑村が443世帯2,532人、岩戸村が652世帯3,702人、安徳村が441世帯2,748人、合計で8,948人でスタートをいたしました。この世帯数、人口を見てみますと、南畑村と安徳村がほぼ一緒であります。
次に、「誰もが分かりやすい行政運営を図る」につきましては、現在の本庁舎は、昭和53年に建設以来40年が経過しております。当時と比較し人口も大幅に増加し、庁舎を利用する住民が増えたこともあり、庁舎1階の住民課前の待合スペースは手狭になっております。このため、住民の皆様が快適に利用できるよう、庁舎正面玄関前に庁舎を増築いたします。
南畑地区の人口は、昭和60年から増減を繰り返し、平成14年10月の2,417人をピークに、その後は減少を続け、平成30年10月時点で人口1,791人となっております。以上でございます。 ○議長(高原隆則君) 臂議員。 ◆7番(臂英治君) 平成14年からの16年間で計算しますと、626人の人口減少であるということでございました。
東京都目黒区ですが、大橋ジャンクション内の施設の屋上に、昭和初期の目黒川周辺を見立て、斜面林、草地、湧き水とせせらぎ、池、水田と、かつての風景を再現しています。人と自然のかかわりが豊かであった時代をイメージしたそうです。最近では、多数の鳥類、昆虫類の生息も確認されています。都市化を目指して自然や農地を潰していきますが、人はまた自然を求めます。
昭和61年19万1,150人、昭和62年17万6,585人、昭和63年15万9,541人、平成元年13万9,212人、平成2年14万1,170人、平成3年13万7,805人、平成4年14万330人、平成5年12万1,653人、平成6年12万8,237人、平成7年10万8,090人、平成8年9万2,622人、平成9年12万2,771人、平成10年10万1,071人、平成11年7万9,649人、平成12
災害発生土の仮置き場につきましては、西畑球場横の旧昭和の森及びみどりの森公園を使用いたしました。どちらの仮置き場も満杯の状況でございました。以上でございます。 ○議長(高原隆則君) 松尾議員。 ◆8番(松尾正貴君) 土砂災害発生土の仮置き場ではある西畑球場横の多目的広場に、議会として視察にも伺いました。そのときの状況は、ほぼ満杯の状況であったのかなと思っております。
那珂川町高齢者対策協議会は、昭和61年に設置され、高齢者福祉の総合的施策の推進を図るため、高齢者保健福祉計画を作成し、高齢者が安心して暮らせる生活環境の整備を推進してまいりました。平成18年度に新たに那珂川町介護保険運営協議会が設置されたことから、高齢者の保健福祉施策及び介護保険事業の円滑な推進を図るための協議の場が2つ設置されることとなりました。
上記の議案を別紙のとおり地方自治法(昭和22年法律第67号)第109条第6項及び第7項並びに那珂川町議会会議規則(昭和32年議会規則第1号)第13条第3項の規定により提出する。平成30年6月22日。那珂川町議会議長高原隆則様。提出者、議会運営委員会委員長江頭大助。提案理由。平成30年10月1日に那珂川町を那珂川市とすることに伴い、条文の整備を行うものでございます。
昭和57年に発足して以来、長年ひとり親家庭等の自立や暮らしのサポートを行ってこられたわけですが、ここ数年来活動に非常に困難を抱えておられます。役員さんの高齢化に伴う活動の継続や予算不足などによるものですが、このことは今年度3月の予算特別委員会でも私がお尋ねしたところ、執行部も把握しているとのことでした。そのときに会へのサポート強化もお願いしました。