鹿沼市議会 2005-12-07 平成17年第6回定例会(第2日12月 7日)
小林教育長は、前々回の衆議院選挙に敗れた後、政界引退を表明いたしました。報道によりますと、その後の第二の人生をどう生きていくか考えたとき、教育分野にかかわりが持てればよいとの思いがあったそうです。阿部市長がご自宅へ来たときには、その場で既に前向きな気持ちになられたそうですね。阿部市長が、小林教育長を私たちに推薦したときに、筑波大学教授の堀和朗氏の研究報告を引用しておられました。
小林教育長は、前々回の衆議院選挙に敗れた後、政界引退を表明いたしました。報道によりますと、その後の第二の人生をどう生きていくか考えたとき、教育分野にかかわりが持てればよいとの思いがあったそうです。阿部市長がご自宅へ来たときには、その場で既に前向きな気持ちになられたそうですね。阿部市長が、小林教育長を私たちに推薦したときに、筑波大学教授の堀和朗氏の研究報告を引用しておられました。
これまで高齢者は、後進に道を譲るといった言葉で若い方々に仕事をゆだね引退してきました。これからは、高齢者は楽隠居なんてのんきに構えてはいられません。どれだけ若い層に負担をかけないような生活をするかを考えていかなければならないだけではなく、もっと積極的に社会に貢献できるように条件整備をしていかなければならないと思います。
前期をもって引退したある先輩議員は、昨年の第1回市議会定例会において他の学校施設の整備に触れ、施行令に定める必要面積の未整備な状況を法律違反であるとまで断じていました。坂西中体育館は、必要面積が大幅に不足する状況にあわせ、その老朽度も心配をされています。ことしの卒業式では、今まさに卒業生代表が答辞を述べるため登壇する直前、ステージ前アリーナ中央の天井の一部が落下してくるということがありました。
市長におかれましては、全議員に対しまして今期限りで市長職を引退されると、第1委員会室において発表されました。つきましては、今3月定例議会の一般質問に対する答弁が最後の答弁になることと私は理解をいたしております。次期の方に言い継ぎ、引き継ぎをされればよいことなど等、また私なりに考えることがございますので、それなりの質問をいたしたいと思っております。
また、後進に道をゆだね、今期限りで引退される皆様方には今後とも市勢の発展にご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げる次第であります。 最後になりましたが、この4年間千保市長を初め市職員の皆様には大変お世話になり、まことにありがとうございました。心から御礼を申し上げます。皆様方のご健勝と今後のご活躍をご祈念申し上げ、大田原市議会議員任期最終議会の閉会に当たりましてのごあいさつといたします。
かなりそういった面で市長は努力をされてきたような答弁がございましたが、私は広域衛生組合の議長をしておるときに、国分寺の若林町長、それから野木の金澤町長、割合親しくおつき合いをいただいたのですが、ある機会に、国分寺の役場を訪ねる機会がありまして、議長、話に聞いていると思うのだが、私はある時期を見て町長を引退する考えでいるのだと、そのときにやっぱり1市3町の合併問題については早く、私が町長でいるうちに道筋
東中はその後だと思いますから、長島が巨人軍を引退するころではないかと思います。 中央小学校は、大鵬・柏戸の現役時代ですから、本当に古いのです。先日2代目の貴乃花が断髪式をやっておりましたが、市長も鈴木市長から古澤市長、稲川市長、福田市長、現在の阿部市長と5代もかわっています。とにかく古いことがおわかりいただけたかと思います。 学校では、スチール製の窓はさびついてあきません。
質問に先立ち、今期をもって引退を表明されました鈴木市長に一言ごあいさつ申し上げます。去る24日、15年度施政方針の結びの中で、「多くの皆さんに支えていただきました私の政治生活を振り返りますと、感無量で胸が詰まる思いであります。私の任期も残すところわずかとなりましたが、最後の1日まで本市のため精いっぱい努めさせていただきます」と胸中を吐露されました。
鈴木市長の突然の引退表明に内外の波紋は大きく、市民は戸惑い、驚き、そしてこれからの栃木市政について、行く末についての話題が一気に膨れ上がりました。鈴木市長は、12月定例会において次期市長選への決意を表明され、元気に市政の運営のために先頭に立って、東奔西走のご活躍をしておられました。78歳という年齢を全く感じさせない精力的な行動に、ただただ敬服をしていたところであります。
しかも、前管理者であった小山市長の話として聞こえたところによると、経営が苦しいと言いながら荷受け会社の社長は私の報酬、108万円ですね、小山は、以上の賃金を得ており、そのしりぬぐいをさせられているのだからたまらないと、引退する前に某中卸に来て口説いていったそうであります。
この要因はいろいろあると思われますが、役員さんが高齢化して引退する役員の順番が回ってくるので、役員になる前にやめてしまう、ゲートボールで監督に厳しく指示されるのを嫌がってやめてしまうなど、いろいろあるようであります。
その後、昭和52年7月に参議院議員に初当選されて以来、社会労働委員長、沖縄開発政務次官を歴任され、平成3年11月には宮沢内閣の国務大臣、総務庁長官、平成9年には参議院予算委員長に就任されるなど、平成13年7月に引退されるまで4期24年にわたり、議案審議の重責を果たされるなど、国政の枢機に参画されました。さらに、国会議員として補助事業の採択を初め、真岡市や芳賀地区の発展に尽くされました。
さて、このたび議長、副議長の職を引退されましたが、社会経済の大きな変革期にありまして、大田原市も幾多の課題を抱え、新しい時代に向けて前進しようとしている大変重要な時期を迎えております。どうぞ今後ともこれまでのご経験を十分に生かされまして、市勢発展のためなお一層のご尽力を賜りますようお願いを申し上げます。 また、本日就任をされました相馬憲一議長、井上雅敏副議長にはまことにおめでとうございます。
今回の選挙は、20年間続いた菊地市長の引退を受けての選挙戦でありましたけれども、新たな21世紀の幕あけにふさわしく、新人2人による選挙戦となったところであります。お互いに自分の主義主張を訴え、多くの市民の中での舌戦を期待しておりましたけれども、残念ながらその思いはかないませんでした。それは余りにも誹謗中傷の文書やチラシの配布がなされました。
そんな力強い金子前議長が2年ほど前のある席で、私は今期限りで市会議員を引退するというような発言をしたとき、私は思わずまだ早いと声を上げていました。死ぬのもまだ早いと言いたいです。昭和50年4月の市議選で初当選して以来連続7回当選、私がここまで頑張れたのも金子前議長がいたからこそであります。
また、私の高校時代の恩師でもある岡本教育長が今期で引退されますが、教育長として3期12年間本市教育の日本一を目指してご尽力をいただきましたことに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。また、今回定年退職されます総務課長の高松利久さん、市民課長の細島靖一さん、長い間ご苦労さまでした。新しい立場での今後のご活躍を期待して、私の一般質問を終わります。ご清聴ありがとうございました。
既に今引退された何人かの議員、さらにはこの中にも何人もの議員が何回となく一般質問や代表質問に取り上げております。今回予算化されたことで、いよいよ現実味が帯びてまいりました。大変喜んでいる一人でありまして、担当課や関係されている方々、特に地権者の交渉も進んでおるようでありますので、地権者の方にも心から感謝している一人であります。
なお、補助額は3段階としているが、補助額の算定は県下統一、一律の金額であるか、あるいは足利市が実施している補助制度のように各自治体それぞれの要綱、要領などによる助成制度なのかなど、生活雑排水に非常に関心を持つ住民の福祉、衛生環境改善のためにも問題点、諸般の見直しなどを含め、今期引退間近な担当部長の今日に及ぶ労を衷心より厚く御礼申し上げ、英知ある明快な答弁をご期待申し上げて私の一般質問を終わります。
去る10月13日に、福田氏が敗れた場合は今期限りで市長を引退することを表明し、政治生命をかけてみずからの健康を害しながら限界に挑戦し、不可能と思われた戦いに大勝利された千保市長におかれましては感慨無量ではないかと思うものであります。
知事との関係についてでございますけれども、何と申しましてもけさの新聞を見ますと栃木県の顔、そして芳賀郡市の顔でございました岩崎先生も政界から引退との寂しい記事が載っておりました。そういう中で、本当に真岡のために一生懸命に働いてくれた岩崎先生もいなくなるというようなことで、市長さんにおいては真岡のために今度の福田知事さんとはぜひ是々非々の立場でいろいろな施策に当たっていっていただきたいと思います。