御殿場市議会 2014-09-25 平成26年 9月定例会(第6号 9月25日)
御質問の中で触れられているとおり、本年は東海道線が御殿場経由で開通してから125年、御殿場線が開業してから80年の節目の年となっております。このためJR東海では御殿場線開業80周年を記念する事業の一環として、この秋、臨時列車ごてんば線まつり号1往復と御殿場線80周年371号を延べ5往復運行することとしております。
御質問の中で触れられているとおり、本年は東海道線が御殿場経由で開通してから125年、御殿場線が開業してから80年の節目の年となっております。このためJR東海では御殿場線開業80周年を記念する事業の一環として、この秋、臨時列車ごてんば線まつり号1往復と御殿場線80周年371号を延べ5往復運行することとしております。
明治22年、東海道線が御殿場経由で開通しました。当時、徒歩交通者は1万人を超えていたと言われ、三島宿を含め、私たち五ケ新田もある程度の生活ができていたと言われていますが、鉄道の開通は徒歩交通者の激減を招き、三島市区も含め壊滅的な打撃を受けたことは御存じのとおりであります。 私たちはそのころから農業に転じていったと思われます。
しかし、明治22年、東海道線が御殿場経由で開通したとき、三島市の状況は見る影もなく、無残な状況だったと言われております。その後、駿豆鉄道により大正6年に下土狩大仁間、そして大正13年には修善寺まで運行が開始され、昭和9年には丹那トンネルが開通して悲願の東海道線三島駅が開業、現在に至っております。
◎建設部長(加藤修君) 次に、天神原跨線橋の早期かけ替えとこれまでの経緯と今後の対応についてでありますが、まず、東海道線は、開設当時、御殿場経由で国府津駅から沼津駅までを運行しておりましたが、昭和7年ころ、熱海経由の現東海道線ルートが計画されまして、このときに新設される軌道敷に関係した鉄道施設を整備したようであります。
「宿場町として栄えた三島は、明治22年、御殿場経由の東海道線の開通により急激に寂れ、以来、鉄道が三島に停車するという町民の希望は絶たれた感があった」と三島市史には書かれております。
御殿場線は明治22年、東海道本線が御殿場経由で開通し、その後、明治23年から同34年の間に、沼津・国府津間が複線化され、多いときには1日100本の列車が往来していたということです。新橋・神戸間が開通し、日本の経済の発展の動脈として、重要な位置づけにありました。これは近代日本の歴史そのものであると思います。
それで定期観光バス等の乗り入れと受け入れについてお伺いしますが、過日、地元の旅客輸送会社の富士急行に尋ねましたところ、十数年前から三島始発で定期観光バスが運転されており、御殿場経由の右回りで富士五湖めぐりと、ほかに山梨県内を主体に忍野八海であるとか、地場産業と歴史民俗館とか、山梨側の富士山5合目であるとか、風穴と本栖湖等をぐるっと回って富士宮に入り朝霧から白糸の滝にと、休憩する場所はそれなりに決まっていて