袋井市議会 2015-07-23 平成27年民生文教委員会 本文 開催日:2015-07-23
その中で、御出身のカリフォルニア州と日本はほぼ同じ面積であるけれども、日本は、地域によって食べ物や味や、また言葉も違うということで、方言についても差別的な取り扱いではなく、それを前向きに捉えて個性として認めることも大切にしているというようなお話もされておりました。 また、一昨日の21日には第11回目の袋井市学力向上推進委員会が開催されまして、最終の提言書案について協議が行われました。
その中で、御出身のカリフォルニア州と日本はほぼ同じ面積であるけれども、日本は、地域によって食べ物や味や、また言葉も違うということで、方言についても差別的な取り扱いではなく、それを前向きに捉えて個性として認めることも大切にしているというようなお話もされておりました。 また、一昨日の21日には第11回目の袋井市学力向上推進委員会が開催されまして、最終の提言書案について協議が行われました。
昨年発刊されました遠州大東方言かるたは全部で44句あります。まさに地域文化そのものです。地域活性化の原動力となるもので、編集いただいた皆さんに敬意を表したいというふうに思います。 1つ紹介してみますと、「のうのう様、ひ孫も両手合わせてる」という、こういう句があります。
との質疑に対し、標準語に当たる手話と、しゃべり言葉のように、その地域で育ってきた方言がある。との答弁がありました。 委員より、町内で手話通訳者の方は何人いるか。また、県内では何人いるか。との質疑に対し、長泉町に登録している手話通訳者は7人、静岡県内だと100人を超える方がいると思われる。との答弁がありました。 委員より、今の手話通訳者の人数で十分か。
ちょっと方言が出て申しわけないんですけれど。 今言った、我々はまず仮宿ですね。これは我々の悲願であるクリーンセンターと一体的になってやっていく必要があるということで、地元についてもそのことを織りまぜた、そういったような説明をしています。そして、今度はその隣にある高田、その地域ですね。それと、岡部の入野と村良、この3地区が主に内陸フロンティアの範囲になるわけです。
手話を使う聾者にとって、聞こえる人たちの音声言語と同様に、大切な情報の獲得とコミュニケーションの手段として、それぞれの風土の中に生まれ地域に根づいた方言や、英語のように各国共通の国際手話も大切に守られてきました。しかし、長い間、聾学校では、口の動きを読み取る口話教育が行われてきたため、国語の授業はありましたが、手話の授業がありませんでした。
まず、じゅぐりっと博の「じゅぐりっと」とは、人吉地方の方言で、物の周りを一回りすることを意味しています。この博覧会は、JR肥薩線におけるSLの運行開始と九州新幹線開業を3年後に控えた2009年に始まったイベントの総称であり、市長を実行委員長として、行政、住民が一体となり、観光客を心からもてなすさまざまな催しを、春は4月と5月の2カ月間、秋は10月と11月の2カ月間、年に2回ずつ開催しています。
「津波てんでんこ」はこの地方の方言で、てんでんばらばらにという意味。「津波が来たら肉親に構わず各自てんでんばらばらに1人で高台に逃げろ」が伝承の本来の意味のようであります。
FM島田につきましては、災害時の市から市民への情報伝達手段については大幅に改善されましたということで、島田市総合計画の中にも記載されておりますが、さきの奄美の豪雨災害のときにも地元のFM局が災害情報をずっと流し、パーソナリティーが奄美の方言で島民の皆さんに頑張りましょうと呼びかけをして、非常に島民の方が勇気づけられたというような報道がされておりましたので、FMという地元の放送は非常に重要な役割を担っております
大阪弁でしゃべる外人、やはり標準語でまず日本語をしゃべった後で方言を学ぶんだったらいいですけれども、大阪弁や山形弁をしゃべる外人というのはちょっと不思議に映ると思いますね。やはり、標準的な英語、これを身につけることも私は大事じゃないかと思うんですね。そういった点で、これは検討に値すると思います。いかがでしょうか。
やっぱり静岡だと、方言とすれば「おらんとこ」ということだけど、「おらがとこ」だと東北弁だというような感じもして、静岡らしさというのはどこにこの言葉で出ているんだと、これまじめに答えていただきたい。 それで、そういう中で、じゃ、「おらがとこのこれ一番事業」というのが、もうある程度の周知がなされていて、地元の感触というのはどうなのか。
いつも地方にお邪魔して撮影しますが、その方言を自然にしゃべる人がいると助かるので、地元の劇団に所属している人やお芝居の経験のある人に出てもらったり、オーディションで選ばれた人や、近所の人や子供たち、多数のエキストラに参加してもらって撮影します。
この牛のくそとは方言で、悪いことを黙っていて隠す、それが牛のふんのように積もり積もってくるという意味の言葉であります。自宅水道管の新設工事に際しまして検査をした市の職員が新管を使用しないで古い管を使用したことを隠していたということであります。
私は、介護保険の保険料、後期高齢者医療制度の保険料、国保税、それに続いて住民税までが年金から天引きされると聞き、私が生まれ育った地方の方言であります「えげつない」という言葉を思い起こしました。関西弁で御承知の方もおられるでしょうけれども、非常にひどい状態、どひどいとか、また、内容にあくどいという意味もあるわけですけれども、そういうひどいを二乗、三乗した言葉であります。
温暖化防止大作戦」に込める思いにつきまして少し御紹介をさせていただきますけども、「やらざあ」は御存じのとおり、皆さんに「さあ、やろう」と呼びかけたり、かけ声をかけたりする静岡の中部の方言でございます。
こらっしぇって何だろうかなと思ったら、来てくださいとか、おいでよとかという地元の方言らしいですけれども、これをつくりまして、当然渡邊務事局長さんが中心になっているんですけれども、ボランティアの皆様方の大変な支援をいただいて会社までつくっちゃったんですね。今では毎日シャトルバスが往復をしている、こういう状況にありました。
これは清沢地区の方言ということだそうです。市の給水工事で古管を使用した悪いことを隠しているから、これが牛のくそ証言と勘違いしていると思われます。 そして、昭和60年9月中旬に原告宅内の給水管工事に市内の指定給水装置工事事業者と市の水道建設課職員が共同で古管を布設したことにより、大漏水事故を起こしたとのことであります。
この辺で言う方言なんですけれども、私のじいさん、ばあさんが、よく「弔い張り」と言っていたから、この辺の方言だと思うんですけれども、弔いのときにはこういうふうにやれよと。なぜ、弔いというと、弔いのときには普通やっていることと逆なことをやるんですね。でも、清躰寺の和尚さんは、弔いって汚いことじゃないんだよ。きれいなことだよ。生まれて死ぬのは当り前だと。
そういう中で、先ほどちょっと答弁の中に入れさせていただきましたが、浜通りの方言を残す方々でありますとか、いろいろ御努力をなさっておられる方々もおいででありまして、大変ありがたくは思いますが、そういうような総合的に勘案しますと残念ながら無理だろうなという結論に達したところであります。
今の子供は、そういう機会がないのではないか、また方言をとらえられていじめられた経験がある。また、片親ということでもいじめられた。昔は先生にたたかれても、自分が悪いからだと言われたが、今は逆転している。厳しい先生が指導できない面もあるのではないかと、いじめの根本は家庭教育にあると思う。学校に押しつけるだけではだめである。そして、昔は、いじめられる子もいたが、かばう、思いやる子供が必ずいた。
この方はたまたま掛川出身で弁護士になった人でありまして、掛川でいて、掛川の方言で東京の学校で心ということを言ったところ、心というのが言い方が掛川式だったので、子供から先生から皆で大笑いして笑われたと。なぜ心でいけないのかというんだけれども、向こうじゃ心と言わなきゃいけないとか、こういったようなことで自分自身はショックを受けて成績も下がったと。