市貝町議会 2022-12-01 12月01日-02号
旧上根小学校は、昭和58年3月に廃校となり、その後38年間、特に何に利用されることもなく、現在に至っています。 令和3年6月議会の一般質問で、町は、今後この跡地をどのように活用していく考えなのか伺ったところ、その答弁は、土地の在り方、活用について、活用できる方向で検討していきたいと考えていますとの答弁でした。その答弁から1年5か月が過ぎましたが、検討結果はどうだったのか伺います。
旧上根小学校は、昭和58年3月に廃校となり、その後38年間、特に何に利用されることもなく、現在に至っています。 令和3年6月議会の一般質問で、町は、今後この跡地をどのように活用していく考えなのか伺ったところ、その答弁は、土地の在り方、活用について、活用できる方向で検討していきたいと考えていますとの答弁でした。その答弁から1年5か月が過ぎましたが、検討結果はどうだったのか伺います。
保健福祉センターは昭和60年3月に建築され築37年が経過して老朽化が進んでおります。出入り口も狭く、役場から遠いという不便な場所で、利便性を高める移転の声も多く聞かれております。移転には国や県の要件や条件があると思いますが、この際、シルバー人材センターの事務室等も加え、新築移転の計画はあるのか、町の考えを伺います。 以上6項目を伺いまして総括質問といたします。
そんな中、昭和55年の第35回国民体育大会「栃の葉国体」以来、42年ぶりとなる第77回国民体育大会「いちご一会とちぎ国体」が本県で開催されます。代表選手が各競技で熱い戦いを繰り広げます。この大会を県民一人一人が郷土を見直し、理解と関心を深め、県民としての一体感と自治の意識を育むよい機会と捉え、みんなで応援していきましょう。
私は昭和19年に生まれました。そして、敗戦という最悪の時代の中で、何もないところから育って、ここまで成長しました。日本国民は、戦争ということに対する、本当に最大の被害者という形、原爆まで投下されて、今日に至って、やっと回復してきたというところであります。 私は、何もないところから育ったという体験を基に、国際平和というのはどういうものかということに取り組んで、今日までまいりました。
氏は、宇都宮大学教育学部を卒業後、昭和57年に教職の道に入られ、以来37年間の長きにわたり学校教育の職務に携わり、将来を担う人材の育成に努めてこられました。また、現在は、町のサシバの里づくりアクションミーティング委員として、サシバの里づくり基本構想の各種施策の推進に当たり、教育分野の有識者として携わっていただいております。
要するに、他の中学校に昭和35年から3年間お世話になったわけであります。そのとき、英語は初めて勉強するということなんですけれども、たまたま私の担任は社会科の専門教師でありました。その先生が英語を教えてくれました。1学期中、とうどレッスン1です。アイ・アム・ア・ボーイだけ、ほかのクラスの専門の英語の先生のところはレッスン3まで行った。中間テストは同じ問題です。できるはずがないんですよね。
当施設の状態といたしましては、昭和60年に建築された建物であり、築36年が経過しているため、老朽化による劣化や震災の影響が各所に現れております。建物外壁タイルのひび割れや剥落、空調設備の老朽化も見受けられます。
2つ目の今後の改修についてでございますが、旧小貝中央小の校舎は、昭和53年の建設後、築43年が経過しており、建物の様々な箇所で経年劣化による破損等が見られます。体育館等につきましても同様の状況が見られ、築年数から見ても、大規模な修繕や改修が必要な時期を迎えております。
ご承知のように現在の市貝中学校は昭和47年に市羽中学校と小貝中学校が名目上の統合をされました。そして50年4月に実質統合されたということで、名目上は今年が50年目になったんです。統合されて50年。実質統合はあと3年後でございます。そういうところでありますけれども、私は昭和55年から9年間、市貝中学校に勤務をさせていただきました。
ため池については江戸時代あたりに造られた、江戸時代から昭和初期に造られたものが大半でありまして、かなり劣化が進んでいるということで劣化調査。あと、地震耐性評価、降雨耐性評価ということで、3項目に対して調査をするよう国のほうから指示が来ております。
上根小学校は、昭和58年3月31日で廃校となり、その後は38年間特に何に利用されることもなく現在に至っています。今は役場が実施する草刈りと地元の上根つつじが丘クラブが年に1回草刈りを実施して環境美化に努めているところです。また、当該地を取り巻く農地は、耕作放棄地となり、荒廃が進んでいます。 そこで、町は今後この跡地をどのように活用していく考えなのか伺います。
時代は昭和から平成、令和と変わり、保育所の運営も難しさが増しております。言い方を変えれば、子供たち一人一人に細やかな対応ができるということは、耳触りはよいですが、実は入所者の減少が問題なのであります。 私は、本日、北部の活性化のためにも、これからの市貝町の発展のためにも、若い人たちの定住を願いながら以下の質問を行います。
また、赤羽小学校につきましては、校舎西側が昭和55年に、校舎東側が昭和60年に建設され、それぞれ築40年、築35年が経過しており、老朽化による劣化が各所に現れております。これまで老朽化への対応として、必要に応じて部分的な修繕等を行い、施設の維持管理に努めてまいりましたが、赤羽小学校の校舎については、老朽化による外壁の劣化や汚れが目立っており、早急な改修が必要であると認識しております。
薄根定男氏は、昭和32年5月4日生まれの63歳で、認定農業者であるとともに、現在、農業委員会の委員でもあり、長年にわたり農業に従事され、農業に関する識見も高く、豊富な経験と知識を有し、はが野農業協同組合より農業委員として適任者であると推薦されております。よろしくお願いいたします。
今回の条例の一部改正につきましては、成年被後見人等の権利の制限に係る措置の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律(令和元年法律第37号)の施行に伴い、印鑑登録証明事務処理要領(昭和49年自治振第10号自治省行政局振興課長から各都道府県総務部長宛て通知)の一部が令和元年12月14日から改正されたことに基づき、市貝町印鑑条例の一部を改正するものでございます。
氏は、東洋大学工学部を卒業後、建設会社勤務を経て、昭和62年に教職の道に入られ、以来30年間の長きにわたり、学校教育・学校経営及び教育行政に携わってこられ、将来を担う人材の育成に努めてこられました。 また、校長在職中には、全国高等学校土木教育研究会の副会長を務められ、指導的立場から土木系教育の充実・発展に貢献されたと伺っております。
杉山保育所につきましては、昭和60年に建築後、耐用年数を超過し、経年による劣化は各所に見受けられ、ご質問の内容のとおり、施設の安全面や衛生面において施設の整備が必要となってまいりました。
2点目は、女性活躍推進の観点から、住民票、個人番号カード等への旧氏の記載が可能となるように、住民基本台帳法施行令(昭和42年政令第292号)等の一部を改正する政令が本年4月17日に公布され、本年11月5日から施行されます。これに伴い、旧氏での印鑑登録、印鑑登録証明書への旧氏の併記を可能とするものでございます。 以上が本議案の概要であります。
その中においてこの農業者トレーニングセンター、これは昭和57年度に建てられておりまして、この新しい耐震値に合致しているということでなっているんだと思うんです。
現在の保育所は、昭和60年12月に建設されてから、早35年間経過しており、東日本大震災の影響もあり、全体的に老朽化が進んでおります。 その間、当保育所も多くの子供たちが学び、そして育ち、小学校への基礎づくりという北部地区での幼児教育の重要な拠点の場でありました。 以前から、移転の話題があり、このことについては同僚議員も一般質問を行ってきました。