栃木市議会 2001-12-06 12月06日-03号
また、先生方においても、家庭で手のつけられない生徒を指導するには、すぐれた指導力がなければ対応できないのも事実であり、放任したままの状態が続けば、学級崩壊という最悪のケースまで発展することが考えられます。
また、先生方においても、家庭で手のつけられない生徒を指導するには、すぐれた指導力がなければ対応できないのも事実であり、放任したままの状態が続けば、学級崩壊という最悪のケースまで発展することが考えられます。
また、すべての児童は虐待、酷使、放任、その他不当な取り扱いから守られなければなりません。しかしながら、最近の児童を取り巻く社会状況を見るとき、児童虐待、少女買春等の報道が後を絶たず、憂慮すべき状況が続いております。児童の健全育成のためには、家庭、学校、地域、社会が一体となって環境の浄化、社会連帯の強化、家庭の教育力の回復等に取り組まなければなりません。
小学校高学年で児童の権利に関する条約の中から差別の禁止や虐待、放任からの保護あるいは休息及び余暇についての権利など幾つかの条文を紹介いたしまして、日常生活の具体的な場面を想定しながら自分の権利や友達の権利について話し合いました。児童虐待について、ある小学校の児童の感想を幾つか紹介したいと思います。
自由イコール放任、勝手気ままという誤った考え方は、この世に生を受け土になるまで、すなわち揺りかごから墓場までの自己研さんと訓練する場の提供と、指導及び人材育成は行政の責務の一端でもあります。前述に申し上げました生涯学習大学の設立を含め、家庭教育、保育園、幼稚園、学校、生涯学習と一貫して物事を進め、それを調整チェックし、生涯にわたる教育を進める検討室が必要だと思います。
現在、森林所有者は、材価の低迷と作業員の不足、加えて賃金の高騰により山林経営に自信を失い、放任されている森林が増加をしている状態であります。このまま放置されますと、森林の公益的機能は完全に失われ、ひいては市民生活にとり大切な働きをしている森林が間伐や枝打ちが行われずにいる森林とするならば、降雨量の10%ぐらいしか浸透しないと言われております。大部分が表流水となり、山肌を流れ去ってしまいます。
だから、赤堀だけをきれいにしようということで、補助金をつくり、何とか地域で赤堀川のごみだけぐらい取ってもらえないかということで、補助事業としてやっていただくことを考えたこともありましたけれども、なかなか長い間管理者のない川ということで、ここは放任されてきた川であります。そのために赤堀川はごみの捨て場になっていて、なかなかその川をきれいにすることはできませんでした。
複雑多様化する社会状況にあって、核家族化が進む現状と少子化社会を迎えた現代の中で、子供への期待感による過保護や両親の共稼ぎ等による放任など家庭での子供に対する教育としつけや、社会環境と食生活の変化などによるものかは専門家でありませんので、わかりませんけれども、現代の子供は協調性や忍耐力等の欠如が感じられるものであります。
家庭に目を転じますと、核家族化や少子化の進行に伴い、親子や兄弟のふれあいが少なくなり、過保護や放任、高学歴志向に伴う子供への過度な期待感などが子供たちの健やかな精神的発達を阻害する原因ともなっています。 このように家庭の教育力が低下する状況の中で、学校教育への過剰な期待や要求ばかりが増大いたしました。
しかし、その結果は過保護になり、子の要求はすべて容認するという子供中心の家庭生活、そうかといえば放任主義、すべて金で解決という環境の中での子育て。子のしつけは両親と言われているが、忍耐、そして善悪の判断と行動、物の大切さと経済観念、命の大切さなどの基本的倫理観、そして規範意識を体得させるような環境でない家庭が多くなってきていることを私は指摘したい。 それだけではない。
家庭におきましては少子化や核家族化等が進み、兄弟姉妹同士が切磋琢磨したり、祖父母から学ぶなどといった生活体験が減ってきていること、親の子供たちへの接し方については無責任な放任や過保護、過干渉といった傾向があると考えます。また、地域社会におきましては、連帯感が弱まり、人間関係の希薄化が進むとともに、子供たちの心の成長の源である生活体験や自然体験が失われてきていると思われます。
放任主義も過保護もだめだと、もちろん力で子供を押さえつけることもだめと。しかし、家庭がしっかりと善悪の区別のしつけを行う、これは家庭の責任だと、私もそんなふうに思います。一昨日は、学校の側からいろいろ答弁がありました。相互信頼に基づいて子供たちを育てるところ、一人一人を大事にして集団の中で自己形成、人格形成ができるように援助をすると、こういう学校の責任についてもお話がありました。
過保護や過干渉ではなく、また放任とは名ばかりのほったらかしでもなく、常に関心を持って見守っていなければ手おくれになってしまう、そんなもろさ、危うさがあります。子供は親の鏡と言いますが、グローバルに言えば世相を映す鏡でもあります。子供の乱れは荒廃しつつある日本を感じさせるものです。
自由放任で何も手がかりのないところでは、自我をつくりようがありません。無気力か無規律になるか、無軌道になるかのいずれかです。 戦後の社会では、子供の教育は母親の役目だと考えられて、父親は外で働いて稼ぐだけでよいと考えられてきました。しかし、家庭教育の中で父親の役割の大きいことを自覚しなければなりません。
また、全国調査の結果、不登校の半数近くは教育機関などとのかかわりがなく、放任された状態と指摘しています。県教育委員会も、その実態調査をされると言われております。低年齢化している覚醒剤問題、いじめ問題、そして神戸市の小学生殺害事件などを見ると、不登校の児童・生徒の対応によっても違いますが、非行・犯罪に発展する可能性があります。
こういうことを放任しているわけですから、やはりもっともっと真剣さが必要であると思います。 それとあと1点は、レセプトなどの点検も、皆さん方のところに「いついつ、あなたはどこどこでかかりましたね。それで金額は幾らですね、確認してください」というような通知が来ると思います。あれも調べてみましたらば、大手の下都賀病院なんかばかりなのです。
現在森林所有者は材価の低迷と作業員の不足、加えて賃金の高騰により経営に自信を失い、放任されている山林が増加をしている状態であります。このまま放置されますと、森林の広域的機能は完全に失われ、ひいては市民生活にとり大切な働きをしている森林が間伐や枝打ちが行われずにいる森林とするならば、降雨量の5%ぐらいしか浸透しないと言われております。大部分の表流水が山肌を流れ去ってしまうということであります。