大田原市議会 2022-06-15 06月15日-02号
大きな2番、歴史資源、地域資源の生かし方についてですが、皆さんご存じのように、黒羽地区は幕末には県内きっての活躍を見せた黒羽藩の居城があった地域でもあり、1万8,000石の外様大名である大関家が、国替えにもならず、戦国末期から幕末まで、300年近く治めてきた地域であります。特に黒羽城は栃木県北最大級の山城と言われておりまして、現在も本丸や土塁などが非常に良好な状況で残されております。
大きな2番、歴史資源、地域資源の生かし方についてですが、皆さんご存じのように、黒羽地区は幕末には県内きっての活躍を見せた黒羽藩の居城があった地域でもあり、1万8,000石の外様大名である大関家が、国替えにもならず、戦国末期から幕末まで、300年近く治めてきた地域であります。特に黒羽城は栃木県北最大級の山城と言われておりまして、現在も本丸や土塁などが非常に良好な状況で残されております。
それで、こちらのほうでは、障子堀のほか、戦国末期、小田原方の城となっていました鹿沼城、こちらの歴史的な価値を紹介をしまして、市民が誇りを持てるような展示、これができればと考えております。
文治3年、1187年に社殿を造営したとされ、以来那須氏累代の氏神として、さらに戦国末期から近世を通じては、黒羽藩主、大関氏の氏神として厚く崇敬されてきました。神社には、那須与一宗隆が寄進したと言われる太刀をはじめ、那須氏、大関氏によってそれぞれ奉納された貴重な神宝類が伝来しております。明治6年、1873年に八幡宮から那須神社と改称しました。
戦国末期、北条方の北関東戦線の最前線だった鹿沼城において、「障子堀」が発見されたことは、大変意義が大きい、そういうことが、この鹿沼城発掘調査現地説明会の資料に書いてあります。 私も、この発見は、本当に意義が大きいと、そのとおりだなと思いました。
また、特別展示期間中は刀剣のみならず、戦国末期の足利の歴史について熱心に質問する若い女性たちの姿も見受けられました。こうしたファンからの熱い思いを考えますと、次回再び刀剣展を開催する場合、このような熱心な刀剣ファンの御要望にお応えするよう内容を十分に検討し、展示に盛り込むことが次回のおもてなしには必要なことだと考えております。 また、山姥切国広は、国の指定する重要文化財です。