奥出雲町議会 2022-06-11 令和 4年第2回定例会(第2日 6月11日)
水痘の予防につきましては、昭和62年以降、任意接種として小児を中心に接種をされてきており、平成26年10月から定期接種として導入されてまいりました。町といたしましては、平成24年度から定期接種として導入されるまでの期間、全額公費助成を行う任意接種として取り組んできており、現在、中学生以下の皆様はカバーできている状況でございます。
水痘の予防につきましては、昭和62年以降、任意接種として小児を中心に接種をされてきており、平成26年10月から定期接種として導入されてまいりました。町といたしましては、平成24年度から定期接種として導入されるまでの期間、全額公費助成を行う任意接種として取り組んできており、現在、中学生以下の皆様はカバーできている状況でございます。
また、川越防災センター設置事業は、昭和47年災害に対応できないのではとの質疑に対し、地元と協議を図った上で、高さは平成30年7月災害をベースに対応しています。また、主用途として集会施設としての側面もあり、地元住民の集まる場所の早期建設も必要ですとの説明がありました。 討論において、有福温泉再開発は不透明であり今後がよく見えない。
長い歴史の中で伝承され、保存されているこれら文化財をまとめた冊子は旧江津市分が平成12年、旧桜江町分が昭和62年に発刊されております。しかし、これらの冊子に掲載されていない埋もれた文化財もまだ多く存在することから、今後はこれらについても調査し、逐次文化財に指定し、保存に努めなければならないと思うところでありますけれども、文化財冊子の現状についてはどうでしょうか。
ほかにも晩婚、晩産、生涯未婚増で今の女性の月経回数は昭和の女性の9倍とも言われ、まつわる疾病も増えています。小3から中3までの140万人の女子が生理痛を我慢し、勉強や部活に支障を来しているというふうに言われています。対応できる窓口というか、子供たちのSOSに気づくことのできる体制はありますでしょうか。 ○議長(永岡静馬) 中川学校教育課長。
昭和15年に国の史跡に指定された旧居は、土地も含めて代々民間所有とされてきました。平成23年度からは本市が借り受け、公の施設として管理運営を行ってきましたが、所有者より売却の申出があり、周辺の景観を保護し良好な環境の下、後世に受け継いでいく必要があることを背景に、平成30年度に本市が土地と建物を購入いたしました。
皆さん方も御承知だと思っておりますけれど、昭和45年にこの制度が設けられたわけでございます。以後、半世紀が過ぎて、時代が大きく変わりました。 この50年間を振り返って、メリット、デメリットがこの線引き制度のためにあったのかなかったのか、変化がありましたらお伺いをしたいと思います。 ○議長(立脇通也) 松尾歴史まちづくり部長。
さて、国勢調査の数値を基に市内29公民館区別の人口を国の過疎対策がスタートした1970年(昭和45年)から2015年(平成27年)までの間、5年ごとの推移を見てみると、国の過疎対策がスタートした昭和45年当時、一番人口が多い乃木公民館区と少ない忌部公民館区との人口の開きは約7倍でしたが、平成27年の数値では、一番多い川津公民館区と少ない大野公民館区との人口の開きは14倍以上になっています。
本市の土地利用制度は、高度経済成長期の昭和45年に、秩序のあるまちづくりを進めるために導入され、自然環境と調和したまとまりのある市街地の形成に寄与してきました。しかしながら、人口減少社会へと変遷する中で、土地利用規制が移住や企業誘致を阻害している、地域の衰退を招く要因になっているという御意見も上がっています。
山陰新幹線及び中国横断新幹線(伯備新幹線)は、昭和45年の全国新幹線鉄道整備法に基づき、昭和48年に基本計画路線となりましたが、その後45年以上にわたり進展が見られないところでございます。早期の整備計画への格上げを求められるところでございます。
◎社会教育課長(河野裕光) 江津市連合婦人会として昭和29年4月に江津市政と同じくして誕生、地域を主体として生活改善、親睦、連携を図り、女性の地位向上のために研修を主とした学びに重点を置き、活動を推進しておられ、その後、平成16年の合併を機に桜江町連合婦人会と一緒になられました。その際には、市内22地区の連合組織体として活動されていたと認識しています。
これは、昭和57年の島根くにびき国体、ふれあい大会、この開催で大きな成果を上げておったところです。開催の10年後に、平成3年9月にこの宣言を江津市で名乗りを上げたところであります。 江津市は、歴史や文化を含めていろいろな資源があります。その一つがスポーツという資源であります。
記憶が違っていたら申し訳ありませんが、私が過去の宍道湖・中海問題等対策特別委員会で当時の県の河川課長へ質問したときの回答では、この環境整備については昭和54年当時の島根県と各市町村との申合せ事項であるとの回答をいただいたことがありますが、間違いないでしょうかお伺いいたします。 ○議長(立脇通也) 爲國都市整備部長。
昭和29年4月1日、奥出雲町の水道事業の給水は供用を開始いたしました。既に67年を過ぎております。地震や台風など大規模な災害が発生し、水道施設や水道管が被害を受けると、生活に大きな打撃を与えてしまうことになります。そのため、耐震性のある水道施設や水道管への更新を進められているとは思いますが、これまでの進捗状況について伺いをいたします。 ○議長(藤原 充博君) 千原水道課長。
1人当たりの年間の米の消費量は、昭和37年の118キログラムをピークに、令和2年は50.7キログラムと、最盛期の半分以下にまで減少しています。その結果、JAしまねの米の買取り価格は、令和2年、令和3年と2年連続で下落し、それも令和3年産の米の買取り価格は前年に比べおよそ2,000円から3,000円の下げ幅となっており、米の生産農家にとって大きな痛手となっています。
木次線全線開通は昭和12年12月12日ですが、出雲横田駅は昭和9年11月20日の開業で、当時から、今のあるべき姿、存在感、役目を予感した文化的な建物としても意識されて設計、建築されたものということは容易に推察されます。町の景観形成上も重要なものとなっています。当時関わられた人々の奥出雲横田の地への思いの深さには、同慶の至りであります。
昭和48年に基本計画路線となってから進捗の見られない中国横断新幹線、山陰新幹線計画ですが、この路線が開通することによる経済効果等のメリットについてどのように考えているのかお伺いいたします。 続いて、2つ目です。
安来市内の救急告示病院は2か所あり、当院のほかには令和2年7月に安来第一病院が指定されていますが、当院は昭和61年3月に救急告示病院の指定を受け、現在、手術治療を含めた入院治療が提供できる体制を整えております。 安来市消防本部のまとめによりますと、令和2年の安来市管内の搬送件数は1,598件で、そのうち545件、34.1%を当院で対応しております。
また、昭和41年度に建設されました、老朽化が著しい広瀬庁舎の他の部署につきましても、来庁者や勤務します職員の安全性を考慮し、段階的に再配置を検討してまいります。 最後に、私が市長に就任して1年が経過いたしました。
まだ全校を見ることはできていませんが、例えば昭和40年代や昭和50年代に建った校舎で、掃除も児童や先生が苦労され、少しでも子どもたちが入りやすいようにと竹炭で消臭するなど工夫しておられる学校もあります。 子どもたちがトイレを我慢してしまうことは健康被害につながります。前述した研究会の調査では、我慢する理由の1位はトイレが汚くて臭うから、2位は和式便器が嫌だから。
私は、団塊の世代の昭和24年生まれで、年間270万人余りが生まれた中の一人です。団塊の世代と呼ばれ、昭和22年から昭和24年までの3年間で800万人生まれています。それが、2019年から、年間86万人台が続いています。ピーク時の3分の1となっています。 私たち団塊の世代は、人口のボリュームゾーンとして意識され、年を重ねることができました。