日光市議会 2021-03-04 03月04日-一般質問-04号
初めに、合併協議会のときは、名称変更で今市が日光市街になると協議されていれば、私をはじめ旧日光市民は合併はしなかった。昭和62年1月、道路標識設置基準解説には混乱を招かないように地域住民と話し合うとしなさいと書いてある。これに関して、市は旧日光市民の誰と話し合ったのか。議会、自治会長にも何の話もなく、旧日光市内に今市に向けて日光市街地と書き換えられた。
初めに、合併協議会のときは、名称変更で今市が日光市街になると協議されていれば、私をはじめ旧日光市民は合併はしなかった。昭和62年1月、道路標識設置基準解説には混乱を招かないように地域住民と話し合うとしなさいと書いてある。これに関して、市は旧日光市民の誰と話し合ったのか。議会、自治会長にも何の話もなく、旧日光市内に今市に向けて日光市街地と書き換えられた。
合併後数年が過ぎ、突如旧日光市街の重要道路標識が今市市街方向に向かって日光市街7キロと表示され、旧日光市に来た観光客は歴史ある日光の土産を買うのに道路標識を見て今市市に逆戻り、重要道路標識を変更するときは地元住民の混乱を防ぐために地元住民、有識者と話合いをするという1項目があるのに、前市長が地元議員、地元住民、有識者と協議もせず、県から来た書面にオーケーの判を押したから、このような標識になってしまった
大沢地区の悪臭対策について │├───┼───┼───────┼────────────────────────────────┤│ │ │ │1.市教育長の権限と責任について ││ │ │ │2.下水道敷設後の補修について ││ │ │ │3.日光市街地
補助金見直し全般について ││ 2 │ 24 │三 好 國 章│ ││ │ │ │4.中宮祠・足尾間の道路開通の見通しについて ││ │ │ │5.東和町・天理教間の歩道整備の進捗状況について ││ │ │ │6.旧日光市街地
10年以上もたってから重要道路案内に日光市3キロ、その下に今市と書かれ、日光の社寺11キロとあり、旧日光市街地の中の道路案内標識には今市方向へ向けて日光市街と書かれている。こんなややこしい道路案内標識を何のためにつくったのか。道路標識とは玄関前の表札です。日光を「日」と「光」に分けて誰が日光とわかるのですか。日光を見ずして結構と言うなかれとは、社寺と自然、2つを指して言っているのであります。
10年以上もたってから重要道路案内標識に世界遺産の社寺11キロとあり、その下に日光市街3キロ、括弧して旧今市とあります。こんなややこしい道路案内標識を何のためにつくったのか。世界の京都、奈良とは言われていないが、なぜ日光が世界の日光と言われるのかお聞きいたします。 ○斎藤伸幸議長 答弁を願います。 沼尾三男建設部長。
合併10年後、議会に何の話も相談もなく、突然日光霧降大橋の街路灯に左宇都宮、日光市街と案内板をつくり、今市市街に日光市街の案内板をつくり、道路標識は変更され、案内標識の表示地名に関する基準、平成17年8月25日、「重要道路名変更は地元の一般の方の意見を広く聴くなどの方法をとるとする。
の拝観券問題について ││ │ │ │5.西参道地区の活性化と交通渋滞対策について ││ 3 │ 24 │三 好 國 章│6.船村徹記念館の指定管理について ││ │ │ │7.東和町~御幸町の歩道整備進捗状況について ││ │ │ │8.旧日光市街
なぜか、10年も過ぎてから旧今市市が日光市街地の名称にかかわったのか。旧日光市民いわく、俺が態度がでかいのは、俺の特技だと公言している斎藤文夫、言葉が悪くてごめんね、市の話だから。市民の話。日光市民いわく、これ私の言葉ではないですから。市民いわく、俺が態度がでかいのは…… ○田村耕作議長 三好議員に申し上げます。
合併協議でも、町名の変更は混乱を招くからということで、本町が今市と日光にあるので、今市本町としたぐらいで、10年もたってから、旧日光市のまちの中に、左、日光市街地とあり、至るところの道標には日光市街地何キロ、その下に(今市)とあるが、紛らわしいと観光客は言う。
◆28番(三好國章議員) 私が旧今市の中心市街地はどこにあるのかお尋ねしているのは、あの道標、日光市街地、左、宇都宮、日光市街地になっている。だから、私はこの間から言っている。これがだからどこにあるのかと聞いている。部長、市長と組んでやっているのだから、わかるでしょう、このぐらいの答弁は。答弁求めます。 ○田村耕作議長 三好議員、今部長は答えたかと思います。
この計画では、都市計画区域を対象とし、用途地域内に都市拠点となる地域を設定することから、マスタープランにおける中心拠点である今市市街地、副次拠点である日光市街地、鬼怒川温泉市街地を拠点地域として位置づけることを想定しております。この拠点となる地域に医療、福祉、商業等の生活機能を確保し、各種サービスの効率的な提供を図るための都市機能誘導区域を定めることとしています。
中心市街地の名称変更すら合併協議会に上がっていないのに、10年もたってから突如日光霧降大橋のところに、左、宇都宮、そしてその後が日光市街地、私も子供のころから誇りに思っている市街地は大体国鉄、東武日光駅から神橋までが市街地だと思っていた。それが突如ああいうふうな看板をかけて、そして2キロメートル日光市街、方々に看板を立てて、こんな曖昧な行政でいいのかと思っております。
今市の中心街に誕生の地の十数倍以上の立派な記念館をおつくりになったが、記念館だけでの集客を心配してか、駐車場が確保できない日本初の市街地に 道の駅をつくり、合併から8年も過ぎてから客寄せのために道路案内標識まで 、日光市街地、道の駅日光として 客を誘導している。中心市街地とは何ぞや。
10年前、2市2町1村は、過疎化に伴う財政減を危惧して、大人数で少ない負担とともに、財政支出削減の一例として5人いる首長を1人に、5台ある公用車を1台にして、次世代に借金を残さないためにと合併しましたが、現在日光市霧降大橋の街路灯のところに左、宇都宮、日光市街と案内板があります。
ところが、つい最近霧降大橋に日光市街地といって霧降下がってきたら、矢印が左に向いているのかな、日光市街地。私は、日光市今市の市街地と書いてあるならば、市長、市長、今ちょっと余談で私が悪いかもしれないけれども、あなたもわかっているでしょう、教育というのはどういうものだか。
また、火災は、敏速なる出動という答弁でありますが、旧日光市街地だけに起こるのでしょうか。我々一般市民は、消防署員、消防団員の日夜を問わない献身的な努力のおかげで日常生活を安心して過ごせることに心から感謝をしております。消防署員の日常の厳しい訓練の場所を空気のよい郊外、出動の際の交通渋滞の心配のない場所を選ぶことなく、なぜ商店、民家が密集した場所を選んだのかをお尋ねいたします。
次に、2点目、世界遺産地区山内・旧日光市街の混雑について、その実態をどのように把握されているのか。主原因はどの辺にあると考えておられるのか。
さらに、景観計画を推進するため日光市街並形成ガイドラインを作成し、建物の外壁や屋根などに最低限度配慮した共通項目などを設定し、湯西川温泉地区、川治温泉地区、日光市街地地区、鬼怒川温泉地区、足尾地区、今市市街地地区の6地区について、個性ある景観づくりとして具体的な方法を示しております。
ご質問の地域連携の基本的な考え方ですが、まず都市ゾーンに区分された地域、具体的には今市市街地とその周辺部、日光市街地とその周辺部、鬼怒川温泉市街地とその周辺部及びJR下野大沢駅周辺部について、中心部の空洞化や郊外への無秩序な開発を抑制するためにコンパクトなまちづくりを目指します。この既成市街地は、居住や経済活動の拠点となっており、公共施設やインフラ整備などが進んでいる地域であります。