奥出雲町議会 2009-12-07 平成21年第4回定例会(第1日12月 7日)
ごみの分別収集は全国で2番目、昭和51年から市の直営で始められ、既に30年以上も続けられていました。分別収集の手法は、市民との信頼関係の中で共同作業で進められていました。「高知市家庭のごみの出し方」というチラシを各戸に配布、市民との話し合いや懇談会を160回にわたり開催し、その中で、市民からわかりにくいとの苦情にこたえ、平成19年に、その意見を反映させ、現在のものにつくりかえたと語られました。
ごみの分別収集は全国で2番目、昭和51年から市の直営で始められ、既に30年以上も続けられていました。分別収集の手法は、市民との信頼関係の中で共同作業で進められていました。「高知市家庭のごみの出し方」というチラシを各戸に配布、市民との話し合いや懇談会を160回にわたり開催し、その中で、市民からわかりにくいとの苦情にこたえ、平成19年に、その意見を反映させ、現在のものにつくりかえたと語られました。
その観点から、私は昭和58年7月20日から23日にかけて、あの未曾有の災害をもたらしました山陰豪雨水害、また63年にもありました24時間雨量368ミリを記録した大水害を追想し、大きい項目に上げています浜田川の防災についてお聞きし、今までの防災や、これからの防災計画についてお伺いいたします。
昭和40年代から産業の転換による、産業構造の変革によるということで、農業がずっと衰退してきたわけでありますが、今回この所得補償制度によって食える農業を私は、先ほど所得をどこへ置くのかというのは不明でありますが、400万円、500万円の所得が保証されるようになれば、農家としてやっていけるような時代が来るのかなという期待感を持っています。
◎建設部長(勝田秀幸) 須津地区急傾斜地崩壊対策事業におきましては、昭和59年3月に危険区域の指定を受けまして、島根県が国の補助を受けまして施行した事業でございます。工事完了後の維持管理につきましては、現在も島根県が行っておる状況でございます。議員さんからご指摘いただきました現地につきましては、既に担当の職員が行きまして現状を十分見させていただいております。
この賞は、農産、園芸、畜産、蚕糸・地域特産、林産、水産及びむらづくりの計7部門において、それぞれ農林水産大臣賞を受賞した優秀事例の中から、天皇杯、内閣総理大臣賞とともに3賞の一つとして授与されるもので、島根県では昭和60年に天皇杯を受賞された益田市飯田集落以来の受賞となりました。
次に、小川さんでございますけれども、昭和50年に温泉津町役場へお入りになられましてから、産業観光、企画振興、町民生活課長等を歴任された後、平成14年、温泉津町の教育長にご就任になられておられます。その後、合併等がございましたけれども、平成17年に大田市の教育長にご就任と、こういう経歴でございます。 以上でございます。 ○議長(石原安明) ほかにありませんか。 23番、清水 勝議員。
昭和55年築の鉄骨スレート平家建て336平方メートルの旧市酪倉庫は、200平方メートルを直売所として、売り場、簡易食堂、事務所兼バックヤードで構成をし、残りはイベント広場として利用。施設改修、附帯施設などの諸設備は、平成22度地域活力基盤創造交付金を活用し、市が行う。運営主体については、JAなど関係機関、関係者と協議中。
農業委員会委員に益田市高津町ロ17番地1、中島守君、昭和28年5月23日生まれを指名いたします。 お諮りいたします。 ただいま指名いたしました中島守君を推薦することに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕 ○議長(前田士君) 御異議なしと認めます。よって、農業委員会委員に中島守君を推薦することに決しました。
昭和59年の測定値に比べ、COD、全窒素、全燐ともに幾分の改善は見られるものの、大幅に改善したとは言いがたいものがあります。特に米子湾中央部については測点の中でも常に最高値を記録する傾向にあり、その影響は風の向き等で島田干拓の承水路などに影響が出ております。
この施設は昭和25年建築ということで、木造の建設物ということでございます。耐久性ということに関しましては、もう結構床とか壁とかこういったところが老朽化しているのは間違いございません。今後の改修につきまして、そういった耐久性が持てるような施設に改修していくということで、地域からもこの木造施設を活用したいという強い意思がございますので、そういった方向で検討しているところでございます。
これまでに、旧江津市では、昭和62年、非核平和都市宣言、桜江町でも平成元年に非核兵器平和の町宣言を明言し、ことしも8月6日の原爆の日に、市内の原爆被爆者有福温泉療養研究所でも追悼平和祈念式が行われ、私たち江津市民全員が核兵器のない、平和な社会を望んでいます。
○議員(18番 光谷由紀子君) 大東図書館は、御承知のように昭和41年、1966年の9月27日に農村モデル大東図書館として開館いたしました。以来43年、地域の皆さんの学習と教養、文化を高める場とし、また子供たちの学習やつながり、子育ての応援の場としても取り組みがなされてまいりました。
◎市長(松浦正敬) この問題につきましては、三島議員の御質問にもお答え申し上げたとおりでございますけれども、昭和57年の事業着手以来中断したままになっていると、こういうことでございますが、これはもろもろの事情があってということでございます。
それからもう一つ、スミス・カレッジというとこもあるそうです、ちょっとそれよくわかりませんけども、いずれにしてもそういう留学をされて、そして後、昭和31年から昭和40年まで日本女子大の学長に就任されております。また、御承知のように昭和30年に、茅誠司さんが座長だったと思いますが、ノーベル賞の湯川秀樹さん等々で世界平和アピール七人委員会をつくられて、そのときのメンバーも上代タノ先生だった。
中国電力が行っております防犯灯の管球、自動点滅装置の無料交換につきましては、昭和36年以降から街路灯の普及のために始められた独自サービスであると伺っております。このサービスは中国電力の電柱が対象でございまして、現在松江市内の約6割となっておりますけれども、各自治会からの要望に限りサービス提供が行われていると聞いております。
そもそもこの過疎法が最初制定されたのが、昭和45年が最初でございます。全国で初めて制定されたわけでございますが、その先頭に立って成立に奔走されたのが本市大東町出身の前副知事の高橋副知事でございました。それだけに、この過疎法制定に当たっては島根県がパイオニアでございます。その島根県にとりまして、全国にも先駆けての取り組みがこの過疎法に基づいてやってこられた経緯がございます。
これは昭和57年のくにびき国体の夏季種目の漕艇競技で美保関町万原漕艇場が会場となり、大会初日には台風の直撃を受けたものの順延することもなく、皇太子殿下・妃殿下、現天皇・皇后両陛下でございますが、激励に視察されたように、風の影響を受けにくいということで、国内的に有望な場所として日本水泳連盟が枕木山から中海の現地視察をされたものであります。
○建設部長(楫 智男) まず、景観条例ですが、これまでの経過でございますが、もともと大田市におきましては大田市自然環境保全条例、これが昭和49年施行でございまして、平成16年には石見銀山景観保全条例という、2つの景観に関する制度がございました。その中で、平成19年に石見銀山遺跡が世界遺産登録となりました。
学校給食の理想像ということにつきましては、自校方式は一つの意義を持っているものと理解しておりますが、大田市におきましては、センター方式はすべての幼稚園、小学校、中学校で自校方式の調理場が整えられないために始まったものと認識しておりまして、東部学校給食共同調理場におきましては、昭和51年12月に竣工し、以来30年以上にわたり高山共同調理場などを加え、センター方式で学校給食を運営してまいったところでございます
確かに昭和25年ごろは30ヘクタールぐらいの受水面積があったんですが、今ずっと宅地化されたりして減ってきて、今13ヘクタールです。戸数にしたら70戸がこの水の管理をされとるんですね。しかし、この修理をするということになると、3億円以上かかるというふうに言われとるんです。