伊東市議会 2019-06-18 令和 元年 6月 定例会-06月18日-01号
しかし、ことし5月26日、冷涼の地としての印象が強い北海道佐呂間町で最高気温39.5度を記録するなど、地球温暖化の波はひたひたと迫ってきています。地球規模で見れば、北極、南極の氷や高山の氷河が溶け出し、年々減少しているという観測データが示され、気候変動は現実のものとなってきました。この状況が続けば、子供や孫の世代には大きな影響を受けることでしょう。
しかし、ことし5月26日、冷涼の地としての印象が強い北海道佐呂間町で最高気温39.5度を記録するなど、地球温暖化の波はひたひたと迫ってきています。地球規模で見れば、北極、南極の氷や高山の氷河が溶け出し、年々減少しているという観測データが示され、気候変動は現実のものとなってきました。この状況が続けば、子供や孫の世代には大きな影響を受けることでしょう。
このことからも、市民や観光客の流れも町なかに及び、JR伊東駅、市街地商店街、東海館、松川、東郷記念館、川口公園、按針メモリアルパーク、なぎさ公園、オレンジビーチ等への人の流れが創出されます。実現すれば、この中間点に位置する文化会館は、その中核として大きな役割を果たすものと考えられます。
できることならば、静岡県の吉田町の新しい津波避難タワーが脚光を浴びていました。県内にはそういうものが事例としてありますから、そんなものとうまく連動したものをつくったらどうかなと思っておりますが、そのあたり、吉田町のものは市長はごらんになったことはありますか。そのあたり、いかがでしょうか。
事業3は、伊豆半島7市6町首長会議や国際特別都市建設連盟、三浦按針にゆかりのある4都市が連携した事業など、広域的な視点から連携を深めるとともに、共通の地域課題に取り組むことにより、効果的かつ効率的な行政運営を推進するものであります。
事業費は伊豆急行、国、地方公共団体がそれぞれ3分の1を負担しており、地方公共団体の負担額のうち90%を県、残り10%を沿線2市2町が負担するもので、本市の負担はそのうちの5%となっております。いずれの事業も、地域住民の生活に欠かすことができない交通手段として重要なものであり、事業効果は大きいものと認識しております。
事業3は、伊豆半島6市6町首長会議や国際特別都市建設連盟、三浦按針にゆかりのある4都市連携など、広域的な視点から連携を深めるとともに、共通の地域課題に取り組むことにより、効果的かつ効率的な行政運営を推進するものであります。 第11目住居表示整備費は、住居表示プレート購入経費が主なものであります。
大原町の夜間救急医療センターの医療機器等の設備の老朽化も進んでいるのではないでしょうか。一次救急とはいえ救急医療を名乗っている以上、それなりの機能と体制がなくては、いざというときに人の命は守れません。 それでは、ここで本市の救急医療についての質問をさせていただきます。質問の第1は、大原町の夜間救急医療センターの機能は、現状十分であると考えているか、お伺いしたいと思います。
伊東とえにしの深い東郷平八郎元帥の揮毫に「天輿正義 神感至誠」というのがあります。「天は正義に与し、神は至誠に感ず」であります。また、東郷元帥が日本海海戦において旗艦三笠の艦橋にあったように、指揮官先頭、率先垂範は組織運営の一つの理想的なモデルであります。伊東市の経営がかくのごとき境地に達することができれば、きっと末永い安泰につながるものと思います。
ですから、6市6町の首長サミットで伊豆というものの線引きをまずしていかないと、沼津が入ったり抜けたり、清水町が入って抜けたりというふうに、伊豆というもの自体がまだ線引きがはっきりされていないので、ある程度伊豆というのもしっかりと線引きをした中で、これから連携をしていかなきゃならない。それと、その下に伊豆観光圏だの、伊豆観光推進協議会だの、ジオパーク構想だの、いっぱいあるわけです。
最近になって知るところとして、この東郷記念館が長年の所有者であった財団法人石橋財団から3年ほど前に他の民間会社の所有になったことや、親子2代にわたり東郷元帥への思いを込めて記念館を守り続けてこられた管理人さんがご高齢となられたことから、近いうちにご勇退されることなどが明るみになってきました。
本市は、昭和22年8月10日、伊東町と小室村が合併して以来、市制施行60年余りを経過する今日、改めて本市の歴史、市政の歩みに目を通したところであります。
1点目は、6市6町首長会議、通称伊豆半島サミットの現在の位置づけ並びに今後の運営について伺います。 平成18年7月に設立された通称伊豆半島サミットは、本市、三島市、熱海市、下田市、伊豆市、伊豆の国市6市と東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、函南町6町で構成されております。
指令室が一本になれば、今現在、各市・町でそれぞれが指令室を持っていてやっている部分が統一されることによって、それは当然少なくなることは確かでございますけれども、それ以外については、やはり市民サービスを低下させてはいけないという基本的なものがございますので、人件費比率は当然下がってまいります。
さらに、この付近には日露戦争のあの東郷平八郎元帥の元別荘が東郷記念館として実在し、藤の広場の一角には東郷小路の石碑があります。この建物は東郷元帥が昭和4年春に完成させ、別荘として冬4カ月、夏2カ月を過ごし、88歳で亡くなる前年の昭和8年まで訪れていたと聞いております。その後、昭和10年に石橋正二郎氏の持ち物となり、現在は石橋財団東郷記念館となっております。
「伊東別荘事はじめ」では、この室内温水プールについて、北里博士がドイツ留学中に見た温泉利用を伊東の地でもと、町当局に大浴場や温泉施設を提案したが、乗り気がないため、博士自身がつくられたことが書かれています。北里博士は、実に大正時代に今日的温泉利用法を提案し、実践していたのです。この実践の場が現在の野間さんにあるわけです。