静岡市議会 2022-03-10 令和4年 観光文化経済委員会 本文 2022-03-10
71 ◯浜田委員 大河ドラマの話から少し離れてしまうのですが、家康公が来年のタイミングでフィーチャーされるということもありまして、静岡市とゆかりのある徳川家といいますと、私たちの会派要望でもよく言っております徳川慶喜公も、ぜひともこのタイミングで少し関連性を持っていただけたらいいなと思っております。
71 ◯浜田委員 大河ドラマの話から少し離れてしまうのですが、家康公が来年のタイミングでフィーチャーされるということもありまして、静岡市とゆかりのある徳川家といいますと、私たちの会派要望でもよく言っております徳川慶喜公も、ぜひともこのタイミングで少し関連性を持っていただけたらいいなと思っております。
もう一つは、あまり一般的には知られていない史実、歴史上の事実でありますが、徳川家から葵の紋どころを頂いた朝比奈地区にあります閑田院の存在であります。
まず、駿府浪漫バスですけれども、路線としては静岡駅からまちなかを通って、浅間神社ですとか臨済寺の方面まで回るコースになっておりまして、今川家、それから徳川家ゆかりのエリアをコンパクトに回ることができるまちなかの歴史観光において、利便性の高いものであると考えております。
この静岡浅間神社は、室町時代から江戸時代にかけて今川、武田、豊臣、徳川家などの諸候から厚い尊崇を受け、社殿の造営、神領の寄進など数多く行われた。特に徳川三代将軍家光公は家康公の遺志を継いで、1634年に日光東照宮建立と同時に、この地に豪壮華美な社殿を造営、寄進されたのでありますが、残念ながら1773年、1788年、2度にわたる大火で消失したというのであります。
今後は、シティプロモーション顧問である徳川家広氏や、パートナーシップ協定を締結した日本航空株式会社など、官民連携を一層強化するとともに、多様なツールを活用し、戦略的に事業を展開してまいります。 また、2015年にゆるキャラグランプリを獲得した出世大名家康くんは、全国的な知名度が高まり、市内外のイベントでのにぎわいの演出、商品やサービスへの活用など、本市の情報発信等に大きく寄与しております。
具体的な内容につきましては、今後、シティプロモーション顧問を務める徳川家広氏や、文化顧問を務める磯田道史氏の御協力も賜りながら検討してまいります。 ◆35番(黒田豊) 議長、35番。 ○議長(飯田末夫) 35番黒田豊議員。 ◆35番(黒田豊) ありがとうございました。 ここでは意見・要望を申し上げます。 まず、若者がチャレンジできるまちにつきましては、本当にすっきりとした答弁でありました。
先般、徳川宗家19代徳川家広氏をお招きしたシンポジウムでも、家康公、徳川家臣団の躍進と、旬の時期に旬の食材を摂取できる浜松市の土地柄との関係が話題となりました。この恵まれた環境にある本市において、農産物を初めとした食が人を育むという点から、子育て中の御家庭など若い世代の地産地消の意識を高めていくことも重要であると考えております。
名古屋には尾張徳川家の尾張徳川美術館があって、それで展示されておりますけれども、それは尾張徳川家が持っている貴重なものだと思うんです。
駿府城に入城した徳川家康公にこのワサビを献上したところ大変喜ばれ、門外不出とまで珍重されたと伝わっておりますが、徳川家の御紋が葵の紋、この葵の紋の紋様がワサビの葉っぱの形状によく似ているのも奇遇ではないでしょうか。
徳川家の中で身近に感じているというか、私たちに一番近い「けいきさん」が元気でいらっしゃった姿を、まちを自転車で通っていたという姿を見ていた方がまだ静岡市内でも元気でいらっしゃるようですが、「けいきさん」をどう扱うんだろうかということを心配されている市民の方がいらっしゃるので、その辺はどうでしょうか。
具体的な計画がもう出されていまして、進んでいるわけですが、今さら言って中に入るかどうかわかりませんが、実は今年の静岡商工会議所の新年賀詞交歓会で徳川宗家の徳川家広さんが挨拶したんです。そのときに、徳川時代は240年間戦争をしなかったと、非常に強調していました。戦争さえしなければ経済は回復していくという言い方もしていました。
築城当時は、北、西、南の3方が横須賀から続く入り江に面しており、現在の北八雲神社西側には、空堀と土塁の跡が顕著に残っており、その西側の主ぐるわや東側の二のくるわを含め、一帯は天正期の徳川家城郭の特徴が認められる城址となっています。 ところが、これらの史跡には、馬伏塚城本丸付近の案内板があるのみで、顕彰表示の施設が非常に乏しい現状にあります。
そういう中で、徳川家の関係につきましては、主に静岡大学の本多先生に見ていただこうと。そして、今川氏につきましては、現在、NHKの大河ドラマで歴史考証をやられております大石康史さんに見ていただこうと考えております。先日、2月7日の日にそのお二人と中村先生に来ていただきまして、監修委員会というものを設置させていただきました。
江戸城無血開城を命がけでなし遂げ、徳川家を守り、そして静岡に多大な貢献をした山岡鉄舟。ことしはその生誕180周年に当たります。 張り紙を通して一人の声を大切にする教導石。何か今の行政や我々議員に大切なことを投げ掛けているように感じます。 山岡鉄舟、設置者たちの思い、教導石建立の趣旨を心にとめ、議員活動に励むことを私の決意として全ての質問を終わります。 ありがとうございました。
そこで、井伊家ゆかりの彦根市を初め、武田家の甲府市、織田家、徳川家の愛知県や名古屋市、岐阜県などとも連携し、来年の放送に向けた効果的なPRを行ってまいりたいと考えております。 このように広域的な連携は必須であると考えていますので、県や他の市町と連絡を密にして情報交換を行い、「おんな城主直虎」推進協議会とともに積極的に相互協力を働きかけてまいります。
2点目に、徳川家ゆかりの地との交流については、今後どう推進していくのか、伺います。 次に、歴史文化施設と天守台跡地発掘調査についてです。 新年度、平成33年完成を目指し、仮称静岡歴史文化施設及び「そびえる天守閣を街のシンボルに」の市長肝いりの事業として、駿府城天守台跡地発掘調査がスタートいたします。現在、東海地区においては、3つの天守閣再建事業が展開されております。
震災を契機として、徳川家をめぐる歴史をひもときながら、市民交流が観光復興につながればとの思いから実現したものでありました。9月には、市議会議員有志と静岡まつり実行委員会の役員の皆さん、経済局長を初め観プロスタッフとともに会津若松市を訪問し、歴史に残る白虎隊慰霊祭に同席させていただきました。
三浦按針、ウイリアム・アダムスは徳川家康の外交顧問であり、外国人初の徳川家の旗本だったのであり、そのアダムスが唐人川河口において建造した日本初の洋式帆船2隻のうち1隻が按針丸であることは説明するまでもないことでしょう。
先月18日の報道に、徳川家の家紋をモチーフにした三つ葉蔓葵の校章を持つ籠上中学校の生徒による歴史をたどった調査が、専門家らの検証で認められ、同校が改めて紋章を制定することになったとの記事がありました。 生徒のプロジェクトメンバーは、市長を訪ね、成果を報告し、大澤校長は、歴史を解き明かそうとする生徒の熱心さが原動力となったとの喜びの声を寄せておりました。
これらの主たる起源は江戸期の徳川家由来の神社仏閣の造営、特に文化元年、浅間神社の第二期造営工事によりまして、全国から集められたすぐれた職人の定住に端を発すると言われております。 次に、資料の3ページをごらんください。