市貝町議会 2017-03-03 03月03日-02号
眠っている古文書等については、どんどんこれは時間とともに朽ち果ててしまいます。表に出さなければ、これは文化財としての価値はないと思います。そういったものをどんどん発掘し、また、ちょっと危険なもの、例えば樹木等は手入れをする、いろいろ樹木医に見てもらうとか、いろいろ手があるわけです。
眠っている古文書等については、どんどんこれは時間とともに朽ち果ててしまいます。表に出さなければ、これは文化財としての価値はないと思います。そういったものをどんどん発掘し、また、ちょっと危険なもの、例えば樹木等は手入れをする、いろいろ樹木医に見てもらうとか、いろいろ手があるわけです。
◎教育次長(真瀬栄八君) 先ほど来お答えしておりますが、野木町には野木町文化財保護審議会という専門の古文書であったり建築物、あるいは郷土史、民族関係、天然記念物等々の専門の方で構成されています、野木町文化財保護審議会というのがございまして、その専門家の意見などを聞きながら、また議員さんご指摘の学芸員、町長も答弁してございますが、専門的な職員がございませんので、価値も含めてそれが所蔵するのがいいのか、
この企画展では、鹿沼彫刻屋台の展示を初めとして、古文書などの祭礼関連の資料展示のほか、記念講演会なども開催される予定であります。 次に、那須烏山市と共催事業の考えについてでありますけれども、本市と那須烏山市は、地方創生加速化交付金の広域連携事業として、「下野の国二大祭り×2=まちの賑わい∞プロジェクト」を平成27年度に申請し、採択をされております。
議員のご発言のとおり、西方城址は宇都宮氏の一族であった西方氏の山城であり、築城年代は不明ですが、古文書の記録により、戦国時代末期の天正18年、1590年には城があったと考えられております。土塁、堀切、土橋で区切られた8つの曲輪など、城跡の遺存状態は極めて良好であります。構造としても戦国時代末期のすぐれた山城であり、文化財として評価が高いものと思われます。
今回、本市に寄託された作品は、「陶磁製方」、「陶器伝書」、この古文書の2点及び陶器の皿4枚でございます。佐野市内の旧家が明治時代に手放したもので、昭和57年に都内の美術館で展示されて以降、所在不明となっておりました。
鹿沼城につきましては、現状では古文書・絵図など、文献資料や考古学資料が極端に少ない状況であります。このため、歴史的・文化的価値に基づいた鹿沼城の復元整備は難しいと考えられることから、全会一致で不採択とすべきと決しました。 何とぞ、議員各位のご賛同をお願いいたしまして、議会運営委員会の審査結果についての報告を終わります。 ○横尾武男 議長 決算特別委員会委員長、増渕靖弘議員。
このうち、佐野市指定有形文化財では、建造物、絵画、彫刻、工芸品、書籍、典籍、古文書、考古資料、歴史資料の各区分がございます。
小山市文書館は、市民の共有財産として後世に長く伝えていくために、歴史的に価値のある市の公文書や古文書、その他の史料、歴史の史料ですが、史料などの収集、整理、保存を行い、閲覧などに利用しようとするものです。いわゆる過去に学び、現在を知り、未来を創造するための施設です。
合併前の各地域でそれぞれ資料館等を有していたことから、本市には現在歴史民俗資料を展示する施設として、都賀、おおひら、藤岡の各歴史民俗資料館、西方民俗資料室、おおひら郷土資料館、郷土参考館、古久磯提灯店見世蔵、下野国庁跡資料館、星野遺跡地層たんけん館、岩舟石の資料館などがあり、それぞれで遺跡の出土品や古文書、民俗資料など、さまざまな資料を収集、保管、展示しております。
古文書等の文献資料では児山城は1330年代の南北朝の時代に多功氏の支族である児山朝定が築城したとされておりまして、戦国時代の1558年、永禄元年に上杉謙信が多功城とともに児山城を攻め、城主、児山兼朝が討死し、落城したとあります。その後、1590年、天正18年の豊臣秀吉による城の破却命令により、廃城となったと考えられます。
さらに、施設内にある古文書館が施設内にあって、捨て子養育院に関する創立以来の膨大な資料が全部保管されているということで、それもまたびっくりいたしました。 そういえば、有名なバロック音楽の巨匠ビバルディもベネチアで1700年のころやっぱり養育院の子どもたちにバイオリンを指導し、合唱団を指導して一流の演奏家を、そしてオーケストラを仕上げて、演奏会を開いていたということを思い出しました。
次に、収蔵資料につきましては、郷土の貴重な歴史や文化を証する考古、歴史、民俗資料を収集、保管しており、その内訳につきましては、考古資料がテンバコ400箱に収納した破片類を含めて約15万点、古文書等の歴史資料が約10万点、民俗資料が約3,000点ほどとなっており、博物館収蔵庫において保管しております。
次の、古文書の取り扱いについてのご質問は、教育長から答弁を申し上げます。 ○議長(加藤貞夫君) 教育長、手塚章文君。 〔教育長 手塚章文君 登壇〕 ◎教育長(手塚章文君) はじめに、古文書の取り扱いについての質問のうち、保管状態についてお答えいたします。 平成元年から行いました町史編さん事業の一環として、高根沢町に存在する古文書の調査を行いました。
地元に関係する資料、古文書等などが出てきたときに、すぐに手を打てるようにしておいたほうがいいかと思いますので、ご検討ください。 文化振興基金は、普及活動を目的としているということですので、具体的に申し上げます。昨年12月に県文化功労者で小山市の日本画家、塚原哲夫氏が79歳で亡くなられました。
かつては歴史の参考資料というのは古文書ですね、あと遺跡ですね、それに頼る以外になかったんですけれども、今科学技術が発達いたしまして、アナログからデジタル化に変わったと。カセットテープ、ビデオテープとか、あと音声や画像もデジタル化によってUSBメモリーとかICメモリーとか本当に小さいチップのようなものに情報が集約できるようになったんですね。
映像記録とともに並行して進めている民俗調査につきましては、地元関係者を対象に聞き取り調査を実施し、これまでに未調査の古文書や風習等を数多く把握できたことから、今後の調査研究の推進を図るため、調査結果報告書を作成いたします。
したがって、樺崎寺だけが地名をつけたお寺の名前を、いわゆる本名としているとは考えづらいという御意見は、それなりに素人の私から聞いたとしても理解できるところでありまして、確かに平成24年の足利尊氏展などの展示物を見ますと、古文書に樺崎寺と明確に書いてある古文書もあります。また、同時に法界寺と書いてあるものも、そのときには私確認できませんでしたが、あるという指摘がございます。
その結果、現在考古資料がテンバコ400箱に収納した破片類を含めまして約15万点、古文書等の歴史資料が約10万点、民俗資料につきましては3,000点を超える資料が収蔵されております。このうち歴史資料につきましては、平成19年の4月に開館しました小山市文書館に移管されております。 以上であります。 ○野村広元議長 安藤良子議員。
また、これ以外にも市に寄贈された美術工芸品を初め、平成19年4月開館の小山市文書館が所管する古文書等もあわせて収蔵しており、新たな資料の受け入れが難しい状況となっております。
図書館には古文書などを含めて歴史資料も保存をされているというふうに聞いておりますし、こうした地域資源を市民とともに調査研究、活用していく、このようなことは図書館の果たすべき役割なのではないかなというふうにも考えているところなのです。