静岡市議会 2013-02-05 平成25年2月定例会(第5日目) 本文
通産省の堺屋太一さんが官製でつくった。しかし、最初は行政指導だったけども、だんだんそれが仕組みが大きくなって、国民総出の大イベントになりました。そして、70年が過ぎたら、太陽の搭というモニュメント、記念物が残るということになりました。平成27年もそのぐらいのスケール感を持って、私は徳川家康公の四百年事業に取り組んでいきたいと思います。
通産省の堺屋太一さんが官製でつくった。しかし、最初は行政指導だったけども、だんだんそれが仕組みが大きくなって、国民総出の大イベントになりました。そして、70年が過ぎたら、太陽の搭というモニュメント、記念物が残るということになりました。平成27年もそのぐらいのスケール感を持って、私は徳川家康公の四百年事業に取り組んでいきたいと思います。
堺屋太一さんが委員長になって、国として残したいものということで認定されたわけでございまして、全国で24カ所、そして東海道でこの3カ所しかないわけでございます。そこに認定されたこともあって、ぜひここをいろいろな意味で宿場を中心にしたまちづくりにしたいという町長からのお話もございましたので、お貸しすることになり、今日に至ったわけでございます。
2、3日前のテレビで、作家の堺屋太一さんが、確かに自然エネルギーを利用するというのは大変重要なことだけれども、日本の今使われている使用電力の中でその比率を20%までに上げるというのは物すごい努力が必要で、大変であるというようなことを言っていましたし、昔の文部大臣の有馬朗人さんも、今の時点で努力を重ねても、自然エネルギーを20%にするには何十年かかかるということを言っております。
団塊の世代というのは、昨日青木議員が紹介してくださったように、作家の堺屋太一さんが1976年に発表した小説、「団塊の世代」に端を発した言葉です。第2次世界大戦が終わった日本で1947年から1949年までの3年間に生まれた約800万人の人たちを指して言うことが多いようです。この議場の中にもたくさんいらっしゃると思います。後ろにたくさんいらっしゃるのかもしれません。
団塊の世代について、1点、増加する退職者のサポートにつきまして、2点、生きがい対策の推進につきまして、小説「団塊の世代」を1976年に発表いたしました団塊の名づけ親となりました堺屋太一氏の定年後の生き方の記事が目に映りました。ちょっと抜粋させていただきました。
しかし、堺屋太一経済企画庁長官は、10月から12月期が底で、ことしに入って下げどまり現象が、かなり広い範囲で広がっていると、上方修正の見方を述べられております。 また政府は、現在この経済状況を打開しようと、社会資本整備や減税、貸し渋り対策や地域振興券など、総額では20兆円を大きく上回る緊急経済対策を打ち出し、経済のプラス成長を最大のテーマとして取り組んでいるところであります。
先日の日曜討論を聞いておりますと、堺屋太一長官は、土地というものを資産ということではなくて、資源という考え方をすべきだと、そういう時期に来ている。そして土地利用というものを今までの窮屈な規制の前にさらしておくのではなくて、資産としてではなくて資源として活用するように改革をすべきだと、こういうことを言っておりまして、まことに清水市もそうあってほしいなと、こういうふうに思ったわけでございます。
堺屋太一さんによりますと、大競争の時代、ネガコンペンテーションエージということも言われておりますけれども、そういった中で再構築が必要じゃないかというお話でございますけれども、こういった戦略についての考え方で、現状をどう考えていくかということでございますが、こういった時代背景に常に対応して物事は進めていかなければならないという観点に立ちまして、現在清水港のFAZ事業推進協議会の中に、今3部会ございます