裾野市議会 2022-06-21 06月21日-06号
◎建設部長(篠塚俊一) 千福公文名線の都市計画決定は、昭和55年でありました。平成24年度に都市計画道路の検証を行っており、千福公文名線は再検証の結果、道路網として必要な路線であり、存続となっております。現在は、平松深良線の交差点部から東側を市道1―26号線として平成31年4月19日に供用開始しております。
◎建設部長(篠塚俊一) 千福公文名線の都市計画決定は、昭和55年でありました。平成24年度に都市計画道路の検証を行っており、千福公文名線は再検証の結果、道路網として必要な路線であり、存続となっております。現在は、平松深良線の交差点部から東側を市道1―26号線として平成31年4月19日に供用開始しております。
粟ヶ岳の茶文字についてですが、茶の字の草かんむりの横棒は 100メートル以上もあり、その大きさに圧倒されますが、この巨大な茶の字は、昭和 7年頃に東山のお茶のPRのために、茶業組合や村人たちが力を合わせ、粟ヶ岳の急斜面に松の木を植えたのが始まりのようです。茶の字の形を決めるために、白い紙をつけた縄を持って並び、それを向かいの山から眺めて手旗で合図し、調整を繰り返したとのことです。
地区集会は昭和53年 4月の掛川学事始の集いを前身として始まっておりまして、その意味では、本年度で44年を経る歴史ある集会であるというふうに承知をしております。 この掛川市の地区集会の特徴といたしましては、他市のように地区の大きな開催単位とは違って、地区単位規模の小さな単位の集会として実施をしているということに大きな特徴があると思います。
昭和46年、厚生省の省令です。ここに、法律施行規則第3条の生活環境に及ぼす影響についてということが書かれていて、第3条の2の7では、その他当該一般廃棄物処理施設を設置することが周辺地域の生活環境に及ぼす影響について調査に関して参考となる事項があります。要は第2、第3埋立地建設後に大量の汚染物があったと、その存在が分かったが調査を行わなかったということになるんです。
そして、裾野市学習、集会等供用施設管理覚書、昭和57年4月1日からのものですが、これが定められています。
諮第2号につきましては、富士宮市豊町15番19号、昭和27年9月27日生まれ、渡邉和彦氏を、諮第3号につきましては、富士宮市淀師1630番地の5、昭和33年8月6日生まれ、輿水まゆみ氏を、諮第4号につきましては、富士宮市東町13番14号、昭和40年11月15日生まれ、佐野嘉則氏をそれぞれ再び人権擁護委員候補者として推薦いたしたく、人権擁護委員法第6条第3項の規定により、市議会の意見を求めるものであります
都市計画道路西間門新谷線は、御紹介いただきましたように、沼津市西間門から三島市新谷を結ぶ延長7,430メートルの都市計画道路として、昭和63年9月に都市計画決定され、このうち三島市は、清水町境から国道136号に向けて、平成13年度から事業を進めているところでございます。
三島市では、昭和60年に最初の三島市行政改革大綱を策定して以来、社会経済情勢等の変遷を踏まえ、時代に即した見直しを実施しながら6期にわたり行政改革の推進に取り組んでいます。 そこで、平成28年度から令和2年度までの行政改革の取組と課題について伺います。 ◎企画戦略部長兼危機管理監(飯田宏昭君) お答えいたします。
公害防止協定については、昭和51年10月に当時の沼津市長と清水町長、そして外原区長の三者で今の施設での公害防止について、「香貫山周辺地域の大気汚染が地域住民の健康で安全かつ快適な生活を営むことに支障を来すおそれのある特殊な地形であるので沼津市は公害防止の観点を一体不離のものとし、住民の命と暮らしを守るため清水町長と共にあらゆる手段を尽くして、特に地域的にも公害の防止と絶滅を図る義務を負担し、その実現
まず、議第35号 工事請負契約の締結についてでありますが、これは、三島市立向山小学校の校舎等について、昭和51年に建築して以降、46年以上を経過している箇所があるなど、老朽化が進んでいることから、内装の全面的な改修及び学校敷地内の外構整備を行うことにより、安全かつ快適な教育環境を整備しようとするものであります。
今から52年前の昭和45年、大坪地区土地区画整理事業により新駅の用地は確保されております。同年、清水市長経由で新駅整備の陳情が出されました。 平成15年の静清合併の際、大坪新駅は新市建設計画に位置づけられております。
清水の七夕まつりといえば、東海地区の名物にしようと昭和28年に第1回が開催された歴史あるお祭りで、仙台や平塚の七夕まつりと肩を並べる、清水の自慢できるイベントでありました。また、清水の夏の風物詩である巴川灯ろう流しも、清水銀座商店街が主催のため、今年から中止との知らせを受けました。 清水銀座商店街は、東海道江尻宿として江戸時代から続く、旧清水市の中心商店街でした。
続きまして、清水庁舎を対象建築物としていなかったのはなぜかについてですが、所管行政庁では、平成27年当時公表していた、公共建築物の耐震対策の現状において、新耐震基準施行日以降の昭和58年の建設年度であり、耐震性能があると判断したことから、要緊急安全確認大規模建築物の対象外としていました。
債務負担行為の補正は、グリーン水素供給設備整備事業補助金等の追加及び主要地方道梅ケ島温泉昭和線有東木トンネル道路改良事業費等の変更でございます。 また、市債の補正は、港湾施設整備事業債の追加及び道路新設改良事業債等の変更でございます。 1枚おめくりください。
昭和48年に大東町が発足しましたが、城東村と大浜町の境の場所にございます。そのときからの懸案事項でございましたが、平成 6年に住宅造成工事の計画が策定をされました。その後平成13年にはその計画が断念され、そのまま棚上げとなっておりました。
戦争に負けて、アメリカのほうでいわゆる昭和20年は非常に不作だったものですから、食糧難で、天皇もマッカーサーのところに行って、とにかく飢えてしまいますから頼みますよと、食料を調達に行ったくらい、私はどんな刑を受けようが構わないという、涙が出るような発言をしてくれたのですけれども、そんな形で脱脂粉乳ももらったのですけれども、ただ私の時代は脱脂粉乳が要るような時代ではなかったのですけれども、何か知らないけれども
城山公園の東側、若之宮浅間神社の脇に露出している溶岩は、大宮縄状溶岩として昭和44年4月1日に市指定天然記念物となっています。西側の県道沿いにある溶岩は、富士山の溶岩を身近に感じることができる自然景観となっていますが、天然記念物ではありません。 なお、城山公園は全域が埋蔵文化財包蔵地、城山遺跡となっており、工事の際には届出が必要で、発掘調査が必要となる場合もあります。 以上です。
また、未処理用地は、本市管理の道路区域内等に存在する私名義の土地で、過去、これは昭和の時代ですけれども、工事施工承諾のみで工事が先行されまして、所有権が市に移転されないまま道路の供用が開始されたことによって未処理のままの用地が存在しておりましたけれども、現在は、事業用地の取得後に事業を実施し、未処理用地の発生の抑制をしているところでございます。
1つは、今、委員が言われた風疹の予防接種を受ける機会がなかった昭和37年4月2日から昭和54年4月1日に生まれた男性に対する風疹抗体検査と予防接種、いわゆる緊急風疹対策と呼んでいる事業で、令和元年度から今年度末までの3年間の事業です。
ガーデンシティみしまの取組につきましては、その基礎となる事業として、花と緑いっぱい運動を昭和50年代前半から展開しており、現在も実施している公共花壇、地域の皆様が管理する地域花壇、記念樹や生垣の配付のほか、市内外の園芸店によるみどりまつり、さらには、当時はまだ珍しかった花のボランティア団体三島花の会を発足させるなど着実に活動を積み重ねたことを基に、品格ある美しいまちなみの創造とにぎわいのあるまちづくりを